星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

タクト編 第一章(2/2)

 白い名前のプレイヤーだった。記号だけの、この一仕事ひとしごとのために作った捨てキャラみたいな名前。装備は軽装、武器は短剣が二本。狩りの帰りという雰囲気ではなかった──と、そこまで観察をまとめられたのは、ぜんぶが終わったあとの話だ。

 実際には、一瞬だった。

 視界の端で影が滑った。短剣の初撃が、俺の背中へまっすぐ走った。

 その一閃は、俺に届かなかった。

 誰かが飛び込んで庇った、わけでもない。俺は棒立ちだった。セシリアも棒立ちだった。ただ、門を出るときに彼女がかけた「かばう」が、まだ生きていた。俺に入るはずだった一撃は、システムに拾われて、そっくりそのまま彼女へ飛んだ。

 レベル十の体力は、一撃で消し飛んだ。セシリアはその場に崩れて、動かなくなった。

 そして──男の頭上で、白かった名前が、じわりと赤に染まった。

 説明が要ると思う。俺にも一拍、要った。

 このゲームでは、白い名前の相手に先に手を出すと、その相手からの反撃は「決闘」の扱いになる。反撃で殺されても、殺した側に罪はつかない。だからPKの基本は我慢比べだ。挑発して、先に殴らせて、堂々と殺す。それでも先に殴るなら——装備ではなく、殺すこと自体に意味があるときだ。獲物を確実に仕留めて、罪ごと逃げ切るしかない。

 罪。すなわち、赤名。罪のないプレイヤーを殺した証だ。赤名は街の衛兵に襲われ、店で買い物ができず、そして死んだとき、高こう確率で装備を地面にばら撒く。要するに、全プレイヤーから見た「歩く宝箱」になる。

 あの男の獲物は、レベル五十五の俺だった。俺を仕留めそこねて、支払いだけが先に済んだ。囮にもならないはずのレベル十の盾士が張った、覚えたての「かばう」一枚のせいで。

 男が短剣を構えかまえ直す。俺は逃げた。恥も外聞もなく、自分にダッシュターボをかけ直して逃げた。ヤエスの門は曲がり角二つ向こう──この街は半分要塞みたいなもので、入口は限られている。戻る道は男の側にあった。だから南へ走った。二十五パーセントの差で、ぎりぎり捕まらない。ローブが一枚裂けた。痛い。魔物と違って、人間の攻撃は本当に痛い。

 振り切ったあとで、個人チャットが一通だけ飛んできた。

「辻バフ、もうやめとけ」

 それだけだった。返事をする義理はない。

 俺は南の小さな街──ギンザまで走り込んで、転送屋に銀貨を投げ、サクラへ飛んだ。息を吐く。ゲームで、息が上がっていた。

 種明かしは、たぶん単純だ。廃人ギルド同士の狩場争いは毎晩デッドヒートで、そこへうちのバフを受けた野良が乱入してくる。ヘイストレベル五で走り回る野良は、廃人サマにとって目障りどころの話ではない。つまりあの短剣は誰かの「警告」で、俺の辻バフは、思っていたよりずっと嫌われていた。誰の差し金かは知らない。知らないが、感心はする。俺がヤエスの安全圏から出る瞬間なんて、めったにないのだから、ちゃんと考えて張っていたわけだ。

 セシリアはサクラの復活地点にいた。

 死んだおかげで、歩くより早く帰り着いている。レベル十のデスペナルティは、あってないようなものだ。装備も無事。思えば皮肉な話で、こいつを安全に帰す方法として、あの死は五銀より安上がりだったことになる。俺はまず打った。

「ごめん。見捨てた」

 返事は少し遅れて来た。

「名誉の戦死でした」

 ……それは、そう。

 いや、実際そうなのだ。俺は説明した。あいつの仕事は俺を殺すことだった。俺は生きている。あいつは俺のかわりにレベル十を殺して、赤名という前科だけを背負った。暗殺は失敗。依頼主いらいぬしが誰であれ、報酬は出ないだろう。つまりお前のおかげで、あの襲撃はあいつの丸損で終わった。名誉の戦死という表現は、戦術的に完全に正しい。

「わたし、役に立ったんですか」

「立った。立ったから、二度とやるな」

「どっちですか」

「両方だ」

 それから俺はギルドチャットに一報を入れた。赤名一名、ヤエス南の街道。見かけたら殺していい。あいつがもう一度ログインしてくれば、装備を剥ぐチャンスだ。まあ、赤名になった捨てキャラで再ログインする間抜けは、めったにいないが。ギルドの連中の返事は速かった。

「宝箱きたw」

「装備なにつけてた?」

「短剣二本。軽装」

「渋い宝箱だなあ」

 こういう切り替えの速さが、廃人のいいところだと思う。

 ──で、だ。

 俺は復活地点のセシリアを見た。死んだばかりなのに、キャラクターが妙に上機嫌に、ぱたぱたと左右に揺れている。役に立ったと言われたのが、よほど嬉しかったらしい。

 この子は、言われたことを信じる。

 タンクは死ぬのが仕事だと誰かに聞けば、本当に死ぬ。名誉の戦死だと言えば、名誉だと思う。守ると言ったら、レベル五十五をレベル十で守る。

 危ない性質だ。危ないが──盾士としては、掛け値なしの素質だった。

「ギルド、入る?」

「わたしが、ですか」

「そう」

「ご迷惑をおかけします」

「もうかけられた。今さらだ」

 勧誘を送ると、また少し遅れて、受諾された。システムログが流れる。セシリアがギルドに加入しました。ギルドチャットが即座に湧いた。

「新人?」

「盾? 盾は正義」

「レベル10ww」

「マスター、また拾い食いした?」

 拾い食いとは何だ。俺は、街道で拾った、とだけ返した。嘘は言っていない。

 セシリアはしばらく無言だった。どこに返事をすればいいのか分かっていない顔が、画面越しに見える気がした。やがてパーティーチャットで、俺にだけ聞いてきた。

「ご挨拶したほうが、いいですか」

「短くな」

「はい」

 たっぷり一分後、ギルドチャットに文字が出た。

「セシリアです。盾士です。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」

「かたいw」

「ていねい」

「本物の新人だ」

「よろしくー」

 連中は笑っていた。悪意のない笑いだった。うちのギルドは効率の亡者の集まりのくせに、効率で拾えないものを面白がる悪癖がある。だから大手になれないのだが、だから俺は、ここを捨てる気になれない。

 歓迎が一段落すると、ギルドチャットは今夜の事件の検証に移った。廃人は事件より仕様の話が好きだ。

「てか、さっきの話まじ? かばうで初撃まるごと肩代わり?」

「事前がけが残ってたらしい」

「じゃあさ、低レベルの盾士に常時かばうさせとけば、PK除けの囮になるのでは」

「天才か?」

「低レベルならデスペナもタダみたいなもんだし」

「マスター、これ定石になるやつでは」

 なる、と俺も思う。PKの初撃は必ず一番おいしい獲物に入る。その一撃を、失うもののない捨て身の盾が吸う。合理の骨組みだけ見れば、完璧だ。

 そして、その合理の穴も分かっていた。

 セシリアも、加入したてのギルドチャットを読んでいたらしい。パーティーチャットで、俺にだけ言ってきた。

「あの。わたし、囮になりますよ」

 ほら来た。

 こいつは、囮になれと言えば、たぶん本当に一生囮をやる。レベル十のまま、俺の隣に立って、初撃を吸って、何度でも死ぬ。文句ひとつ言わずに。戦術としては正しい。正しいが、俺は、道具が欲しくて辻バフを配っているわけではない。

「やらせない。お前は立派な盾になれ」

「盾、ですか」

「レベルを上げろって意味だ。レベルが上がると、一撃じゃ死ななくなる。囮としては使い物にならなくなるけどな」

「じゃあ、今日からレベル上げます!」

「もう夜だぞ」

「学校に行かないので、大丈夫です」

 それを言われると弱い。俺も大学に行かないので、大丈夫だからだ。よくない大人おとなとよくない高校生が、よくない時間に、そろってログインしている。よくない。だが、ここはそういう場所だった。

「じゃあ一時間だけ」

 サクラ周辺の草原は、いかにも初心者向けの顔をしていた。草は明るく、道は広く、敵は丸い。犬とも狼ともつかない魔物がのそのそ歩き、夜空にはありえない大きさの月つきが浮かんでいる。

 セシリアは、それをいちいち見上げた。

「きれいですね」

「見てると殴られるぞ」

「はい」

 返事をして、また見る。魔物が寄る。慌てて盾を構える。挑発が入り、敵の注意がセシリアに向く。そこまでは、ちゃんとできる。できるのに、次の瞬間には月を見ている。

「なんで空を見る」

「月が」

「戦闘中」

「はい」

 俺は回復を投げながら、少し笑ってしまった。パーティー戦の死因はヒーラーのサボりだと踏んだが、訂正しよう。二割くらいは、こいつのよそ見だ。

 それでも、一時間でレベルは二つ上がった。

 レベルアップの光が弾けるはじけるたび、セシリアは本当に驚いた。

「上がりました! 強くなりました!」

「二レベルな」

「二レベルも、です」

 言い直された。前向きの角度がすごい。

 狩りの終わりぎわ、ギルドの火力職がひとり、様子を見にサクラへ飛んできた。名前は出さない。口が悪くて腕がいい、うちの古参だ。そいつはセシリアの動きを三分ほど黙って眺めて、一言だけ打った。

「明日、盾の向き教える」

「ありがとうございます。わたし、戦闘が下手なので、教えていただけるととても助かります」

「長いw」

 ギルドチャットに、また笑いが流れた。

 ──最後に、ひとつだけ白状しておく。

 これは、綺麗な話ではない。俺は善意でセシリアを拾ったわけではない。うちには盾が足りなかった。自分を守って死ぬ馬鹿正直な盾士が、育ったらどうなるのか見たかった。辻バフと同じだ。先行投資である。

 ただ──月を見上げて殴られるタンクが、初心者用の丸盾を構え直して、「明日もお願いします」と打ってきたとき。

 俺は、悪くない夜だと思った。

 思ってしまった時点で、投資と呼ぶには、たぶんもう少し温度が高かった。