# 天導ルリカは生まれるのを止めた

作者：公式配布ページの作者欄を参照（この下書きでは名義表記を省略）

原稿版：1.0／テキスト版：2026-10-27 JST／未公開下書き。
本文と「この本について」を収録。挿絵・巻末資料・あとがきは含みません。

公式配布ページ：https://huggingface.co/datasets/currnya/rurika

本文やキャラデザを AI に渡して、別の展開や挿絵づくりを楽しめます。作ったものを公開するときは、公式配布ページの利用条件と二次創作の手引きをご確認ください。

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# 第八章　原価表

　年が明けて一月の親族会で、私の身の振り方が話し合われた。

　応接の長い卓に、親族会の三人と三村弁護士が座っていた。伯父の席は空いていた。母の席も。伯父が連れていかれてから、私の後見は親族会が預かっていた。私は卓の端に座らされて、三人の話を聞いていた。

　案は二つ出た。

　一つは、西の遠縁の家に預ける案。もう一つは、海の向こうの修道院。どちらも、調べが済むまでのあいだ、ということになっていた。どちらも、調べが済んだあとに私を帝都へ戻す話は、していなかった。

　ゲームの瑠璃は、断罪のあと、海の向こうの修道院へ送られる。私は帳面を焼かなかったし、誰も虐めなかった。それでも話は、同じ場所へ向かって転がっていた。受益者という一語だけで、そこまで行ける。

「私から、一つ申し上げてもいいですか」

　三人が私を見た。

「私は、この家を出ます」

　白髪の大叔父が、眉を上げた。

「出て、どうする」

「働きます。下町で、菓子を焼いて売ります。天導の家の物は、何も持っていきません。名前も、使いません」

「十七の娘が」

「十八になります。四月に」

「十八でも、二十までは後見のもとにいるのだぞ」

「はい。後見は、親族会のままで結構です。住むところを、家の外にしていただくだけです。お金は一銭もいただきません。何かあったときは、三村先生にお知らせします」

　三人は顔を見合わせた。

　私には、三人が何を量っているのか分かった。預け先を探す手間。修道院へ払う寄進。帝都の新聞。それから、本家の血を引く娘が、罪人の母の娘として家の中にいつづけることの、居心地の悪さ。

　出て行きたいと言うのなら、出て行かせればいい。そう顔に書いてあった。

「……菓子など、焼けるのか」

「焼けます」

　それだけは、嘘ではなかった。

　受益者であることは、減らせない。おじさまが死んで、この身体は本家の跡取りになった。その事実は、私が何をしても残る。減らせないなら、受け取らないしかない。この家にいれば、朝の粥も、冬の炭も、学院の月謝も、全部この家から出る。一日いれば、一日ぶん受け取る。

　だから、出る。

　三村が、卓の向こうで目を伏せた。止めもしなかったし、賛成もしなかった。親族会はその日のうちに、私の居所を「三村弁護士の知るところ」とすることに決めた。調べが済むまでの、仮の扱いとして。

　　＊

　下町の住まいは、フミが見つけてくれた。

　川向こうの千鳥町に、フミの姪が住んでいる。おしげという四十すぎの人で、煙草屋をやっている。その隣が、亡くなった舅の煎餅屋で、店を閉めてから三年、空いたままになっている。店先の土間と、奥の三畳と、二階の四畳半。

「お嬢さまがお住まいになるようなところでは、ございませんよ」

　フミはそう言って、私の荷物を風呂敷に包むのを手伝ってくれた。六十五になるフミの指は、節が太くて、結び目が固かった。

　持っていくものは、少なかった。着物を三枚。そのうちの二枚は、質に入れるつもりだった。下着と足袋。配合表のノート。それから、銀の星の髪飾り。

「それは、お持ちになるのですね」

「これは、私の名前が彫ってある物なので。家の物じゃないです」

　フミは何か言いかけて、やめた。代わりに、風呂敷の結び目をもう一度締め直した。

　二月一日の朝、私は本家の裏門から出た。見送りは、フミ一人だった。正門から出なかったのは、正門には、十歳の九月の朝の記憶があるからだった。二階の窓から、大柄な男の人が振り返らずに門を出ていくのを見た。同じ門から出ると、あの朝の続きのような気がした。

　私は、あの朝の続きをするために出るのではなかった。

　　＊

　千鳥町は、川の匂いがした。

　路地の幅は大人が三人並べば塞がるくらいで、どの家の軒先にも鉢植えと洗濯物が出ていた。朝は納豆売りの声で始まり、昼は鋳掛屋が来て、夕方には子どもが路地を走り回る。おしげの煙草屋の前には、一日じゅう誰かが立ち話をしていた。

「あんたが、フミおばさんのとこのお嬢さん」

　おしげは小柄で、声が大きかった。前掛けで手を拭きながら、私を上から下まで見た。

「お嬢さんはやめてください。瑠璃です。……桐谷瑠璃、ということにしておいてください」

「きりたに」

「桐の木の、谷です」

「へえ。どっから出てきた名前だい」

「祖母の店の名前です」

　嘘ではなかった。祖母の店は、洋菓子きりたに、という。駅から商店街を三分歩いた角で、祖母が四十年やって、祖母が亡くなってからは私が一人で回していた店だ。この世界のどこにもない店の名前を、私はこの路地で名乗った。

　天導の名前は、使わないと約束した。新聞には、天導家の事件が何度も載った。天導瑠璃という名前も、一度は載った。この路地で天導を名乗れば、菓子を買いに来る人より、顔を見に来る人のほうが多くなる。

　瑠璃のほうは、捨てなかった。そちらは、捨てる理由がなかった。

　　＊

　二月三日に、質屋へ行った。

　着物二枚で、十四円になった。一枚は七歳の正月に仕立てたもので、もう小さくて着られない。一枚は十五のときの訪問着で、母が選んだ。母が選んだほうが、九円だった。

　その日のうちに、ノートの新しい頁に書いた。

　　二月三日
　　　入　質　十四円
　　　出　天火　二円八十銭
　　　　　七輪　四十銭
　　　　　炭　一俵　一円十銭
　　　　　粉　一袋　四円
　　　　　砂糖　五斤　一円
　　　　　鍋・鉢・篩　一円三十銭
　　　　　家賃（二月）　二円五十銭
　　　残　九十銭

　九十銭で、卵を買うと、あと何日暮らせるか。私は頁の端で計算して、途中でやめた。計算しなくても分かった。売るしかない。

　この天火は、七輪の上に載せる鉄の箱だ。上と下から炭で焼く。十四の年から土曜ごとに借りた分家の天火は、港から来た上等のもので、扉に温度計の目盛りがついていた。この箱には、目盛りがない。あるのは、この鉄の箱と、七輪と、四畳半の窓から入る川風だけだった。

　この町の粉屋も砂糖屋も、斤と匁で売る。祖母の配合は、私の頭の中にグラムで入っている。十歳の秋から、私はそれをノートの中で匁に直してきた。ここへ来てから、その匁を、さらに斤に直して仕入れるようになった。それでも、一度頭の中でグラムに戻さないと、どうしても味が思い浮かばない。

　　＊

　最初の日、私はボーロを四十、焼いた。

　卵と砂糖と粉だけで作る、小さな丸い焼き菓子だ。バタを使わないので、原価が安い。ここで手に入るものだけで、祖母の味にいちばん近づける。そう考えた。

　四十のうち、十二が焦げた。

　天火は、下の炭が強すぎると底が焦げ、上の炭が弱いと表が白いままになる。この箱は、四隅が全部違う。右の奥が一番熱い。左の手前は、いつまでたっても焼けない。祖母のオーブンも、分家の天火も、右の奥が熱かった。窯というものは、どこの世界でも右の奥が熱いのかもしれない。

　分家の台所でしていたように、扉を開けて手を入れて、数えた。四つで手を引いた。強すぎた。気づいたときには、もう十二個が焦げていた。

　焦げた十二は、自分で食べた。焦げていないところは、祖母の味に少しだけ似ていた。

　残りの二十八を、店先の台に並べた。一つ三銭と書いた紙を、横に貼った。

　売れたのは、四つだった。

　夕方、路地の子どもが三人、台の前にしゃがんだ。じっと見て、紙を見て、顔を見合わせて、走って行った。煙草を買いに来たおじいさんが一人、「なんだいこりゃ」と言った。

「ボーロです。卵のお菓子です」

「ぼうろ。……三銭か」

　おじいさんは首を振って、煙草だけ買って帰った。

　夜、四畳半で、私はノートを開いた。

　　二月七日
　　　ボーロ　四十
　　　　焦げ　十二
　　　　売れ　四（十二銭）
　　　　残り　二十四
　　　原価　一つ　八厘

　一つ八厘で作って、三銭で売る。原価率は三割を切る。祖母の店で、祖母が決めていた割合だった。商店街の洋菓子店なら、それで回る。

　ここは、商店街の洋菓子店ではなかった。

　この路地の子どもは、一厘の飴と、二厘の煎餅を買う。一銭あれば、大当たりだ。三銭は、子どもの小遣いの一週間ぶんだった。大人は、見たことのない西洋の菓子に三銭は出さない。出すなら、知っている大福に出す。

　私は、原価表を一から書き直した。

　ボーロを小さくした。粒の差し渡しを半分にして、五つで一銭。粉も卵も八分の一で済む。炭と手間は減らない。原価は一つ一厘五毛。三割どころか、七割を超える。売れれば売れるほど、少しずつしか残らない。

　それでも、売れないよりは残る。

　書き直した頁の余白に、小さな丸を五つ描いた。一銭ぶんの、ボーロの絵だった。

　　＊

　五つで一銭にした次の日、子どもが来た。

　昨日の三人のうちの一人で、七つか八つの男の子だった。握った手を台の上で開くと、汗で湿った一銭玉が出てきた。

「五つ」

「はい、五つ」

　紙の袋に入れて渡すと、男の子はその場で一つ食べた。食べて、目を丸くした。二つ目を食べた。三つ目を口に入れる前に、振り返って路地の奥へ叫んだ。

「おい、うめえぞ、これ」

　その日の夕方までに、ボーロは全部なくなった。

　勘太という子だった。父親は車夫で、母親は内職で紙袋を貼っている。勘太はそれから毎日、一銭を握って来た。一銭がない日は、台の前にしゃがんで見ていた。見ているだけの日は、焦げたのを一つやった。焦げたのでいい、と勘太は言った。焦げたのがいい、とも言った。

　二月の終わりには、黒糖の蒸しパンを始めた。これは天火が要らない。鍋と蒸籠で蒸す。一つ一銭。朝の早い車夫と、工場へ行く女の人たちが買った。三月には、カステラの切れ端を袋に詰めて、一袋三銭で売った。四角く焼いて、端を切り落として、切り落としたほうを売る。中の四角いところは、少し先の酒屋の旦那が、客へのお使い物にまとめて買ってくれた。

　本の菓子は、焼かなかった。

　薄く伸ばして、表に卵白を塗って、指に何も残らないように焼く、あのビスケットだ。十四の春に四回焼いて、合格をもらった。配合はノートの四月二十七日の頁にある。この路地で、本を読みながら菓子を食べる人はいない。それに、あれは一人のために詰めた配合だった。その一人が、いまはいない。

　四月の家賃は、質屋の金を使わずに払えた。

　ノートの頁の左側に、毎日、売上を書いた。右側に、仕入れを書いた。いちばん下に、残りを書いた。それから、頁の右下の隅に、もう一つ数字を書いた。

　　四月一日
　　　家賃（四月）　二円五十銭
　　　あと六百二十六

　誰に見せるものでもなかった。十二月十八日から、一日に一つずつ減っていく数だった。

　　＊

　四月二十日の朝、三村弁護士が来た。

　店先の土間で、私は蒸籠を下ろしているところだった。三村は、路地の狭さに少し驚いた顔をして、それから帽子を取った。

「十八のお誕生日に、お渡しするようにと申し付かっております」

　差し出されたのは、封書だった。

「宗一郎様から。十八歳の誕生日に、瑠璃様へ」

　私は前掛けで手を拭いて、封書を受け取った。三村を奥の三畳へ通して、番茶を出した。三村は、湯呑を両手で持って、何も言わなかった。

　封を切った。

　三通入っていた。

　一通目は、遺言の写しだった。十二月に、三村が星の間で口にしたものだ。

　――余、天導宗一郎、天導瑠璃を余の実子として認知す。本条項は余の死亡により効力を生ずるものとす。

　日付は、瑠璃が九歳の年の十二月。

　二通目は、手紙の写しだった。

　――藤乃へ。

　――私たちの子に、名を考えた。

　――男の子なら勝手にせよ、女の子なら瑠璃としたい。瑠璃丸の瑠璃だ。船の名を人につけるのは縁起が悪いと父は言うだろうが、あの船は沈まなかった。

　――銀細工屋に星を頼んだ。裏に名を彫らせる。生まれる前に彫らせるのは気が早いが、私は気が早い。

　日付は、瑠璃が生まれる二か月前だった。

　私は、懐に入れていた髪飾りを出した。裏を見た。「瑠璃へ」。

　生まれる前に彫られた名前だった。

　三通目は、母の字だった。

　――宗一郎様。私はあなたに何も求めません。ただ、この子の身分だけは、あなたの手で確かにしてください。

　――生きておられるうちに言えないのでしたら、せめて亡くなったときに効く紙を、三村先生へ預けてください。

　――あなたは決めない人です。決めないことで、人を待たせて、待たせていることに気づかない人です。私はもう待ちません。

　私は三通を膝の上に並べた。

　私はもう待ちません。

　母の字で、そう書いてあった。

　十歳の秋、私はこの身体で目を覚まして、最初に一つ決めた。待たない。欲しいものがあるなら、自分から取りに行く。祖母の店を一人で回していたころから、私はそうしてきた。粉の値が上がれば問屋を替えた。客が減れば、次の週には品書きを変えた。待っていて良くなったことは、生地の発酵のほかに、一つもなかった。

　同じ言葉を、母はこの紙に書いていた。

　母は、待つのをやめて、決めない男の代わりに決めた。決めたことの先に、湖があった。桟橋の柱の、鋸の痕があった。

　私も、待つのをやめた。

　待たないこと自体は、たぶん、母と私で違わない。違うのは、待たないと決めたあとで、何をするかだけだった。私はそれを、この三畳の番茶の湯気の前で、ようやく言葉にできた気がした。できた気がしただけで、手の震えは止まらなかった。

「……ありがとうございました」

　三村は湯呑を置いた。

「お名前のことですが」

「はい」

「親族会には、桐谷と名乗っておられると、お伝えしてあります。瑠璃のほうは」

「瑠璃は、残します。父がつけた名前なので」

　三村は頷いた。頷いてから、少し言いにくそうにした。

「もう一つ、お伝えしておかねばならないことがございます。裁判は、来年の春には済むと見られております。済みましたら、親族会は、瑠璃様の身の振り方を、あらためて決めるつもりでおります」

「修道院ですか」

　三村は答えなかった。答えないのが、答えだった。

「あなたは二十歳まで、後見のもとにおられます。住むところも、結婚も、後見の同意が要ります」

「知っています」

「私は、天導家の弁護士です」

「知っています」

「……ですから、これは、私が申し上げたことではありません」

　三村はそう言って、帽子を手に立った。土間で、蒸籠の中の蒸しパンを一つ買って帰った。一銭だった。

　その夜、ノートの右下の数字は、六百七だった。

　　＊

　五月に、澪が来た。

　学院の制服ではなく、紺の木綿の着物だった。店先の台の前で立ち止まって、紙の値札を見て、それから私の顔を見た。

「本当に、お菓子屋さんでした」

「本当に、お菓子屋さんです」

「ボーロを、五つください」

　一銭玉を受け取って、紙の袋に五つ入れた。澪はその場で一つ食べた。

「甘すぎません」

「甘すぎないように作ってます」

「書庫の缶のは、もっと甘くなかったです」

「あれは、本の菓子なので。別の人用です」

　澪は二つ目を食べた。それから、店の奥の天火と七輪を見た。二階へ上がる梯子のような階段を見た。土間の隅に積んだ粉の袋を見た。

「天導さん」

「桐谷です、ここでは」

「……桐谷さん。お一人で、全部」

「全部です」

　澪は、何か言おうとして、やめた。代わりに、ボーロの袋を大事そうに懐に入れた。

「月に一度、買いに来てもいいですか」

「毎日でもいいです」

「月に一度です。贅沢は、月に一度と決めているので」

　それから澪は、裁判の話を少しした。伯父と母の調べが続いていること。一臣が、分家の商会の帳簿を全部開いて、流れた金を本家に返したこと。商会を辞めたこと。そのあと、どこへ行ったのか、誰も知らないこと。

「知らない」

「慎さんも、早瀬さんも、知りません。一臣さんは、誰にも言わずに行かれました」

　私は、頷いた。

　頷いて、ノートの数字のことを考えた。あと六百と少し。探してくださいとは言った。約束はいらないとも言った。あの人が、自分で決めることだった。

「桐谷さん」

「はい」

「一臣さんに、色目は使っていません。……会っていないので」

「それは、ありがとうございます」

　澪は笑って、帰った。約束どおり、月に一度来た。来るたびに、五つで一銭のボーロを買って、その場で一つ食べた。

　母には、五月に一度だけ手紙を書いた。三村に託した。元気でいること。菓子を焼いていること。三村から預かった三通を読んだこと。それだけを書いた。

　返事は、来なかった。

　　＊

　七月に、窯を買った。

　隣町のパン屋が店を閉めることになって、鉄の窯が売りに出た。天火の四倍の大きさで、下に焚き口があって、上の段と下の段に一度に天板が入る。二十四円だった。

　二十四円は、なかった。

　粉を買っている丸十という粉屋の主人が、立て替えると言ってくれた。月に二円ずつ、一年で返す。利子は取らない。その代わり、粉はこの先も丸十で買う。

「娘っ子に貸すのは、初めてだがね」

　丸十の主人はそう言って、帳面と筆を私の前へ置いた。桐谷瑠璃。私が自分で書いた字だった。

　　七月十日
　　　借　丸十　二十四円
　　　　月二円　十二回

　窯が入ってから、貝の形の焼き菓子を始めた。

　マドレーヌ。祖母の店で、いちばん売れた菓子だった。十二の年、一臣さんへの手紙の余白に描いて、見たことがない、と返事をもらった菓子だ。貝の形の型は、この町にはない。路地の奥のブリキ屋に絵を描いて見せて、十二個ぶん打ってもらった。ブリキ屋は、貝の筋を一本ずつ、鏨で入れてくれた。

　バタは高い。一斤が一円を超える。一円あれば、卵が二十五買える。私はバタを三分の一にして、残りをラードで補った。祖母の配合から、いちばん遠くなった菓子だった。それでも、貝の形に焼き上がったのを型から外したとき、私は土間で一人、声を出しそうになった。

　一つ五銭。土曜だけ。

　最初の土曜は、三つしか売れなかった。次の土曜は七つ。三か月目の土曜には、十二個が昼までになくなるようになった。買っていくのは、酒屋の旦那と、表通りの洋服屋の奥さんと、給金の出た日の女工さんたちだった。女工さんたちは、二人で一つを買って、半分に割って食べた。

　　＊

　その夏には、失敗が二つあった。

　梅雨の終わりに、蒸しパンに黴が出た。朝蒸したものを、夕方まで台に出しておいた。それまでは大丈夫だった。雨が三日続いて、土間の湿気が上がった日に、夕方の蒸しパンの裏に、白い点が出た。

　私が気づいたのは、勘太の母親が、それを持って戻ってきたときだった。

「悪いんだけどさ」

　勘太の母親は、怒っていなかった。怒っていないのが、つらかった。

　その日の蒸しパンを全部捨てた。その日のぶんを買った人の家を、おしげに聞いて、一軒ずつ回った。一銭ずつ返して、頭を下げた。二十三軒あった。

　その週の売上は、仕入れを下回った。

　八月には、掛けが焦げついた。

　紡績工場の女工さんたちには、給金の日まで掛けで売っていた。一人、給金の日の前に工場を辞めて、田舎へ帰った人がいた。マドレーヌを、四週続けて二つずつ、掛けで買っていた人だった。

　四十銭。

　私は、その人の顔を覚えていた。細い首の、よく笑う人だった。田舎がどこなのか、誰も知らなかった。知っていても、私は取り立てに行かなかったと思う。

　丸十への返済は、七月の末に二円返して、八月は一円しか返せなかった。丸十の主人は「来月、三円でいい」と言った。九月に、三円返した。

　　九月三十日
　　　借　残り　十八円

　　＊

　冬に、風邪をひいた。

　十二月の初めだった。朝、窯に火を入れようとして梯子段を下りたら、足がもつれた。土間に座り込んで、しばらく立てなかった。

　店を六日、閉めた。

　六日のあいだ、四畳半の布団の中で、天井の染みを見ていた。窯が冷えていく音が聞こえる気がした。粉の袋が湿気る気がした。六日ぶんの売上を、頭の中で何度も数えた。数えるたびに、熱が上がった。

　二日目に、おしげが粥を持ってきた。

　三日目に、勘太が、自分の家の梅干しを一つ、紙に包んで持ってきた。

　四日目に、酒屋の旦那が、卵を三つ置いていった。

　五日目に、表通りの洋服屋の奥さんが、湯たんぽを貸してくれた。

　六日目の夕方、熱が下がって、私はノートを開いた。その週の頁は、売上の欄が全部空いていた。

　私は空いた欄の横に、線を一本引いて、もう一つ欄を作った。

　　もらった物
　　　粥　三回（おしげさん）
　　　梅干し　一つ（勘太）
　　　卵　三つ（酒屋さん）
　　　湯たんぽ（洋服屋の奥さん。返す）

　書いてから、しばらく頁を見ていた。

　祖母の店を一人で回していたころ、私は熱が出ても店を開けた。誰にも頼まなかった。頼めば、誰かを待つことになると思っていた。待たない、と決めたつもりで、私は、頼むこともしなかった。

　この町では、頼まなくても、戸口に粥が置いてあった。

　七日目に、店を開けた。勘太が一銭を握って来て、「焦げたのでいい」と言った。その日は、焦げたのがなかった。

　　＊

　十二月十八日の夜、ノートの右下の数字は、三百六十五になった。

　ちょうど一年だった。

　私は、この一年の頁を、最初からめくった。質屋へ行った日の頁。焦げたボーロの頁。五つで一銭に書き直した頁。貝の型。丸十の借り。黴の出た日。焦げついた掛け。もらった物の欄。十月から、土曜の頁に並ぶ、港の小僧、マドレーヌ、二。裏表紙に挟んだ包み紙。

　家賃は、一度も遅れなかった。

　それだけは、胸を張ってもいいと思った。十七で家を出た娘が、下町の四畳半で、十一か月、自分の焼いた菓子で家賃を払った。一銭ずつの売上で、粉を買い、炭を買い、窯の借金を返した。誰の金も受け取らなかった、とは言えない。梅干しも卵ももらった。それでも、天導の家の物は、一銭も受け取らなかった。

　この包み紙の字は、やっぱり、一臣さんの字なのだろうか。

　私は、その問いを、ノートの余白に書かなかった。書けば、数字の横に置くことになる。数字の横に置けば、毎晩それを見ることになる。

　代わりに、貝の形の絵を、一つ描いた。

　　＊

　四月二十日、十九になった。

　その朝、私はマドレーヌを一つだけ、余分に焼いた。売り物にしない一つだった。

　祖母は、私の誕生日には、いつも店の売れ残りのマドレーヌに、蝋燭を一本立てた。売れ残りでごめんね、と言って。売れ残りでよかった。売れ残りがあるうちは、店があるということだったから。

　蝋燭はなかったので、火のついていない付け木を一本、真ん中に立てた。

　一人で食べた。

　ラードの匂いが少しした。祖母の味から、まだ遠かった。一年と二か月で、少しだけ近づいた。

　ノートの右下の数字は、二百四十二だった。

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