星猫くるる HOSHINEKO KURURU

S032 しおりの待ち合わせ

閉店する書店で沙緒と裕理が本と栞を前に向き合う。

AI が作成 / 人間が未査読 / コンセプト・ターゲット無し / 体裁が未整備 / キャラクターデザイン無し

3,410字・約7分

S032-1 S01 返却箱の前

沙緒は裕理が好きだった。だから、返す本を読み終えたことより、返したあとの手が空くことのほうが怖かった。薄い上巻を布袋から出し、表紙を膝で一度撫でてから、古書店の扉を押した。

秋の土曜日、四時にはまだ少しあった。枝浦町の汐折書房は今日で店を閉める。入口には、棚整理中につき借りた本は窓辺の箱へ、しおりはお持ち帰りください、と書いた紙が貼ってある。三十一歳にもなって返却の作法に迷うのはおかしいが、沙緒はその二行を最後まで二度読んだ。することがきちんと決まっているのが、ありがたくもあった。

『小さな岸』の上巻を、箱の横の机に置く。下巻一冊ぶんの場所を空けた。箱にはまだ余裕があり、一人で返して出ていくこともできた。裕理に、先に済ませた、と連絡すればいい。けれどそれは彼の言った最後を、自分から急いで完成させることになる。沙緒は袋を畳み、また広げて、持ち手を机の縁から垂らした。

半年前、この店で二人は随筆集を上下に分けて借りた。常連に貸してくれる閲覧用の本だった。読み終えたら同じ日に返し、その足で川沿いを歩いて、好きな一節を話す。二人で決めたその順序を、沙緒は一つの長い予定として覚えていた。本を読む日々も、会うまでの時間に入っていた。

一度は沙緒の仕事で日を延ばした。その次は裕理の仕事だった。二度目の延期のあと、候補の日を出さないまま、短い連絡だけが続いた。沙緒は上巻をとっくに読み終えていた。余白の多い頁が好きだと説明するために、何度も同じ頁を開いた。話す内容を整えることには熱心で、話す日を取り直すことには臆病だった。

三週間前、裕理から閉店日の土曜四時に返そうと連絡が来た。末尾には、これで最後にしよう、とあった。沙緒は了承し、きちんと返すと送った。ほかの言葉も打てた。店がなくなっても会いたい、でも、川はどうする、でもよかった。好きだと自分でわかっていたから、返事の短さで守れるものがあると思った。

守ったのは、断られていないという形だけだった。その形のまま、三週間を過ごした。

扉が開き、裕理が入ってきた。三十三歳の彼は、下巻を片手に持っていた。沙緒の置いた上巻を見つけると、空けておいたところへ本を並べた。背表紙が揃った。それだけで、待った時間が報われたような気になるのを、沙緒は持て余した。

「まだ入れてなかったんだ。」

「一緒に返す約束だったから。」

「そこは覚えていてくれたんだね。」

「そこだけじゃないよ。」

最後の声が、自分で思ったよりはっきり出た。裕理は机から目を上げた。沙緒は彼の顔を見たまま、広げていた袋を畳んだ。川の約束を口にすれば、今日だけ歩いて終えることもできるのだろう。今日だけなら、彼も困らないかもしれない。その譲歩を先回りして用意している自分に気づき、畳んだ袋を両手で押さえた。欲しいのは、困らせない最後の日ではなかった。

S032-2 S02 窓辺の机

裕理は下巻を開き、挟んでいた無地のしおりを抜いた。紙の下の角が丸くなっている。閉じた本の上にそれを置いても、手はすぐには離れなかった。沙緒には、彼がしおりを惜しんでいるのか、本を惜しんでいるのかわからない。ここで自分を惜しんでいると読み替えたら、あとで、その読み替えまで片づけなくてはならなくなる。

窓の光で、机の上だけが明るかった。本を箱へ入れるには、二人とも片手を少し伸ばすだけでよい。沙緒は、返してしまう前に聞こうと決めた。好きかどうかを尋ねるよりは、小さい質問のはずだった。それでも、彼が決めた終わりに異議を唱えるつもりなのか、最後の確認をするつもりなのか、自分の中で決めきれなかった。

「最後って、会うのが最後だと思ってた。」

「延ばすのを最後にしようって意味だった。」

裕理はしおりの角から指を離した。沙緒の胸のあたりで、強く結んでいたものが緩んだ。けれど、そこで喜んでしまうのは早かった。先延ばしを終えることと、自分に会いたいことは、まだ同じではない。自分の都合のいいところだけ拾わずに、彼の返事を最後まで聞く必要があった。

「返すって返事しかできなかった。」

「僕は、それで終わりにしたいんだと思った。」

沙緒は上巻の表紙へ目を落とした。自分が返事を短くした時間にも、彼の側には、その短さを読む時間があった。沙緒の三週間は、彼を待つだけのものではなかったらしい。待たせていたのかもしれない。ただし、何を待っていたかまでは、今の言葉から決められなかった。

上巻には、道の途中で腰を下ろした人の一日を書いた頁があった。沙緒が好きなのは、その話の結論より、話が終わったあとに残る半頁だった。裕理に説明するなら、その余白から先に見せようと思っていた。彼の反応ばかり幾通りも考えて、実際に連絡をするための一行は書かなかった。本の話を用意していたことは、約束を守っていたことにはならない。

「次の日を、私も決めなかったね。」

「うん。僕も聞かなかった。」

沙緒も自分のしおりを抜いた。ここに挟んであった、と頁を指で押さえる必要はもうなかった。話す日にこの本が手元になくても、好きだった余白の広さを忘れるわけではない。しおりは机に置くと、思っていたより小さかった。三週間ぶんの返事を代わりにしてくれそうな、特別な紙ではなかった。

裕理のしおりと並べても、二枚の紙は何も証明しなかった。会うのが嫌ではなかったかもしれない。それ以上の答えを、丸くなった角からも、読み込まれた本からも取ってはいけない。沙緒は彼を見る。自分が好きだという事実は、最初からここにあった。その事実を相手の気持ちの代用にせず、もう一つの日を求めることならできた。

S032-3 S03 紙に書ける約束

今日このまま川へ行けば、半年前の約束は果たせる。返本のあとに散歩があり、それから空欄が来る。沙緒は、最後の一つまで片づけてから新しいことを考える癖を、この机には残したくなかった。来週なら、店に来る用事も、本を持っている理由もない。そこで会いたいと言うのは、今日よりずっと露骨で、ずっと簡単だった。

「歩く約束、来週の土曜にしない。」

「二時に、川の東の階段でどう。」

裕理の返事には時間が入っていた。沙緒は、午後の川の幅を思い浮かべた。東の階段は二人とも知っている。どちらかの家へ迎えに行く必要もなく、閉店時間を気にする必要もない。自分たちがそこへ行くと決めれば、それだけで待ち合わせになる場所だった。

「本はもう、持っていなくていいんだね。」

「沙緒に会いたいんだ。本を返したあとも。好きだから。」

彼が言い終えても、沙緒はすぐに頷けなかった。聞きたかった言葉なのに、聞こえたということを受け入れるのに時間がかかった。さっきまで慎重に分けていた二つの事実が、今は机のこちらと向こうにあった。自分の好きと、彼が口にした好き。そのあいだを、しおりや随筆集に渡ってもらう必要はなかった。

「私も、裕理が好き。」

言ったあとの顔を、沙緒は隠さずにいた。裕理は笑い、上着から短い鉛筆を出した。沙緒はここへ来るまで、本を返したあとの手は行き場をなくすと思っていた。いま、その手は机の上で開いている。誰かに触れるために急がなくてもよい、空いている手だった。

「じゃあ、忘れないように書いておこう。」

「来週の土曜、午後二時、川の東の階段。」

「うん。今度は、そこまで決めておこう。」

裕理は自分のしおりに、沙緒が言った日時と場所を書いた。字を詰めるために紙を少し横へ回し、書き終えると鉛筆を沙緒に渡した。沙緒も自分のしおりに同じことを書いた。川の字の三本が少し離れた。気の利いた文章ではなかった。誰かに見せても、ただの待ち合わせのメモにしか見えない。それがよかった。

鉛筆を返し、沙緒は自分のしおりを袋の内側のポケットに入れた。裕理も自分の一枚をしまった。紙を交換しなくても、同じ場所へ行ける。上巻を持ち上げ、箱の底へ寝かせると、裕理も下巻をその隣へ入れた。借りた時には離れた二冊が、背を揃えて店に残った。

二人で扉を押して外へ出た。沙緒の袋は軽く、歩くたびに腰に当たった。閉じる店を惜しむ気持ちは、嬉しさの中にもちゃんと残っていた。今日失う場所を、来週の約束でなかったことにせずに済む気がした。

来た道の分かれ目で、二人は手を振って別れた。沙緒は振った手を下ろし、袋の上からしおりの位置を確かめた。来週までの一週間は、相手の言葉を短く削って読むための時間ではなかった。書いたままの時刻に着くための時間だった。

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