星猫くるる HOSHINEKO KURURU

S042 明日の雨を畳む

晴れた広場で雨布をほどき、ユノとテオが水を桶に受ける。

AI が作成 / 人間が未査読 / コンセプト・ターゲット無し / 体裁が未整備 / キャラクターデザイン無し

3,070字・約7分

最後の雨布は、乾いた手で持つと鈴の音がした。

ユノは手袋を替えた。湿った指で縦糸を引けば、水がほどけ始める。新人の貯水庫番が最初に覚える決まりだった。乾いているあいだは、どれほど振っても一滴も落ちない。雨布は棚へ置くと静かになり、裏に縫い付けた木札だけが揺れた。

四十一年前、春の市で採った雨。

札にはそれだけが書かれていた。布は両腕を広げた幅ほどで、細かい灰色の縞がある。残った水の量は、目盛りの織り目で読めた。町の飲み水に回せば三日ぶん。洗濯や畑へ配る分は、もうない。

雨は二十八日降っていなかった。

庫の戸口でテオが靴の砂を落としていた。古い織機を使える最後の職人で、片方の耳が少し遠い。ユノは木札の文字を大きな声で読んだ。テオは返事をせず、布の端へ指を近づけ、触れる前に引いた。

「明日、これを開きます」

ユノが言うと、テオは戸口の明るい所へ戻った。

「今日の分は、まだあるだろう」

「今夜までです」

「山の向こうには雲がある」

「山を越えるかは、分かりません」

ユノは配水の帳面を見せた。数字の列は日に日に短くなっている。テオは読み終えても、帳面を返さなかった。

雨を布へ織るには、雨の中で織機を動かす。横糸が一往復するあいだの雨粒が布へ入り、その時に空気を揺らした音も一緒に入る。縦糸を濡らしてほどけば、水と音が戻る。一度出した雨は、空から降り直さないかぎり織り込めない。

新しい貯水庫には音を抑える織機がある。配水のたびに雷や市場の声が戻ると、夜中に町が起きてしまうからだ。この布だけは古い庫の奥へ残され、順番を後へ送られてきた。

「何が入っているんですか」

ユノが聞くと、テオは木札を指で叩いた。

「市だよ。今は広場になった所に、屋根が並んでいた。雨が降ると、天幕の端を棒で押し上げた。一気に水が落ちるから、下を通る人に声をかけた」

「鈴も?」

「菓子屋の荷車だ」

テオはそこまで言って、帳面を返した。数字の書いていない余白を親指で撫でた跡があった。

その夜、ユノは配水口の桶を数えた。一軒に一つ。名前を札へ書き、飲み水の列と共同炊事の列に分ける。パン職人は仕込みを半分にし、宿屋は風呂を休んでいた。水が必要だと説明する相手は、誰もいなかった。必要すぎて、説明が役に立たなかった。

テオの家の桶は、最後尾にあった。普通の大きさで、特別に多くも少なくもなかった。

ユノはそれを見て、庫へ戻った。布の端に乾いた指で触れると、鈴が一つ鳴った。糸をほどかなくても、端に残ったごく短い音だけは聞ける。職人が雨の種類を確かめるための仕組みだった。布の中ほどの音は、ほどくまで誰にも分からない。

「全部、聞きたいんですね」

戸口に立っていたテオへ、ユノは言った。

「何が残っているかも、まだ分からない」

「だから使いたくない?」

テオは首を振りかけ、やめた。

「母が菓子屋で働いていた。あの日も、いた。声が入っているかもしれん」

ユノは布から手を離した。聞こえるかもしれない声を、まだ聞こえる状態で持っている。その長さは、四十一年だった。

「開いたら、なくなる」

「ええ」

「水は、みんなが飲む。それでいい。だが音は、誰も聞かなければ、ただなくなる」

ユノは布を少しだけ残す案を考えた。角を切り取っておけば、そこに残った雨と音を保存できる。だが声がどの糸にあるかは分からない。端の鈴だけを残しても、テオが待っていたものを守ったことにはならない。

昔の配水記録には、同じ布を使う予定が三度書かれていた。そのたび別の雨布の番号へ訂正されている。テオが頼んだのか、前任の庫番が気を利かせたのか、理由は残っていなかった。ユノはそこを問いたださなかった。雨が豊かな年ならできたことが、今年はできない。

テオは棚の空いた所へ手を置いた。布のあった四角だけ、埃の色が薄い。

「母は、喉が渇いたと言った人を待たせるのが嫌いだった」

そう言う声には、自分を説得する疲れがあった。ユノは明日の時刻を急かさず、帳面を二人の間へ置いた。

「全部を保存する方法は、私にはありません」

テオは頷いた。知らない方法をあると言ってほしくて来たのではなかった。

ユノは帳面の後ろを開いた。予備の紙が十枚ほど残っていた。

「明日、配水を広場でしませんか。水を受ける人と、音を聞く人を分けて」

「書くのか」

「書ける人は。真似できる音なら、真似してもらう。全部は残らないけれど」

テオは長いこと紙を見た。やがて、自分は右側から聞いたほうがよい、と言った。

翌朝、広場へ樋を運んだ。布をほどく高さを一定にし、下へ大桶を置く。雨水はそのまま飲まず、いつもどおり共同の濾し場と煮沸の釜へ送る。ユノが配水手順を説明するあいだ、テオは織機の古い軸を使って布を支えた。

町の人たちは半信半疑だった。水を受け取るのに歌を覚えなければならないのかと聞かれ、ユノは違うと答えた。聞かずに帰ってもよい。聞いて分かったことがあれば、あとで教えてほしい。

最初の縦糸を濡らすと、冷たい水が筋になって落ちた。

それに遅れて、広場に雨の音が満ちた。空は青いままだった。誰も傘を開かないのに、肩へ水が当たる気がして、人々が少し身を縮めた。

荷車の鈴が鳴った。次に、布を叩く大きな水の塊。男の声が「通るぞ」と叫び、別の誰かが「そっちじゃない」と笑った。四十一年前の町は、ユノが想像していたより騒がしかった。

帳面を持った人が、書く速度を途中で諦めた。音は待ってくれない。桶へ落ちる今の水と、布から出る昔の雨が重なり、言葉の半分が聞き取れなかった。

ユノはほどく手を遅くした。雨の音も人の声も低く延びたので、すぐ元の速さへ戻した。普通に聞くには、採った時と同じ速さで布を送る必要がある。テオが黙って軸を支え、一定の間隔で指を動かした。

子供が荷車の鈴を口で真似した。隣の大人が二つ目の音が低いと教えた。パン職人は「熱いよ、端を持ちな」という声を聞き、どんな包み方をしていたのかと呟いた。

テオは右耳を布のほうへ向けていた。ユノはその顔を見すぎないようにした。

布が半分になった時、女性の声がした。

「テオ、数はあとでいいから、屋根を持って」

声は一度だけだった。返事は雨音に消えた。テオの指が止まり、軸が少し傾いた。ユノが下から支えた。

「今の」と誰かが言った。

テオは頷かなかった。笑いもしなかった。ただ、軸を持ち直した。ユノは糸を引き続けた。

残りの雨から、足音、桶のぶつかる音、くしゃみが戻った。最後の数往復は雨だけで、人の声はもうなかった。布が細い糸の束に戻ると、広場は急に静かになった。大桶の水面だけが揺れていた。

誰かが、さっきの声を書こうとした。テオは「屋根を押して、だったかもしれん」と言った。二人は違う語をそれぞれ紙へ書き、どちらか一つを消すことはしなかった。

「お母さんでしたか」とユノは尋ねた。

テオは空になった木札を外した。

「たぶんな。覚えていた声より、若かった」

その日の夕方、広場では子供たちが鈴の音を真似していた。音程は少しずつ変わり、古い市では鳴らなかった節が付いた。テオは直さず、樋を片づけていた。

ユノは貯水の帳面へ三日ぶんの量を記した。空はまだ晴れていた。四日目の欄は空白にして、明日の朝、山の集落へ水を分けてもらえるか使いを出すことを書いた。

テオはほどいた糸を乾かしていた。次の雨に使うためだ。軸を片づける前に、木札の裏へ新しく日付を書いた。何を採った布かという欄には、まだ何も書かなかった。

「次も音の出る織り方で?」とユノが聞くと、テオは広場の歌を聞いた。

「少しなら。夜中に鳴ると、皆が困るからな」

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