星猫くるる HOSHINEKO KURURU

S034 来賓用の椅子

開所式の椅子を半円に並べ直す。

AI が作成 / 人間が未査読 / コンセプト・ターゲット無し / 体裁が未整備 / キャラクターデザイン無し

3,065字・約7分

「来賓が一人、横に広がりました」

電話を切って真砂が言うと、会場係の角田は巻尺を伸ばした。

「何センチ」

「そういう広がりではなく。商店会長が奥様も連れてくるそうです」

「一脚だな」

角田は畳んであった椅子を開いた。商店街の共同休憩所、その開所式まであと四十分。文具店から手伝いに来た真砂は、入口で配る案内、拍手のきっかけ、テープを切ったあとに残るテープの行先まで決めていた。椅子だけは、人数ぶん置けば済むと思っていた。

会場はもと時計店の一階で、壁には外した時計の丸い跡が七つある。長机の前に来賓用の椅子が六脚、後ろに一般席が十二脚。通路を広く取ると、それでいっぱいだった。

真砂は七枚目の「来賓」を刷った。文具店の名にかけて、札の角はきれいに揃えた。

すぐに魚屋が顔を出した。

「うちの親父も来るって。昔ここに時計を頼んでたから」

「一般席は自由です」

「でも、この場所を貸したの、親父なんだよね」

真砂は八枚目を刷った。

「札より先に椅子を見てくれ」と角田が言った。「残り十一脚だ」

「一般席を一脚だけ前へ出せば」

「一般席は十脚になる」

「引き算は分かっています」

角田は分かっている人を見る目では見なかった。

次に花が届いた。鉢を運んできた花屋は、祝いの花をどこに置くか尋ねた。真砂は演台の横を示したが、そこにはテープの端を持つための棒があった。棒を少しずらすと扉に当たる。鉢を手前に置くと会長の足が入らない。

「うちは立ってるから、そこへ置けば」と花屋が言った。

そこで真砂は、花屋も招待したことを思い出した。花屋は商店会の副会長だった。札を一枚増やした。

「立つって言ってるよね、私」

「失礼のないように」

「じゃあ座れる所に置いて」

札は座らなかった。椅子に貼られるだけだった。

角田は一般席から一脚持ってきて、花の鉢を載せた。真砂が目を離したあいだに、鉢の下にまで「来賓」が挟まっていた。

「これは違います」

「今のところ、一番静かだ」

真砂は札を剥がした。糊の強い紙を選んだことを、初めて悔やんだ。

開式二十分前に会長が着いた。奥様だけでなく、休憩所の内装を手伝った大工も一緒だった。会長は真砂の席次表を覗き込み、「この人を後ろには置けないな」と言った。

真砂が頷くと、大工は「俺は出口に近いほうがいい」と言った。

「いや、遠慮せず前へ」

「工具を車に置きっぱなしで」

「車のことは忘れて」

大工は忘れられそうもない顔をした。

真砂は十枚目の札を持って立ち尽くした。貼るべき人がいる。貼るべき椅子もある。しかし貼るべき場所がない。角田が前列の椅子を詰めると、会長の席だけ背もたれが柱の後ろに隠れた。

「演台が見えませんよね」と真砂が言った。

「会長は演台へ行くから、座っている時間は短い」

「そのあいだ奥様から会長が見えません」

「家で見てるだろう」

奥様が後ろで小さく笑った。真砂は振り向かなかった。

席を斜めにすると、今度は座った人の膝が通路を塞いだ。大工が椅子を持って外へ出ようとするので、真砂は慌てて止めた。

「どちらへ」

「工具見てくる。座る場所は向こうで考える」

「椅子は置いていってください」

「じゃあ俺の席、なくなるぞ」

真砂は椅子の背に両手を置いた。大工も置いた。二人で椅子を大切にしている写真なら、今すぐ撮れそうだった。

「一回、全員立って」と角田が言った。

「まだ誰も座っていません」

「そうか。そこは順調だな」

角田は椅子の数を数えた。十八脚。花の一脚を含めて十八。最初から増えていない。増えたのは札だけだった。

真砂は席次表を裏返し、新しい案を書いた。来賓を二列にする。前列には背の低い人、後列には高い人。これなら顔が見える。

「健康診断か」と角田が言った。

「高さなら公平です」

「靴は脱いでもらうのか」

真砂は鉛筆を止めた。会長の奥様は踵の高い靴を履いている。脱いだ瞬間に席が前へ動いたら、式典として落ち着きがない。

次に五十音順を考えた。ところが大工の屋号は聞いていても、姓を知らなかった。花屋は結婚前の名前で呼ぶ人と今の名前で呼ぶ人がいる。角田は「椅子の裏に番号ならある」と一脚を持ち上げた。

「三番。これを先頭に」

「一番はどこですか」

「公民館から借りたんだ。今日は将棋に出てる」

真砂は将棋に負けた気がした。向こうは座る人が二人と最初から決まっている。

背後で、会長の奥様が大工に工具の話を聞いていた。魚屋は花屋に明日の天気を尋ねている。席が決まらなくても会話は進んでいた。進んでいないのは、真砂の紙の上だけだった。

入口からパン屋が、紙袋を抱えて現れた。休憩所のために小さな丸パンを焼いてきたという。真砂の目はまずパン屋の両膝に行った。この人にも膝がある。曲がるには場所がいる。

「私はお店に戻るから」と言われて、真砂は自分でも驚くほど明るく礼を言った。

そこへ会長が声をかけた。

「せっかくだ、ひと言挨拶を」

真砂は印刷機の電源を切った。

「少し待ってください」

全員が真砂を見た。花だけは先ほどから壁のほうを向いていた。

真砂は席次表の、一番後ろの空白を指した。

「ここ、誰が座る予定でしたか」

「近所の人」と会長が言った。

「近所の人は、今いらっしゃる皆さんですか」

「まあ、そうだな」

一般席へ来るはずの人が、入口で一人ずつ来賓になっていた。店を閉めて来た人、何かを寄付した人、昔からこの場所を知っている人。真砂が理由を聞くたび、前の席へ連れていったのだ。

「なら、全部普通の椅子でよかったんですね」

「最初から普通の椅子だ」と角田は言った。

真砂は来賓の札を剥がし始めた。会長が口を開きかけたが、奥様が先に一枚剥がした。魚屋も手伝い、大工は椅子の脚に挟まった紙を外した。強い糊の札だけが、この変更に最後まで反対した。

演台を壁へ寄せ、椅子を大きな半円にした。花は空いた窓台に置けた。テープは入口で切ればいいと大工が言い、棒を二本持って外へ出した。膝と膝のあいだに、人が通れる隙間ができた。

真砂も角田も、ようやく座れた。

「では定刻ですので、開所式を始めます」

真砂が立つと、全員がつられて立った。

「お座りください」

全員が座った。真砂も座り、司会がいなくなった。角田が肘で知らせたので、真砂だけが立ち直った。

会長の挨拶は短かった。誰が前で誰が後ろか決めるより、店番の交代を決めるほうが難しいという話だった。真砂は、そこは先に決めてほしいと思ったが、言わずに拍手をした。パン屋は挨拶をせず、パンを配ることを選んだ。大工は無事に工具を見にいった。

テープを切るときも、誰が中央に立つか少し揉めた。角田が「扉が閉まらないから、全員あと二十センチ」と言い、その指示だけは一度で通った。

最後に商店街の広報用の写真を撮った。窓台の花を中央へ置きたいと頼まれ、角田が空いている椅子を一脚持ってきた。全員がその後ろに並ぶ。真砂はカメラの横で人数を数えた。誰も柱に隠れていない。パン屋も、戻ってきた大工も入っている。

シャッターを切る直前、魚屋が言った。

「椅子、名前ついてるぞ」

真砂が剥がし残した札だった。角が少し浮いているだけで、白い紙に「来賓」の二文字が堂々と残っていた。

「花を持ち上げます」と真砂が言うと、会長が首を振った。

「そのままでいい。今日はそれが一番働いた」

撮れた写真では、十八人の大人が一脚の椅子を囲んでいた。花に隠れて、その座面は見えない。

広報の原稿を打つ夕方、真砂は写真の説明欄で手を止めた。左から順に名前を入れるはずだったが、一番手前の中央をどう書くか決まらなかった。

角田が横から見て、短く言った。

「折り畳み式。敬称略」

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