# 天導ルリカは生まれるのを止めた

作者：公式配布ページの作者欄を参照（この下書きでは名義表記を省略）

原稿版：1.0／テキスト版：2026-10-27 JST／未公開下書き。
本文と「この本について」を収録。挿絵・巻末資料・あとがきは含みません。

公式配布ページ：https://huggingface.co/datasets/currnya/rurika

本文やキャラデザを AI に渡して、別の展開や挿絵づくりを楽しめます。作ったものを公開するときは、公式配布ページの利用条件と二次創作の手引きをご確認ください。

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# 第十章　もう一度呼んで

　秋になって、母の揺り椅子が運び出された。

　私の部屋の隅に、ずっと置いてあったものだ。母がそこに座って、私を膝に乗せて、髪を撫でながら本家の話をしていた椅子だった。

　男二人が来て、それを廊下から運び出した。私は襖のところに立って見ていた。

　代わりに、私の部屋には低い棚が入った。母が座る場所は、なくなった。

　母は、その週から、私の部屋で長く過ごさなくなった。

　その代わりに、廊下から見るようになった。

　私が積み木をしていると、襖が少し開いていて、母が立っている。目が合うと、母は「はい」と言って、行ってしまう。何を「はい」と言ったのか分からない。

　寝る場所も替わった。それまで夜は、母の部屋の続きの間に床を取られていた。宗一郎が庭から来た夜も、伯父が一臣さんの話をした日も、私は母の部屋や居間の隅にいて、目を閉じて聞いていた。秋からは、昼も夜も、茶の間の隣の部屋で過ごすことになった。母の居間からは、廊下を二つ曲がった先だった。

　私は、母のしたことを順に考えた。

　揺り椅子をどけたのは、もうこの部屋では話さない、ということだ。部屋を替えたのは、母の居間で交わされる話を、私の耳から遠ざけるためだ。母はたぶん、私がどの夜に、どの部屋の隅にいたかを思い出したのだと思う。宗一郎が庭から来て、「あの子は、恭介君の子だ。そう届けた」と言った夜。伯父が帰ったあとで、母が揺りかごのそばに来た日。

　母は、私が何を聞いたのかを確かめようとはしなかった。確かめるには、私に尋ねなければならない。尋ねれば、何を聞かれて困るのかを、私に教えることになる。だから母は何も尋ねずに、聞こえる道のほうを塞いだ。

　十一月に、たみという女中が、私の部屋の前の廊下に座るようになった。

　二十四か五で、口数が少ない。母に言われてそこにいるのだと、誰に教わらなくても分かった。たみは私が部屋を出ると立ち上がり、私が戻ると座った。私が何を手に持っているかを、見るともなく見ていた。

　見張りだった。私がどの部屋へ行くか、何を持ち出すか、誰のそばへ寄るかを、母の代わりに見ている人だ。

　私は、自分の部屋の中から、廊下のたみの背中を見ていた。

　あと一年と九か月。

　揺りかごのそばで聞けたことは、もう聞けない。母の居間の話は、廊下を二つ曲がった先で交わされる。私は二歳半で、どこへ行くにもたみがついてくる。

　＊

　十二月の半ばに、百合子さんが亡くなった。

　朝、佐伯が本家から知らせに来た。母は「そう」と言って、しばらく帳面を閉じたまま座っていた。

　三日後に、本家で葬儀があった。私は黒い着物を着せられて、お絹に抱かれて行った。

　本家の座敷は、人でいっぱいだった。線香の匂いがした。一年半あまり前に、百合子さんが寝床の上に起きていた座敷だった。いまは、白い布のかかった箱が、その場所に置かれていた。

　宗一郎は、いちばん前に座っていた。

　背中しか見えなかった。痩せた背中が、もっと薄くなっていた。弔問の客が頭を下げるたびに、彼も頭を下げた。下げて、上げるまでが、ほかの人より長かった。

　蘆田先生がいた。いちばん後ろの隅に座って、畳を見ていた。慎がその横にいた。

　母は、黒い着物を着ていた。

　母が黒を着るのを、私は初めて見た。いつも藤色や、朱や、花の散った明るいものを着る人だった。黒を着ると、母はいつもより背が高く、細く見えた。

　母は焼香をして、宗一郎の前で手をついた。

「このたびは」

「ああ。……来てくれて、ありがとう」

　それだけだった。二人のやりとりは、ほかの客とのやりとりと、何も違わなかった。

　帰りの馬車で、母は窓の外を見ていた。

　泣いていた。

　声は出さずに、目の端だけが濡れていた。母はそれを指で拭いた。拭いて、また外を見た。

　泣いていたのは本当だと思う。百合子さんは、母に「お久しぶりね」と言った人だった。母の娘を、下手な抱き方で抱いた人だった。

　馬車が本家の門を出て、しばらく行ったところで、母は一度だけ、息を長く吐いた。

　泣いたあとの息なのか、そうでない息なのか、私には分からなかった。

　私はお絹の膝の上で、馬車の揺れに合わせて揺れていた。

　袖を掴んで、指を差して、外された。あれから一年と七か月で、百合子さんは死んだ。私が知っていたとおりの冬に。

　――やっぱり、四歳で解決は無理じゃね。

　頭の中で、そう言った。言ってから、自分の声が二十七歳の、夜中のコンビニの帰り道みたいな声だったので、少し驚いた。

　無理じゃね、と思った。

　いちばん早い一手が、これだった。いちばん確かに分かっていて、いちばん止めやすいはずの一手だった。一人の医者が、帝都を離れないでいればよかった。それだけのことが、一歳の私には止められなかった。

　この先に残っているのは、もっと止めにくいものばかりだった。婚約。紙。薬。電報。匙。柱。

　お絹が、私の背中を撫でた。

「お嬢様、お寒くございませんか」

「……ううん」

　お絹は、私を着物の前で包むようにして、抱き直した。

　私は、お絹の胸に額をつけた。

　無理じゃね、と思って、それで何かをやめられるなら楽だった。やめられなかった。この人も、あの夏、台所へ行かされる。

　＊

　年が明けて、一月の終わりに、母が恭介に話をした。

　夜だった。私は寝かされていて、隣の茶の間から声が聞こえた。母は私の前では喋らなくなったが、茶の間の声までは消せない。

「この子を、本家で育てようと思います」

　箸を置く音がした。

「本家、といいますと」

「宗一郎さまのお屋敷です。あちらは、奥のことをする方がいなくなって、困っておいでなの。人手も、教える者もあります。学院のことを考えても、本家から出るほうがいい」

「はあ」

「あなたは造船所がありますから、通いにくくなるでしょうけれど」

　沈黙。

「奥様」

「はい」

「それは、いつからの話ですか」

「この春から」

　また沈黙があった。

　私は布団の中で、身体を固くしていた。

　――行きたくない。

　それは、計画のための判断ではなかった。本家へ移れば、宗一郎の近くにいられる。母と宗一郎の話が聞けるかもしれない。冷静に考えれば、そちらのほうが有利ですらある。

　それでも、私は行きたくなかった。

　恭介の声がした。

「わたしは、反対です」

　私は息を止めた。

「ここが、この子の家です」

　母が何か言った。低くて、聞こえなかった。

「はい。わたしは造船所の人間です。学もありません。それはそうです。ですが、この子はここで生まれて、ここで歩きました。庭のどこに石があるかも、この子は知っております」

　母がまた何か言った。

「はい。……はい。ですが、わたしは、反対です」

　その日の話は、それで終わったらしかった。

　声が震えていた。

　七夜に宗一郎に向かって「一字足させてほしい」と言ったときと、同じ震え方だった。でも、あれと、今夜のこれは、違う。宗一郎はこの人を毎日見ている人ではない。今夜の相手は妻だ。この家で毎日一緒に飯を食う人だ。反対すれば、明日から空気が変わる。

　震えたまま言ったのだということを、私は聞いていた。

　春になっても、私は移されなかった。

　夫の反対が効いたのか、本家のほうが首を縦に振らなかったのか。母はどちらとも言わなかった。

　言い出した理由のほうも、一つには決められなかった。

　妻を亡くした人の家に、自分の娘を入れる。娘の父親が本当は誰なのかを、いちばん知られたくない人から、娘を遠ざける。どちらでも、母にとっては同じ一手だった。

　＊

　同じころから、母の話し声が、別の場所で聞こえるようになった。

　台所の女中頭に。弔問の礼に来た分家の夫人に。夕食のあとの恭介に。

「あの子は、ときどき気味の悪いことを言うの」

　私は襖の陰で、それを聞いた。

「夢と、起きているときの区別が、まだつかないのでしょうね。大人の言葉をどこかで拾ってきて、意味も分からずに繰り返すの。本家、なんて。二つの子が」

　客は笑った。「賢いお嬢様ですこと」

「賢いのかしら。私には、ときどき、気持ちが悪くて」

　母はそう言って、自分でも少し笑った。冗談のように聞こえるように。

　台所でも、同じ話を聞いた。お絹に抱かれて台所へ下りたとき、女中頭が若い女中に言っていた。

「お嬢様のおっしゃることは、話半分に聞いておきなさい。奥様がそうおっしゃったから」

「はい」

「怖い夢をご覧になるんですって。夜に何か言いだしても、いちいち騒がないこと」

「はい」

　お絹は黙って、私を抱き直した。何も言わなかった。言えないのだと思った。お絹は女中で、女中頭は女中頭だ。ただ、私の背中に置かれたお絹の手は、そのあいだずっと動かなかった。

　母が話したのは、座敷で一度、台所で一度だけだったのかもしれない。それでも、話は母の手を離れて、家の中を勝手に歩いた。十日もすると、私が縁側で何か言うたびに、誰かが少し笑うようになった。

　恭介には、もう少し静かに言った。

「あなたも、あの子の言うことを本気になさらないで。怖い夢を見て、それを本当のことのように話すことがあるの。本気にすると、あの子のためにならない」

「はあ」

「子どもの言うことです」

　私は襖の陰で、手を握っていた。

　母は、話すのをやめただけではなかった。

　この子がいつか、誰かの前で「るりのおとうさまは、そういちろうさま」と言っても、聞いた人が「また、あの子の夢の話か」と思うように。母はそれを、この子がまだ言う前に、家じゅうへ言って回っている。この子の口から出る言葉を、出る前に軽くしている。

　百合子さんが亡くなって、宗一郎は一人になった。母の夢は、生まれた夜からいちばん近いところにある。その夢を壊せるのは、いまこの家で、二歳の子の口だけだった。

　私は十歳から十八歳まで、この人の娘をやった。珈琲の淹れ方を教わり、布を選んでもらい、髪を上げてもらった。そのあいだ、私はこの人を、兄に従わされた人だと思っていた。十八の夜まで。

　この人は、先に手を打つ人だった。まだ何も企んでいないうちから。

　それが策だということは、分かっていた。分かっていても、「気持ちが悪くて」という母の声は、胸のどこかに刺さったまま抜けなかった。

　母は、自分が抱いて育てた子のことを、客の前で笑いながら、気持ちが悪いと言った。策のための言葉でも、言葉は言葉だった。

　十歳の朝のことを思い出した。前の人生で、この身体に入ったとき、喉に残っていた「……なければ、よかった」という声。あの朝、あの子に何があったのか、私は知らない。知らないが、母の口から自分を要らないもののように語られるのがどういう痛さなのかは、この冬に少し分かった。私には大人の意識があって、それでも痛かった。十歳の子なら、どうだっただろう。

　＊

　二月のある日、私は廊下でわざと転んだ。転んで、たみが近づいてきたときに、廊下から部屋の中の様子がどこまで見えるかを確かめた。見えた。部屋の奥の、棚の上まで。

　その次の日、たみが言った。

「お嬢様」

「はい」

「わたくしは、目が悪うございます」

「え」

「遠くのものが、よく見えません。奥様には申し上げておりません」

　彼女はそれだけ言って、また廊下に座った。

　昨日、転んだ私を起こしてくれたとき、たみは部屋の奥をちゃんと見ていた。私はそれを見ていた。目が悪い人の見方ではなかった。

　私は、それが何を意味するのか、しばらく考えた。

　考えて、たぶん、これはこの人が私にできる精一杯なのだと思った。この人は仕事を辞められない。母に逆らえない。廊下から離れることもできない。できるのは、自分の目が悪いと私に言うことだけだ。

　奥様は、たみの目が悪いことを知らない。だから、たみが「何も見えませんでした」と言えば、奥様はそれを見張りの報告として聞く。見えなかったことは、報告のしようがない。

　見ないことにする、と言ったのだと思う。見ないことにする人が、廊下に一人いる。

　私は、それを受け取った。受け取って、使える日まで、しまっておくことにした。

　＊

　その冬のうちに、私は自分の演技を変えた。

　母は私を見ている。廊下から、食卓から、庭から。

　母は、私が「分かっている子」かどうかを測っている。分かっている子なら、揺りかごのそばで話した言葉も覚えているかもしれない。分かっていない子なら、あれは口真似だった。

　だから、間違えることにした。母に「あれは口真似だった」と思ってもらうために。母が安心すれば、母はまた、どこかで何かを話すかもしれない。

　靴を左右逆に履いた。お絹が「あら、あべこべ」と言って直してくれた。

　「あさ」と「あか」を混ぜた。「あかごはん」と言って、お絹に笑われた。

　積み木を、わざと崩した。

　母は、見ていた。見ていて、何も言わなかった。ただ、少しずつ、廊下に立つ回数が減った。

　たみは、廊下に残った。母が自分で立たなくなった分を、たみが座って埋めていた。私はそれでいいと思った。たみは、遠くのものがよく見えない人だ。

　演技はうまくいった。

　うまくいくたびに、焦った。

　靴を逆に履いて直されるのに、朝の五分。「あかごはん」と言って笑われるのに、昼の三分。そういうものを積み上げて、私は一日を、分かっていない子として使い切る。そのあいだにも、あと一年と半分、と頭のどこかが言う。私はそれを最後まで数えずに、靴を逆に履いた。

　三月のある日、私は恭介に言った。

「とう。みずうみ、いや」

「みずうみ？」

「みずうみ、いっちゃ、だめ」

　彼は私の頭を撫でた。

「湖か。夏に行くかもしれんな。星見荘といってな、涼しいところだ」

「だめ」

「怖いか。水が怖いか」

「……」

「大丈夫だ。父さんが手を離さん」

　通らなかった。

　当たり前だ。私はこの冬じゅう、わざと言葉を間違える子をやっている。その子が「湖に行くな」と言っても、それは水を怖がる幼児の言葉にしか聞こえない。

　私は自分で自分の口を、信用されないものにしていた。

　それだけではなかった。父は、母から「あの子の言うことを本気になさらないで」と言われている。怖い夢を本当のことのように話す子だ、と。父が私の「だめ」を水を怖がる子の言葉として聞いたのは、父が鈍いからではない。母が先にそう教え、私がその教えどおりの子を演じていたからだ。

　母の評判と、私の演技。両方から、同じことが父に届いていた。この子の言うことは、本気にしなくていい。

　「普通の子」でいることは、母から身を守るのに役立った。同時に、それは私が誰かに何かを伝える力を、まるごと削っていた。

　＊

　その夜、私は布団の中で、手持ちのものを並べた。

　言葉は、使えない。母が先に軽くして、私が自分でも軽くした。この家で、私の言葉はもう「また、あの子が」だ。

　では、何なら使えるか。

　大人が、自分の目で見て、自分で確かめられるもの。私が言うのではなく、相手が読むもの、触るもの。二歳の子の言葉は夢だと言える。でも、二歳の子が持ってきた紙に書いてある字は、夢ではない。

　物だ、と私は思った。

　自分で書けばいい、とは思わなかった。お絹に鉛筆を握らせてもらったことはある。握るというより掴むので、線はどこへ行くか分からない。丸ひとつが閉じない。字は読めても、この手ではまだ書けない。それに、二歳の子が字を書いてみせれば、それこそ気味の悪い子の証拠になる。

　運ぶのは、はじめからこの家にある物だ。大人の字で書かれた紙。大人が見れば、誰の字か分かる紙。

　渡す相手は、父にすると決めた。

　宗一郎は、たまにしか来ない。お絹は私の言うことを笑わずに聞いてくれるが、女中の手で奥様の物に触れることはできない。父は毎晩帰ってくる。私のすることを測らない。私の言葉は本気にしなくても、自分の目で読んだ字なら、父は本気にするかもしれない。

　ただ、いきなり大事な物を持っていけば、それもまた「気味の悪い子」の証拠になる。だから、先に、何でもない物を持っていく子になる。持っていくことが、この家の当たり前になるまで。

　翌日から、私は外で拾ったものを恭介のところへ運んだ。

　石。椿の花。誰かの落とした真鍮のボタン。去年の蝉の抜け殻。彼が帰ってくると、両手で持っていって渡す。

「これは」

「あげる」

「そうか」

　彼は受け取って、縁側の棚に並べた。

　たみは、私が両手に何を持って廊下を通るかを見ていた。石。花。ボタン。見たとおりを、奥様に伝えたのだと思う。数日して、母が縁側の棚を一度だけ見に来た。石と花とボタンを見て、母は何も言わずに戻っていった。

　それでよかった。母のところへ届く報告が、毎日、石と花であればいい。この子が何かを持って父のところへ行くのは、いつものことだ。母にもたみにも、そう思っていてもらわなければならない。

　＊

　三歳の誕生日に、恭介が赤い靴を買ってきた。

　四月二十日。庭の桜がもう散っていて、敷石に花びらが張りついていた。

　彼は仕事から帰るなり、風呂敷包みを畳の上に置いた。

「開けてみろ」

　私は結び目と格闘した。三歳の指では結び目は解けない。彼が半分ほど解いてくれた。

　中から、赤い革の靴が出てきた。

　子どもの靴だ。つやつやしていて、爪先が丸くて、留め金が銀色だった。この家では見たことのない種類のものだった。町の店で売っているものだ。

「わあ」

　私は本気で声を上げた。

「履いてみろ」

　私は座って、右足を入れた。

　足が、中で泳いだ。

　左足も入れた。同じだった。踵が浮く。爪先まで、指二本ぶんくらい余っている。

「……おおきい」

「大きいか」

「おおきい」

「いや、そんなはずは」

　彼は靴を脱がせて、自分の指を中に入れた。

「うん。大きいな」

　彼は自分の指と、私の足を、交互に見た。

「あのな。店で、こう、店の人に、うちの子の足はこのくらいだと言うたんだ」

　彼は右手の親指と人差し指を広げてみせた。

「このくらいだと」

「とう」

「うん」

「それ、おおきい」

「そうだな」

　彼は自分の指を見て、それから、私の足に自分の指を当てた。

「これは、わしの指が太いんだ」

　お絹が横で吹き出した。

「旦那様、お測りになりませんでしたの」

「測った。指で測った」

「指でお測りになったのですね」

「そうだ」

「それはもう、旦那様のお指の長さでございましょう」

「そうなるな」

　私は笑った。笑いすぎて、後ろへ倒れた。

「紙を詰めよう」

　彼は新聞紙を丸めて、靴の爪先に詰めた。

「履いてみろ」

　私は履いた。今度は少しましだったが、歩くと爪先の紙が潰れて、また泳ぐ。

　私は縁側から庭へ出た。三歩で、右の靴が脱げた。

「あー」

　もう三歩で、左が脱げた。

　私は裸足で庭の砂利の上に立っていた。靴が二つ、後ろに転がっていた。

「瑠璃花！」

　彼が走ってきた。走ってきて、私を抱き上げた。

「砂利は痛いだろう」

「いたくない」

「痛い」

　彼は私を縁側まで運んで、座らせて、足の裏を払った。小石が二つついていた。

「痛くないか」

「いたくない」

「そうか」

　彼はもう一度、靴を私の足に当てた。当てて、自分の指と比べて、首を振った。

「もう少し、大きくなってから履くか」

「うん」

「今度、店へ一緒に行こう。店の人に足を見せて、それから買う」

「うん」

　彼は靴を並べて、そこに紙を詰め直して、箱に戻した。箱を棚の上に置いた。

「ここに置いとくからな。大きくなったら履け」

「いつ」

「そうだな」

　彼は考えた。

「来年か。再来年か」

「らいねん」

「来年でもいいな」

　その約束を、私はその場でしっかり受け取った。

　来年の四月二十日に、私は四つになる。その四か月後が、八月十五日だ。

　来年この靴を履く日に、この人はまだこの家にいる。その次の年の春に、この人がまだこの家にいるかどうかは、私にかかっている。

　盥に浮かべた舟が沈んだときも、私は笑った。あれは、その場で終わる笑いだった。今日の笑いには、続きがついている。来年、この靴を履く。そのときは店へ行く。

　この家の中で、私が「来年」の話をしたのは、これが初めてだった。

　彼が箱を置いてから、言った。

「瑠璃花」

　私の身体が跳ねた。三歳になっても跳ねる。

「もういっかい」

「ん？」

「もういっかい、いって」

　彼はきょとんとした。

「瑠璃花？」

「うん」

「瑠璃花」

「もういっかい」

「瑠璃花」

「もういっかい」

「瑠璃花。瑠璃花。瑠璃花。……なんだ、そんなに呼ばれたいか」

　彼は笑って、私の頭に手を置いた。

　私は畳の上に座って、その手の重さの下にいた。

　嬉しかった。

　三歳の私は嬉しかったし、二十七年ぶんの私も嬉しかった。私はこの人に、自分の名前を呼ばせている。呼ばせている、という言葉が正しい。私が「もういっかい」と言って、この人がそのとおりにしている。

　その嬉しさの端に、小さく、冷たいものがあった。

　この人が呼んでいるのは、この人の娘だ。三分息をしなかった子だ。庭で走るところを見たいと思った子だ。その子の名前を、私が「もういっかい」とせがんでいる。

　私はその冷たさを、その日は端に置いたままにした。置いたままにして、もう一度言った。

「もういっかい」

「瑠璃花」

　お絹が茶を持ってきた。

「旦那様、そろそろお茶になさいませ。お嬢様も、お手をお洗いになって」

　私たちは笑いすぎて疲れていた。彼は縁側に胡座をかいて、茶をすすった。私は隣に座って、湯冷ましを飲んだ。庭で鵯が鳴いていた。桜の花びらが、風で敷石の上を動いた。

　何も起きない午後だった。

　＊

　五月に、宗一郎が来た。

　喪が明けてから、初めてだった。玄関から入って、女中頭が茶を出して、母の居間へ通った。

　母の居間は、廊下を二つ曲がった先だった。

　私には、何も聞こえなかった。

　私は自分の部屋の敷居のところに座って、廊下の曲がり角を見ていた。たみが廊下にいた。宗一郎と母が何を話しているのか、私にはひとつも分からなかった。二年前なら、私はその部屋の隅で目を閉じていたはずだった。

　一時間ほどして、宗一郎は帰った。

　帰り際に、私の部屋の前を通った。

「瑠璃花。大きくなったな」

　彼は私を見て、少し笑った。笑ったが、目の下が暗かった。百合子さんの葬儀のときの背中と、同じくらい薄い人だった。

　彼が門を出たあと、母は庭に出た。

　私は縁側の端から、母を見ていた。

　母は、藤色の着物を着ていた。喪が明けて、また明るい色を着るようになっていた。前より、少し明るい色を。

　母は、門のほうを向いて、しばらく立っていた。

　それから、梅の木の下まで歩いて、枝に触れて、戻ってきた。戻ってくるときの顔は、何も映していなかった。

　私が知っているのは、この年の十二月のことだった。

　＊

　その春から夏にかけて、私は母を観察していた。

　母は変わっていなかった。朝、庭を見る。昼、帳面をつける。夕方、女中頭と話す。夜、自分の部屋にいる。

　変わったのは、私を見る時間だった。

　以前は、廊下に立って中を覗いていた。いまは、食卓で正面から見る。私が匙を持つ手を見る。私が何を先に食べるかを見る。私が父の話にどう応えるかを見る。

　六月のある日、母が言った。

「瑠璃。この字が読めますか」

　母は新聞を広げて、大きな見出しを指した。

　私は、しばらくそれを見た。

　読めた。二十七年ぶんの私には読めた。三歳の子には読めない。

「まる」

　私は言った。

「まる？」

「まるが、ある」

　私は見出しの中の「。」を指した。

　母は、新聞をたたんだ。

「そうね」

　その日の午後、私は縁側で自分の指を見ていた。

　私はいま、自分を隠すために、自分の一番使える道具を捨てている。読めることを隠し、覚えていることを隠し、分かっていることを隠している。

　隠しているあいだに、四年目の夏が近づいている。

　＊

　その夏、蘆田先生がまた来た。

　先生は、髪が白くなっていた。二年前、本家の玄関で膝をついて私と目の高さを合わせた人と、同じ人だとは思えないくらいだった。診察の手つきは同じだった。穏やかで、丁寧で、少しだけ遅かった。

　慎は八歳になっていた。前より背が高くなって、前掛けの丈が合っていなかった。眼鏡の縁が、前より太いものに替わっていた。

　診察のあいだ、慎は先生の後ろに座って、紙に何か書いていた。

　私は、先生の鞄の横に置かれた紙を見た。去年の検査の綴りらしかった。上のほうに、母の名前と、私の名前があった。型の欄はAとABだった。去年は母の指に隠れて見えなかった字が、今は見えた。

　母が袂にしまった検査の紙を、父の目に届けてくれる人がほしかった。慎が気にして先生に話してくれれば、先生から父へ伝わるかもしれない。

　私は、慎のそばへ這っていった。

「しん」

「はい」

「えーびー」

　慎が顔を上げた。

「るりか、えーびー。かあ、えー」

　彼は私を見た。

「……お嬢様。それは、どこで」

「えーびー」

　私は同じことをもう一度言った。母がA、父がO、自分がAB。そこから父が除かれる意味まで口にすれば、誰に教わったのかを訊かれる。私は目に入った字を繰り返す子の顔をしていた。

　慎は、しばらく私を見ていた。

　彼は紙を伏せた。伏せて、こう言った。

「はい。わかりました」

　彼はそれ以上、何も訊かなかった。先生にも言わなかった。

　帰り際に、彼は私の頭を撫でた。撫で方が下手で、髪が乱れた。

　私はそのとき、彼の困った顔を見て、懐かしいと思った。

　前の人生で、十五の私に詩集を貸してくれた二十歳の人。十七の秋、処方簿を差し出した二十二歳の人。蘆田先生が、百合子さまの倒れた年に帝都にいなかったことをずっと悔やんでいる、と話してくれた人。あのとき彼が見せた顔と、いま八歳の彼が見せている顔が、似ていた。

　似ている、というだけだ。

　この子は、あの人ではない。この子が今日黙ると決めたのは、この子が自分で決めたことだ。私はそこを混ぜないようにした。

　ただ、蘆田先生がこれから何年も悔やむことだけは、前の人生と同じだった。今度は、私もそれを悔やむ側にいた。

　それから数日して、私は失敗した。

　私は恭介に「みずうみ、しぬ」と言った。

　言い方をもっと考えるべきだった。彼は驚いて、母に相談した。母はその晩、私の部屋に来た。

「瑠璃。誰がそんなことを言ったの」

「……」

「誰から聞いたの」

「しらない」

　母はしばらく座っていた。

　座って、私の顔を見ていた。三歳の子の口から「しぬ」が出たことを、母は、自分の怖がっているものとは別の棚に置こうとしているように見えた。本家とも、宗一郎とも、関係のない言葉として。

　翌日、母が恭介に言っているのが聞こえた。

「ほらね。また、あの子が。夢の話です。本気になさらないで」

　恭介は「はあ」と言った。私の部屋の前で、たみが座り直す音がした。

　言葉で言えば、こうなる。分かっていたのに、言ってしまった。私は、湖という言葉を、自分でもう一段軽くした。

　＊

　九月に、本家から来た佐伯が母に言った。

「本家に、久我様からお話が来ているそうでございます」

　私は茶の間で、お絹に髪を結ってもらっていた。襖が開いていた。

　母は帳面をつけていた。筆が止まった。

「そう」

「親族会の方々も、年内には、と」

「そう」

　母は、筆を置いた。置いて、硯のほうへ向き直って、墨を磨りはじめた。墨はもう十分に磨れていた。

　お絹の指が、私の髪の中で一瞬止まって、また動いた。

　久我静子さん。前の人生の十八の夜までに、私はその名前を、何度か聞いていた。宗一郎と婚約していた人。婚礼は、宗一郎が死んだ年の十月の予定だった。

　十二月だ、と私は思った。

　この縁談は、十二月に決まる。決まった月に、母は宗一郎に手紙を書く。せめて亡くなったときに効く紙を、と。私はもう待ちません、と。宗一郎はその紙を書いて、三村弁護士に預ける。

　あと三か月。

　母は墨を磨り続けていた。

　＊

　秋になっても、私は毎日、何かを恭介のところへ運んでいた。

　春から、半年を過ぎていた。縁側の棚は三段目まで埋まって、恭介は二つ目の棚を自分で作った。お絹は「お嬢様の博物館」と呼んだ。母は、その棚の前を通るとき、一度も足を止めなかった。拾った物を父に見せる子。この家では、それがもう当たり前になっていた。

　恭介は、玄関で靴を脱ぎながら「今日は何だ」と言うようになっていた。

　私はそのために、半年やった。

　婚約が決まり、母が認知の紙を求める前に、父には私の生まれのことを知っておいてほしかった。親族会で突きつけられるより先に、自分であの手紙を読んで、考える時間を持ってほしかった。

　十二月が来る前に、この手で運ばなければならない紙が、一枚あった。

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