カードアース
シックス編 第一章後編
シックス編 第一章後編
一月十一日。俺にとって、二回目のログインだった。
白い個室、白い天井。四日ぶりの身体は、思ったより覚えていた。立つ。歩ける。ロボットの歩き方は卒業できたらしい。
机のスマホには、サナナからのメッセージが積んであった。
『動画、公開した』
『伸びてる』
『十一日、ログインしたらまず見ろ』
言われたとおり、シックスログを開く。三日前の日付で、一本目の動画が上がっていた。タイトルを見て、俺はしばらく固まった。
『シックスが「体感」初セックする』
なんだこれは。
サムネイルには、噴水越しの高い空と、湯気の立つ七草がゆ。その横に極太の文字で「初セックで転びかけた」と入っている。転びかけたのは事実だ。事実なのが、いちばんたちが悪い。
玄関のチャイムが鳴って、返事をする前に開いた。もう慣れた。
「おう。見たか」
サナナだった。白い羽織めいた上着に、赤い髪には紅白の飾り紐。前は相変わらず大胆に開いていて、黒いインナーとヘソが見えている。
「見た。おい、このタイトルは何だ」
「事実だろ」
「事実の並べ方に悪意がある」
「悪意じゃない。戦略って言え。サムネも力作だぞ」
「力作の方向がおかしい」
「その方向に人が来るんだよ。ほら、コメント見ろ」
動画のコメント欄は、思ったよりずっと賑やかだった。
『体感勢の映像、初めて見た』
『景色すごいな』
『リアクションが棒』
『セックって何?』
『視点ぐるぐるしてるのに酔わない。編集うまい』
『平面で見てるのが悔しくなる動画』
『外に出たとこ、ちょっと感動した』
最後のやつを、俺は三回読んだ。
「見えてんじゃん」とサナナが言った。
「何が」
「お前が見せたいって言ったやつ。届いてる」
「……ちなみに、酔わないってのは」
「お前の視界、まるごと球で録れてるんだよ。三百六十度ぜんぶ。そのままじゃ平面のモニタで見られたもんじゃないから、オレが編集で普通の画角に直して切ってる。感謝しろ」
「してる。伸びてるのはお前の腕だな」
「半分な。もう半分は、体感ってものへの興味だ。お前にしか撮れない画なんだよ、これは」
画面の中の空は、俺が見た空より少し平たい。風もないし、噴水の音も録音の音だ。それでも、届くものは届くらしい。フォロワーの数字は、まだ三桁にもならない。ならないが、ゼロではない。ゼロではないというのは、思っていたより、ずっと大きかった。
「で、今日は本番だ」とサナナ。
「本番?」
「ライブ配信。今日は一月十一日、成人の日。成人の日のセックをやる」
「成人の日って、セックなのか?」
「そういうことにする。文句あるか」
「ない。……ないのか? 誰か文句を言う人はいないのか?」
「いない。セックはオレたちの企画だからな。何がセックかは、オレたちが決める」
行き当たりばったりにも程がある。だが、その行き当たりばったりが、なんだか妙に楽しみだった。
「三日も放置しやがって」と、サナナが俺の肩を小突いた。「コメント返しも、次の企画も、全部オレが待ってたんだからな」
「悪かった。いろいろあるんだよ、こっちも」
「知ってるよ。……いや、知らないけどな。お前、ゲームの外のことはほんと何も言わないのな」
「言うほどのことがない」
「ふーん」
サナナはそれ以上突っ込んでこなかった。会って話せれば、こういうのはたぶん、三秒で済む話なのだ。それができない俺たちは、ゲームの中で、言わないことを増やしていく。
「ほら、行くぞ。今日のボタンはこっちだ」
スマホの画面には「ライブ配信を開始」。押した瞬間から、知らない誰かに、生で見られる。
配信タイトルは、サナナがもう入れてあった。
シックスログ。『成人の日のセック——体感勢、初ライブ』。
「待機、もう三十人いるぞ」
「三十人」
俺はスマホを見た。一分後、また見た。三十二人。さらに一分後。三十五人。
「おい、一分ごとに見るな。数字は逃げない」
「逃げないが、増える」
「増えるから見るな。キリがない」
俺は息を吸って、ボタンを押した。画面に「LIVE」の文字が灯る。
「——みなさん、初めまして。シックスです。今日はカードアース3の体感プレイで、成人の日のセックをやっていきたいと思います」
言い終えて、自分の声の硬さに自分で驚いた。
「硬い」とサナナ。
「うるさい」
「でも配信者っぽい」
「ならいい」
コメントが流れ始めた。
『硬い』
『初々しい』
『動画から来た』
『サナナかわいい』
「サナナかわいい、だってさ」
「知ってる。可愛いからな」
その動じなさは、少しうらやましい。
部屋を出て、廊下を抜け、ロビーから広場へ出ると——街の色が、変わっていた。
白い石畳の上を、紅白の光がゆるやかに流れている。噴水の水面には花びらみたいな光が浮かんで、風に乗って消えていく。振袖に似た衣装の人、羽織袴の人、真新しい初期装備に紅白のリボンだけ結んだ人。ホテルの入口には新規プレイヤーらしい列ができていて、歩き方を確かめる人、地図を開く人、記念撮影をする人で、街全体が今日だけ少し浮ついて見えた。
「えー、成人の日の広場です。紅白で、かなり、キラキラしています」
「語彙」
「見れば分かるだろ」
「配信者がそれを言うな」
コメントの流れが速くなる。どうやらこの配信、サナナのツッコミ込みで一本らしい。
「で、成人の日のセックは、何をするんだ」
「新成人を探して祝う」
「どうやって見分けるんだ」
「勘だ」
俺は広場を見回して、とりあえず空を見上げた。塔の向こうに、鳥が見えた。
いや。
鳥にしては、手足がある。
「……えー、空から新成人が降ってきました」
テキトーに言った。実況というのは、間を空けないことが大事だとサナナが言っていたからだ。
コメント欄が跳ねた。
『鳥?』
『人だ』
『親方! 空から女の子が!』
『定番きた』
その人影は広場の上でぐらぐらと揺れ、噴水を避け、記念撮影の集団を避け、紅白の幕をかすめて——俺たちの数歩前に、落ちた。
「どいてどいてどいてー!」
どすん。
小柄な女の子だった。黒い髪が羽毛みたいに跳ねて、両腕から広がった翼の膜が、ばさばさと畳まれていく。着ているものは、初日のはずなのに、どう見ても初期装備ではない黒い衣装。袖に成人の日の紅白の飾り紐だけが、行事の作法みたいに結んであった。
「っと、と、と……着地、成功」
「成功なのか、今の」
「成功。転んでないから成功」
女の子は胸を張った。根拠より自信が先に立つ張り方だった。
「飛ぶの、難しいのか?」と、俺は素朴に聞いた。翼があれば飛べるものだと思っていた。
「難しいよ! だって、翼だよ? 昨日まで無かった身体だよ? 動かす筋肉、どこにあると思う?」
「……背中?」
「わかんないの! 背中のような、腕の付け根のような、もともと無い場所のような! 説明書にはね、『身体が翼を覚えるまで、二週間ほどかかります』って書いてあった。身体が覚えるって何!?」
『わかる。うちの尻尾も三日かかった』
『最初、翼と腕が同時に動くんだよな』
『畳んでるのに畳んだ気がしない現象』
コメント欄が妙に実感のこもった相槌を打った。翼や尻尾のある身体は、着るものではなく、覚えるものらしい。俺の全身がそうだったように。
サナナがスマホをのぞいて吹き出した。
「コメントすごいぞ。『落ちてきた』『今の事故?』『鳥の子かわいい』——あと『ほんとに新成人だったら笑う』」
「ねえ、今の実況、聞こえてたんだけど」と女の子が俺を見た。「なんで分かったの? あたしが新成人って」
「……え?」
「え?」
「合ってたのか」
「合ってたのかって何!? 適当に言ったの!?」
「実況は間を空けないことが大事なんだ」
「最悪の理由だ」
コメント欄が、目に見えて加速した。当たってしまったものは仕方がない。
「えーと、それじゃ、お名前を聞いても?」
「マイ。……名字とか、リアルの話は、配信では言わないことになってるから。親に言われてるの」
「ちゃんとしてるな」
「初日からそこで怒られたくないもん。——それよりあたし、あなたの動画見たよ。七草のやつ。体感勢ってどんな感じか見たくて、探して飛んできたの」
「探して、落ちてきた」
「飛んできたの」
「……ちなみに、新成人っていうのは」
「今日があたしの誕生日。今日で十八歳。カードアース3って十八歳からでしょ? だから今日、始められたの。誕生日プレゼントみたいなもんだよね」
コメント欄の流れが、一瞬で色を変えた。
『誕生日おめでとう』
『おめ』
『HBD』
『お誕生日、おめでとうございます。よい成人の日を。』
『誕生日に成人の日とか強すぎる』
『初日で配信デビューは草』
「ほら」とサナナがスマホを向けた。「祝われてんぞ、新成人」
「え、なになに……わ、ほんとだ。ありがとー!」
マイは画面に向かって、ぶんぶん手を振った。翼の膜がばさばさ鳴った。祝われ慣れていない手の振り方だった。俺は少しだけ、この配信をやってよかったと思った。まだ何もしていないのに。
「種族はバードフォークってやつでね、飛べるの。着地はまだ下手だけど、今日始めたばっかりだから。明日には上手くなってる」
自己評価の燃費がすこぶる良い。
「てか」と、サナナが素で聞いた。「翼のユニットって、機材にさらに足す純正オプションだろ? よく発売日に買えたな。オレ、値段見て笑ったぞ」
「…………おうちの事情、ってやつ」
マイは翼をすこしすぼめて、それだけ言った。いつもの燃費のいい自己評価が、そこだけ静かだった。リアルの話はしない、と本人がさっき言ったばかりである。俺たちは、それ以上聞かなかった。
「シックス」とサナナが言った。「新成人、見つけたな」
「見つけたというか、降ってきた」
「じゃ、祝うか。——それと、例のやつ、やるんだろ」
「例のやつ」
「ギルドだよ。お前、言ってたじゃんか。昔」
……ああ。
あれか。
俺は、昔——小説を書きかけていたことがある。らしい、と言うべきか。正直、断片的にしか覚えていない。異世界に行った男が、強くて可愛い女の子をいっぱい仲間にして、でっかい家でわいわい暮らす話。タイトルも決めずに、ノートの三ページ目くらいで止まっていたはずだ。
覚えているのは、それをサナナに読まれて、死ぬほど笑われたことと——「異世界ハーレム、作るんだろ」と、それから何年もからかわれ続けたことだ。
「あの小説、まだ覚えてたのか」
「一言一句な。『俺のハーレムに来ないか?』って主人公が言うんだ。三ページ目で」
「やめろ。公共の電波でやめろ」
「電波じゃない、配信だ。——で、どうする? 作るなら今だぞ。メンバーもいる」
サナナがスマホを操作すると、ギルド作成の画面が俺の側にも出た。名前の入力欄。サナナは迷いなく打ち込んだ。
ハーレム。
「そのまますぎる」
「お前の小説が悪い」
「昔の俺のせいにするな」
「じゃあ今のお前が止めるか?」
止める理由を、一応、探した。
見つからなかった。三ページ目で止まった話の続きが、こんなところで始まるなら、それはそれで悪くない気がした。
俺は決定を押した。
『ギルド「ハーレム」を作成しました』
メンバー、シックス。サナナ。二名。
俺はマイに向き直った。
「マイさん」
「なに。急にさん付け」
「ハーレムに入ってくれ」
マイは、きょとんとした。それから、堪えきれずに噴き出した。
「出会ってすぐ、それ言う!?」
「ギルド名の話だ。いま作った。ほら」
「名前が最悪なんだよ! ……でも」
マイは畳んだ翼を軽く揺すって、にっと笑った。
「面白そうだから、入る。今日始めたばっかで知り合いいないし、飛び方もまだ下手だし、体感勢の配信に混ざれるなら、得でしょ」
「計算高いな」
「新成人だからね」
「関係あるのか、それ」
『マイが、ギルド「ハーレム」に加入しました』
コメント欄が流れた。
『出会って三秒で合流』
『はやい』
『三秒は盛った』
『ギルド名は最悪』
俺は広場と、サナナと、マイを順番に映して、締めの言葉を探した。硬くない言葉を探して、結局、そのまま言うことにした。
「えー、シックスログ、初ライブでした。成人の日のセックで、新成人が空から降ってきて、ギルドができました。名前は」
「ハーレム」とサナナ。
「最悪」とマイ。
「……最悪と言いつつ、入ってくれてありがとうございます」
「どういたしまして。面白かったら居座るから」
「お手柔らかに頼む」
配信終了のボタンを押す寸前、コメントがひとつ、流れていった。
『次のセックも見る』
次、か。
次があるのだ、この配信。俺は少しだけ深呼吸して、ボタンを押した。
——足元はまだ薄いし、画面の向こうの誰かが本当にそこにいるのかは、確かめようがない。それでも、隣には二人いて、フォロワーの数字はゼロじゃない。
俺の配信は、今度こそ、始まった。