# 天導ルリカは生まれるのを止めた

作者：公式配布ページの作者欄を参照（この下書きでは名義表記を省略）

原稿版：1.0／テキスト版：2026-10-27 JST／未公開下書き。
本文と「この本について」を収録。挿絵・巻末資料・あとがきは含みません。

公式配布ページ：https://huggingface.co/datasets/currnya/rurika

本文やキャラデザを AI に渡して、別の展開や挿絵づくりを楽しめます。作ったものを公開するときは、公式配布ページの利用条件と二次創作の手引きをご確認ください。

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# 第五章　わしの中では四つだ

造船所の事務所の奥に、図面庫があった。

六畳ほどの板の間に、丸めた図面と帳簿と、船主との手紙が、床から天井まで押しこまれていた。九つの夏に見た本家の書庫と、同じ顔をしていた。

三日目の朝、私は親方に頼んだ。

「ここ、並べ直してもいいですか」

親方の蓬田さんは、胡麻塩頭を短く刈った小柄な人で、いつも耳に鉛筆を挟んでいた。私の顔と図面庫を見比べて、「恭さんの娘さんか」と言った。

「はい」

「好きにしてええ。どうせ誰も、どこに何があるか分からん」

十日かかった。

図面は船ごとに、船は竣工の順に並べた。一本ずつ紐を掛けて、紙の札を下げた。札には船の名と、船主と、竣工の月を書いた。帳簿は年ごとに、手紙は船主ごとに分けた。棚の端に、どの船の図面がどの段にあるかの一覧を貼った。

その次の日に、親方が七年前の汽船の図面を探しに来た。私は札を見ずに、上から三段目の右から四本目を抜いて渡した。

親方は図面を広げて、しばらく何も言わなかった。それから、耳の鉛筆を取って、また挟んだ。

「恭さん。あんたの娘は、えらい仕事をする」

その日から、私は図面庫の番になった。給金も出ることになった。

　恭介さんに会ってから、十三日目。
　親方に褒められた。
　恭介さんは、そうか、と言った。夕飯のとき、もう一回、そうか、と言った。
　三回目は、布団に入ってから、板の間のほうで言った。

　＊

おかみさんは、昼になると事務所に茶を持ってきた。

「灯ちゃん」とは、おかみさんは呼ばない。「瑠璃ちゃん」と呼ぶ。この町では、私は恭さんの娘の瑠璃ちゃんだった。

「瑠璃ちゃんは働き者やねえ。ええお嫁さんになるわ」

「なります」と私は言った。「恭介さんの」

おかみさんは、お盆を抱えて笑った。大きな声で笑って、目尻の涙を指で拭いた。

「ほんまに、あんたは恭さんが好きやねえ。あんな無口なお父ちゃん、よう懐いたもんや」

冗談だと思われていた。

冗談だと思われたまま、私は茶を飲んだ。熱かった。

　恭介さんに会ってから、十五日目。
　朝、恭介さんが卵を焼いた。黒かった。
　わしは焼くのは得意だ、と言った。船の板を火で曲げる話だった。

　＊

作戦を立てた。

図書館で企画展の計画を立てるときと、同じやり方にした。目的を一行で書く。手段を並べる。一つずつ試す。

目的：恭介さんに、娘ではなく一人の大人として見てもらう。

一つ目は、弁当だった。

朝、恭介さんより早く起きて、麦飯を詰めて、卵焼きを焼いた。卵焼きは、少し焦げた。昼に船台へ持っていった。

恭介さんは足場の上から下りてきて、弁当の包みを受け取った。蓋を開けて、焦げた卵焼きを見た。

「お前が作ったんか」

「はい」

「えらいな」

恭介さんは、私の頭を撫でた。二回撫でた。周りの若い人たちが「恭さん、ええなあ」と言った。恭介さんは「ええだろう」と言った。

撫でられた頭が、温かかった。温かくて、作戦としては失敗だった。

二つ目は、髪だった。

おかみさんに教わって、髪を上げた。首の後ろがすうすうした。借りた鏡の中の顔は、汽車の窓で見た顔と同じで、それよりは少し、目の形がやわらかかった。

夕方、恭介さんが帰ってきた。土間で私を見て、止まった。

しばらく見ていた。

「……大人みたいだな」

「大人です」

「そうか」

恭介さんは草履を脱いで、板の間に上がった。上がってから、振り返った。

「首、寒うないか」

私は首の後ろに手を当てた。寒かった。

　恭介さんに会ってから、十九日目。
　大人みたいだな、と言われた。みたい、がついていた。
　首が寒いか、と訊かれた。寒かった。

　＊

図面庫の仕事に慣れたころ、夕飯のときに恭介さんが訊いた。

「お前、あの札の付け方は、どこで覚えた。学院か」

私は箸を置いた。

どう答えるか、少し迷った。それから、半分だけ本当のことを言うことにした。

「夢で、です」

「夢」

「小さいころから、ときどき同じ夢を見るんです。夢の中の私は、大きな町の図書館で、本を貸す仕事をしています。本に札を貼って、棚に並べて、借りに来た人に渡すんです。名前も違って」

「何という名だ」

「灯、です。灯りの灯で、ともし」

恭介さんは、湯呑みを持ったまま、口の中で「ともし」と一度言った。

笑われるかと思った。笑わなかった。夢の話を、夢の話のまま聞いている顔だった。

「ええ名だ」

恭介さんは、湯呑みを置いた。

「夜の船は、港の灯が見えんと入ってこられん。灯のない港には、誰も寄らん」

それだけ言って、恭介さんは味噌汁を飲んだ。

私はしばらく、自分の名前を人に褒められたことがあったかどうか考えた。一度もなかった。図書館の窓口では、名札の「立花」しか読まれなかった。

　＊

作戦の三つ目は、作戦ではなかった。

夜、板の間で、恭介さんが図面を引いていた。洋燈の下で、定規を当てて、墨の線を一本ずつ延ばしていた。背中が丸かった。

私は奥の六畳の敷居のところに座って、その背中を見ていた。

見ていたら、言ってしまった。

「恭介さん。私、恭介さんが好きです」

墨の線が止まった。

恭介さんは筆を置いて、振り返った。私の顔を見て、それから、困った顔をした。船台の下で、写真を見る前にした顔と同じだった。意味の分からない言葉を聞いた人の顔。

それから、その顔が、少しだけ和らいだ。

「子どもはそういうことを言わんでいい」

「もう十八です」

恭介さんは、首の手拭いを取って、畳んで、膝の上に置いた。

「わしの中では四つだ」

低い声だった。叱る声ではなかった。

「窓に手をつけとった、あの子のまんまだ。わしは、あそこから先を見とらん。見とらんものは、よう数えられん」

恭介さんは、手拭いの上に手を置いた。

「お前が大きゅうなったのは、分かっとる。分かっとるが、わしの中の瑠璃は、まだ四つで、窓のとこにおる。……それで、ええんだ」

私は何か言おうとした。

言えなかった。この人の中の四つの子は、この人が窓の日からずっと、ひとりで持ち歩いてきたものだった。それを取り上げて、代わりに私を置けと言うのは、今夜はできなかった。

「寝え。明日も早い」

恭介さんは洋燈のほうへ向き直って、また筆を取った。墨の線が、さっきの続きから延びていった。

　恭介さんに会ってから、二十四日目。
　好きです、と言った。
　子どもはそういうことを言わんでいい、と言われた。
　もう十八です、と言った。
　わしの中では四つだ、と言われた。
　四つの私は、あの人の中の窓のところにいるらしい。
　少し、うらやましい。

　＊

帝都の新聞は、南浦には一日遅れで届く。

三十日目の夕方、恭介さんが、新聞を一部持って長屋へ帰ってきた。事務所の机に置いてあったものだった。

恭介さんは、板の間に座って、新聞を広げた。

私は土間で、鍋の火を見ていた。見ているふりをして、恭介さんを見ていた。

社会面の、下のほうの記事だった。帝都の名家、天導家の先の当主が湖で亡くなった件で、警察が分家の当主と、その妹を捕らえた。記事は、そういうことを、硬い字で短く書いていた。

恭介さんは、その記事を長いあいだ読んでいた。

短い記事だった。何度も読み返しているのだと思った。

それから、新聞を畳んだ。角を合わせて、きちんと四つに畳んだ。

「ちょっと、出てくる」

恭介さんは草履をつっかけて、出ていった。

私は鍋の火を落として、少し待ってから、後を追った。

恭介さんは、造船所の船台の下にいた。組みかけの船の、まだ板の張られていない腹の下に座って、骨組みの隙間から夜の空を見ていた。

私は、隣に座った。恭介さんは何も言わなかった。追い返しもしなかった。

しばらくして、恭介さんが言った。

「わしは、あの人の亭主だった」

「はい」

「何も見えとらんかった。あの人が何を考えとるのかも、お前が誰の子かも、あの晩、お前が舟屋で眠らされとったのも」

恭介さんの声が、少し掠れた。

「わしが湖におったら、と、ずっと思うとった」

私は膝を抱えた。

ゲームの筋を、全部話すことはできなかった。それでも、一つだけは言えた。

「恭介さんは、あの日、湖にいなかったんじゃないです。いられないようにされたんです。電報で」

恭介さんは、私のほうを見た。

「……電報のことを、誰に聞いた」

「帳面を読んだ人には、分かることです」

嘘だった。帳面に、電報のことは書いていなかった。私が知っているのは、画面の中で読んだからだ。その話はできないから、帳面のせいにした。

恭介さんは、また空を見た。

「そうか」

それから、長く息を吐いた。

「そうか」

私たちは、船の腹の下で、しばらく座っていた。夜の港で、どこかの船の灯が、ゆっくり動いていた。

　＊

翌朝、私は手紙を書いた。

便箋は、港の文房具屋でいちばん上等なものを買った。

　天導藤乃様

　恭介さんと暮らしています。
　恭介さんは元気です。朝、卵を焦がします。
　法律上は他人です。あなたが名前を書かせた紙のおかげです。
　結婚するつもりです。

　お返事は要りません。

　瑠璃

封筒の表に、帝都の監獄の名と、母の名を書いた。裏には何も書かなかった。差出人の住所を書けば、あの人はこの長屋に手紙を寄越すかもしれない。恭介さんに宛てて、何かを。

郵便局の窓口で切手を貼って、差し出した。

母は、この手紙を読むだろう。読んでも、ここへ来ることはできない。私を叱ることも、髪を梳くことも、左の箸を右に持ち替えさせることもできない。

郵便局を出たら、潮の匂いがした。

私は気分がよかった。

それから、ときどき書いた。

書くのは、決まって、子ども扱いされた日の夜だった。恭介さんに頭を撫でられた日、飴をもらった日、夜道で「ほれ、手」と言われて、迷子の子どもみたいに手を引かれた日。胸の中に置き場所のないものがたまると、私は上等な便箋を出して、母に書いた。

　天導藤乃様

　今日は恭介さんに飴をもらいました。
　まだ結婚していません。するつもりです。

　瑠璃

返事は待たなかった。返事の宛先を渡さなかったのは、私のほうだった。

　＊

四月二十日の朝、恭介さんは、いつもより早く家を出た。

夕方、帰ってきて、土間で何かを後ろに隠していた。回した手が片側へ寄っていて、隠しているものの端が、脇腹の横から見えていた。

「今日は、誕生日だろう」

「覚えてたんですか」

「四月二十日だ。忘れん」

恭介さんは、後ろに回していた手を、前に出した。

木の舟だった。

掌に載るくらいの小さな舟だった。船体が滑らかに削ってあって、船首が少し反っている。帆柱が一本。帆は薄い布で、糸で縫いつけてある。底を返すと、鉛が埋めてあった。

「……舟」

「五つの誕生日にやるつもりで、作りかけとった」

恭介さんは、耳の後ろを掻いた。

「行李に入れて持ってきて、それきりになっとった。帆をつけて、底に鉛を入れた。ちゃんと浮く。盥で試した」

私は、舟を両手で持った。

五つの子のための舟だった。十九になった日に、手の中にあった。

子ども扱いだった。どこからどう見ても、子ども扱いだった。

私は舟を持ったまま、背伸びをした。背伸びをしても届かなかったので、恭介さんの作業着の袖を引いた。恭介さんが「ん」と言って屈んだ。

私は、恭介さんのほっぺに口づけをした。

無精ひげが、唇にちくちくした。木屑の匂いがした。

恭介さんは、屈んだまま止まった。

長いあいだ止まっていた。土間の外を、自転車が一台、鈴を鳴らして通り過ぎた。

それから、恭介さんはゆっくり身体を起こして、口づけされた頬を、太い指で一度こすった。

「……家族だからな」

そう言って、草履を脱いで、板の間に上がった。上がってから、図面の前に座って、定規を持った。定規の向きが逆だった。

　恭介さんに会ってから、五十九日目。
　五つの誕生日の舟をもらった。ちゃんと浮くらしい。盥で試したらしい。
　ほっぺに口づけをした。
　家族だからな、と言われた。
　家族なら、していいことらしい。
　定規が逆だった。

その夜、私は上等な便箋を出した。

　天導藤乃様

　恭介さんのほっぺに口づけをしました。
　家族だからな、と言われました。
　まだ結婚していません。するつもりです。

　瑠璃

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