S055 最後の二百メートル

AI が作成 / 人間が未査読 / コンセプト・ターゲット無し / キャラクターデザイン無し / 体裁が未整備
7,401字・約15分
S055-1 S1 同じ長さ
紙の上では、一周は指先ほどの楕円になった。律はその楕円を三度なぞり、千二百という数字の下に線を引いた。実際の路はすぐ外にあり、白線と白線の間を見ようとすると顔を上げなければならない。紙なら目を伏せたまま全部を見渡せる。その違いを、まだ走っていない脚が勝手に忘れようとしていた。
晴が鉛筆の先を四百のところへ置いた。美緒の指が八百を押さえ、律は最後の千二百に自分の名前を書いた。三人の名前の下には同じ数字が並んだ。大きさまで揃えて書くと、これで相談が済んだように見える。律は自分の四百の末尾だけ少し曲がったのを直した。直しながら、揃った字に期待している自分がおかしくなった。
「四百ずつなら、同じだけ持てるね。」
晴の声を聞いて、律は最初の交代の白線へ目を向けた。一周戻ってきたところで渡す。美緒が一周、そのあと自分が一周。数え方は簡単だった。簡単な数え方を選んだことと、三人が同じ負担で済むことは、まだ別々だったが、今は別々のものを置く隙間が紙になかった。
「三人とも、無理なく走り切る。それを目標にしよう。」
美緒の指は八百の数字に残っていた。律には、自分の名前がその指のすぐ先にあるのが見えた。最後の走者という順番は、数字より少し重かった。最後に着いた自分の姿で三人の走りが終わる。そこで前の二人の分まで速く見せたい、という考えが、まだ練習の前なのに浮かんだ。美緒の言葉を聞き終えても、それはすぐには消えなかった。
路の内側に置いた青いバトンを拾った。表面は乾いていて、手のひらに冷たさが残った。律は晴へ渡した。受け渡しは、選んだ位置で待つ人へ確実に渡せばいい。三百から四百五十、七百から八百五十まで交代位置を選べるという要項は、三人とも読んでいた。今の四百と八百は規則に押しつけられた線ではない。自分たちで置いた線だった。
「交代は四百と八百。まずは、その線で一回走ろう。」
言ってから、律は紙を路の内側へ置き直した。鉛筆をその上に横たえると、三人の名前を一本の棒が横切った。目標の言葉は図に書かなかった。距離だけなら読み違えないと思ったし、言葉まで書くと、目標を守ったつもりになりそうだった。美緒と晴の靴が紙の端から離れた。律も自分の待つ場所を確かめた。
白線は路を横切っている。線そのものは誰のものでもないのに、晴が最初に走ると決まっただけで、その先の一周が晴の分に見えた。律は青いバトンの動きを目で追った。自分の脚はまだ動かない。待つ時間にも三人の走りが進むことを、最初の一歩を見るまで実感できなかった。
S055-2 S2 一つ目の五十
晴の足音が近くなるまで、律は白線を見ていた。周回路の同じ場所を使うから、第二交代を待つ律にも第一交代の終盤が見える。遠くでは一つずつだった足音が、近くでは片方だけ強くなった。晴の腕がさっきより高い。上がった腕の下で青いバトンが揺れ、晴は最後の区間で速度を落とした。律は線から足を出しかけ、まだ自分の番ではないと戻した。
晴が美緒へ渡すところは見えた。落とさず、手が離れてから美緒が走りだした。渡ったバトンだけを見れば練習はそのまま続いていた。しかし晴の最後の足音を、続いていることの中へ紛らせたくなかった。自分が走っていない間にも、誰かが余計に苦しくなる可能性がある。路の長さを見たときには持てなかった重みが、待つ脚に乗った。
美緒の青が一周して戻ってくる。律は受け手として立ち、差し出されたバトンを握った。美緒の手が離れたのを確かめてから前へ出た。最初の数歩は、待っていた分を取り戻すように脚を出したくなった。取り戻す時間など誰にも借りていないのに、身体は急ぐ理由を探していた。律はバトンを持つ手を小さく揺らし、その手に脚を合わせた。
四百を走る間、路の内側に置いた紙が一度近づき、また遠ざかった。紙の上では三本の同じ長さだったものが、実際には一度ずつしか通れない路になる。自分の足音が二つずつ揃って聞こえた。息は弾んだが、次の白線が来る前に速さを上げようとは思わなかった。千二百の終点を越え、律はバトンを持ったまま歩いて内側へ戻った。
三人が集まると、晴の靴先だけが外向きになっていた。律はその向きに意味を足さなかった。走り終えた自分にも脚の重さがあり、立ちやすい角度はさっきと違う。晴が膝に手を置いたわけでも、倒れたわけでもない。それでも終盤で速度を落とした事実は残る。何も壊れなかったことを、何も変えなくていい理由にしたくなかった。
「三百五十までは保てた。最後の五十で、腕が上がって足音も乱れた。」
律は晴の言った三百五十を図で探した。百ごとの白線の中間に、小さく指を置く。待つ場所から見えていた腕の変化と、本人の区切った距離がそこでつながった。見ていた律のほうが正確だった、と言えることではない。晴の言葉を聞いて初めて、同じ四百の中にも境目があったと分かった。
「私は四百を、抑えて渡せた。」
美緒の声は律のすぐ横から来た。晴の最後の五十を受け取っても、美緒には四百が残る。晴が遅くなった分を取り戻したという話ではなかった。律は自分も、受けたあとの一周を晴の埋め合わせにはしなかったことを思い返した。バトンが途切れなかったことと、苦しさが三人で分けられたことは同じではない。
「僕も四百は抑えて終えた。晴の最後の五十を、そのままにしたくない。」
自分の言葉を言い終えて、律は紙に触れていた指を離した。五十は削れば済む空白ではない。自分たちが千二百まで運ぶなら、どこかの線を動かした分だけ、別の誰かの線が伸びる。青いバトンを図の外へ置いた。晴の最後の足音が消えたあとも、その伸びる先だけはまだ決まっていなかった。
S055-3 S3 移した線
律は美緒が鉛筆を持つのを見た。四百の交代印が消され、三百五十の位置へ短い線が入る。紙の楕円には小さな移動だった。晴の名前に付いていた四百が三百五十になる。美緒の名前の下だけ、書き直す前の数字が残った。律には、その消されていない四百がいちばん大きく見えた。
「最初を三百五十にして、次は八百のままなら、私が四百五十になる。」
美緒は四百の末尾へ五十を足すのではなく、数字全部を消して四百五十と書いた。律はそれを見ながら、自分の四百も消せばよかったのかと思った。しかし思っただけで鉛筆に手を伸ばさなかった。晴の負担を動かす案が出たところで、すぐに自分が結論を持っていくのは違う気がした。その気が本当に聞くためのものか、楽な担当を残すためのものかは、自分でもはっきり分からなかった。
「短くしてもらいたい。でも、余った分がなくなるわけじゃないね。」
晴の言葉で律は図から顔を上げた。晴は鉛筆の消し跡を見ていた。律にも、最後の五十をそのままにしたくないと言ったとき、晴からその分を外せば話は前へ進むと思った覚えがあった。自分で言葉にしていない期待を、晴の声に指摘されたようだった。短くしてもらいたいという願いは、勝手なものに聞こえなかった。なくならないというほうの言葉が重かった。
路の白線は移動していない。移せるのは三人の交代位置であり、全体の千二百は同じ場所で終わる。律は図の八百から千二百までをなぞった。自分の分はさっき走ったとおりの一周だった。そこにはまだ、脚の感覚を想像し直す必要がない。その気楽さを手放さずに、仲間の案を公平だと思いたくなる。律は指を止めた。
美緒の四百五十は、図ならもう確かな数字だった。走れるという事実まで数字に含まれてはいない。晴から外した五十が美緒に合うかどうかを、律は美緒の顔つきから読もうとした。一度読もうとして、やめた。顔をまっすぐ上げていることは、余裕があるという報告にはならない。第一練習で本人の言葉を待ったのに、今は字の整い方で判断しそうになっている。
「四百五十はまだ分からない。一度試して、それから決めよう。」
律は八百の交代印を見た。そこを動かさないという選択にも意味がある。晴の区間を五十縮め、美緒の区間を五十伸ばす。それを一度試す。最終案を決めたのではないと、美緒の言葉が紙の外に線を引いた。分からないまま試すと分かったことは、走れるつもりで押し切るより、律にはずっと具体的だった。
鉛筆が紙の上に戻された。律は自分の名前の下をもう一度見た。同じ数字を持つ三人ではなくなったのに、まだこの案で全員が走り切れるとは言えない。最初の図より不揃いで、最初の図より決まっていないことが分かる。律は未確定の図を折らずに持った。折り目を作れば、その線も交代の印に見えそうだった。
青いバトンはさっきと同じ重さで手に乗る。紙に五十を移す間、それが重くも軽くもならなかったことが、かえって律には腑に落ちた。担当を変えるのは、物を軽くすることではない。誰の手に来るまでに、誰がどれだけ運ぶかを変える。美緒の四百五十にまだ答えがないまま、第一練習の日はそこで区切られた。
S055-4 S4 二つ目の五十
別の日に同じ路へ戻ると、律は八百の位置で待った。第一交代はそこから五十短くなっていた。晴の青が前より手前で美緒に渡る。晴の腕は受け渡しまで下がったままで、足音も片方だけ強くならなかった。律はその形を見届け、最初の線を動かした意味が一つ確かになったと思った。まだ自分へ来るまでの距離が残っていた。
美緒が受けてから四百を運んだところは、律の待つ位置より五十手前だった。そこを越えて近づいてくる肩が固く見えた。青いバトンの揺れ方も小さくなり、足音の間が揃わなくなる。律は見ていた白線から顔を上げた。第一練習で晴に起きたことと、まったく同じ身体だと言うことはできない。それでも、自分の前に残された五十が、今度は美緒の速さを落とした。
待機位置にいる律はその五十を代わりに走れない。今の図では八百で受ける。美緒が速度を落として近づき、バトンの先を差し出した。律は立ったまま受け、その手が離れてから自分の四百へ出た。走りだした瞬間に残る美緒の足音が、すぐに聞こえなくなった。それを置いていく感じがした。感じがしたからといって、速く走ることで戻れるわけではなかった。
律は四百を抑えて終えた。自分の脚は、前回の一周と比べられる。同じ路で、同じ距離だった。美緒の四百五十と比べて楽だった、と本人に代わって言える数字ではないが、自分は受けてから最後まで速さを急がずに済んだ。その範囲なら言える。千二百の線を越えて止まり、内側へ戻るときにも、次の一歩を乱さず置けた。
三人の間に図を広げた。晴の三百五十、美緒の四百五十、律の四百。文字は前回の相談のままだったが、律には美緒の数字の末尾だけが浮いて見えた。もう一度走れば違う結果になるかもしれない、という考えがかすめた。違う結果を待つ間、誰がその五十を繰り返すのか。今の図では美緒だった。図を見直すより、図に身体が合う日を待つほうへ話を逃がしたくなかった。
「三百五十なら、最後まで崩さずに渡せた。」
晴の報告を聞いて、律は最初の交代印に目を置いた。短くしたことには結果があった。そこを元へ戻せば均等になるが、最初に見た晴の足音も戻ってくるかもしれない。元の図の見た目のために、確かめたことを取り消したくなかった。
「四百までは保てた。余分な五十で肩が固まって、足音が乱れた。」
美緒が言った余分という語を、律は耳の中で区切った。千二百全体から見れば余分な距離はない。美緒の区間へ付けた五十が、本人にとって余分になったのだ。晴ができないから美緒ができる、というつながりはなかった。第一練習の四百と、今日の四百五十との間を、本人の言葉でようやく測れた。
「僕は今日も四百を抑えて終えた。次を七百五十にしたら、僕が四百五十を持てると思う。」
律は言いながら、八百の印より手前へ指を置いた。自分なら、その五十を急がず運べると思う。確実という言葉は使えなかった。四百五十を三人で試した結果はまだない。ただ、自分の息と脚に残っている感覚から引き受けようとするなら、順位まで背負うつもりになってはいけない。その条件を自分の中に残して、律は指の下の新しい位置を見た。
S055-5 S5 三つの区間
本番の日、紙の上の八百が消えた。律は七百五十に交代印を置き、自分の名前の下を四百五十へ書き直した。晴は三百五十、美緒は四百。三つを足すと千二百になる。二回の練習で苦しくなった区間は、数字の列から消えたのではなかった。最後の自分のところへ来ている。律は末尾の五十を他の字より小さくしないように書いた。
「最初は三百五十、次は七百五十。僕は四百五十を、追わずに走る。」
追わずに、と言ったところで青いバトンを見た。四組が同じ総距離を走る。本番と呼ぶだけで、その青を前の組へ近づけたくなる。追加の五十を引き受けることが、最後に何でも引き受けることへすり替わらないように、律は声に出した言葉を自分の耳で聞いた。
「私は三百五十を、最後まで渡す。」
晴が最初の印に指を置いた。律にはその指先と、消し残った四百の薄い影が見えた。四百を持つ晴ではなく、三百五十を最後まで持つ晴がここから出る。その違いを、律のほうが不足だと思わないことも必要だった。前より短い、という比較を外せば、そこにも始めから終わりまで一つの区間がある。
「私は四百。増やした分は返すけれど、間はちゃんとつなぐ。」
律は美緒の四百を見た。最初の図と同じ数字だが、途中の四百五十を消した跡がある。美緒から返ってきた分を、余裕の証明を求める荷物にしたくなかった。自分の四百五十は自分の区間で、三人の全部を代表する区間ではない。紙を内側に残し、律は七百五十の位置へ向かった。
本番が始まると、律に分かるのは目に入る走りだけになった。図は手元にない。晴の青が路を進み、最初の交代のところへ近づく。同じ周回路の内側から、晴の腕が最後まで高く跳ね上がらないのが見えた。遠くの音を細かく数えることはできない。だから一回目と同じ乱れがないと、音まで確かめたつもりにはならなかった。
晴は立って待つ美緒へバトンを渡した。美緒の手へ青が移り、その手が離れて走りだす。そこまで見えた律は、自分の待つ線へ目を戻した。自分が受ける位置は前回より五十早い。早く待てば早く終わるということではない。自分の終点は変わらず、待ち時間の外にあった五十を、これから自分の脚で通る。
美緒の走る青が近づいた。肩の揺れは受ける直前まで大きく変わらなかった。前回はそこから五十残っていた場所で、今日は自分の手を出せる。律は白線を越えて迎えに走らず、立ったままバトンを受けた。握った青に美緒の手の温かさがあった。握り直して、離れたことを確かめる。順位を見るために顔を先へ向けるより先に、自分の一歩を前へ置いた。
図に書くときには数字の増減だった五十が、手に来た瞬間には路の続きになった。受けた場所で終わるのではない。晴と美緒が運んだ七百五十の先を、自分が千二百まで運ぶ。律は大きく息を取り、いつもの四百の先にもう一つ白線の間があることを、忘れずに走りだした。
S055-6 S6 最後の二百
受け渡しの場所が後ろへ離れていった。律の手の中で青いバトンが小さく上下する。まだ四百を走るときと同じつもりになれた。脚の重さが増す前に速く進んでおけば、余った五十を先払いできるような気がした。その気を身体に渡さないため、律は次の白線までの路を見た。先払いという距離は図にも路にもなかった。
白線を越えるたび、律は自分の足音を聞き直した。バトンは残りの距離を教えない。同じ青を持っていても、受けたときから何本の線を越えたかは自分が覚えていなければならない。千の位置が近づく。ここまで来れば残り二百。自分が運んだのは二百五十で、まだいつもの四百にも届いていない。終わりが近いという感覚だけで力を出し切るのは早かった。
千の白線を越えてゴール側を見ると、二組がもう到着していた。走り終えた組のバトンは動かず、残る一組のバトンはまだ路の上にあった。律はそこで、自分たちより先に二組が終えたと知った。四組のうちの三番が、数字ではなく終わった青と動いている青の間に現れた。追えば届くという距離は、もうなかった。それでも速さを上げたい気持ちは残った。
今から走り方を大きくすれば、最後に頑張った形は見せられる。前の二人が見ているのなら、そうした形を渡したいと思う自分がいた。三番という結果を、自分が全力を出さなかった結果だと言われたくない。それは誰かに言われた言葉ではなく、律が今ここで作った声だった。晴も美緒も、その声をまだ一度も口にしていない。
律は追わずに走ると自分が言った場面を思い出した。言葉の正しさを思い出したのではない。紙の四百五十を、自分の名前の下に書いた指の位置を思い出した。引き受けたのは距離だった。順位の説明を脚にさせるためではない。息は弾んでいる。脚も軽くはない。ここから上げないことを、走るのをやめることと同じにしたくなかった。
残りの路に足を置く。歩幅を伸ばす代わりに、そのまま次の一歩を置いた。二百にはまだ何度も息をする長さがあった。ゴールを見ている間に肩が急ぎそうになると、律は青いバトンを握る手を見た。握ったまま運べている。晴の最後の五十、美緒の最後の五十を見て待っていた自分が、今は自分の最後を走っている。待っていたときの願いを、速さに変えずに済ませるまでが自分の区間だった。
千二百の線を越えた。止まってからも息が弾み、脚には四百五十の重さがあった。痛みはなく、倒れ込まずに内側へ歩けた。晴と美緒がそこで待っていた。律が二人のところへ戻ったあと、残る一組も到着した。三番は三番のままだった。三人のうち二人が終えていたところへ、ようやく最後の一人が加わった。
「三百五十、最後まで崩れなかった。」
「四百、肩を固めずに渡せた。短くしてくれて、助かった。」
晴と美緒の声を聞いて、律は自分の脚だけでは確かめられなかった分を知った。見えていた腕や肩の形が、本人の報告とつながった。
「四百五十、息は弾んだけど、最後も同じ歩幅で来られた。三番だったね。」
「三番。三人とも終えたね。」
律は紙を広げた。順位を消す理由はないし、三百五十を四百に見せる理由もない。晴の数字を丸で囲み、美緒の数字を囲み、自分の四百五十にも丸を付けた。いちばん長い数字の丸だけを大きくはしなかった。三つの丸の内側には、違う長さの線が残っていた。
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