星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

タクト編 第二章(1/2)

タクト編 第二章

 まず、事務連絡から済ませよう。

 あの赤名は、結局二度とログインしなかった。うちの連中が交代でサクラの街道を張っていたが、宝箱は現れず、張り込みはただの飲み会になって解散した。健全な結末である。

 それから、セシリアのことだ。

 あの夜からざっと半年。うちの新人盾士は、驚くべきことに、一日も休まずログインし続けた。盾の向きを覚え、挑発の回し方を覚え、敵の抱え方を覚え、そして相変わらず、戦闘中に月を見た。

「見るな」

「はい。……でも今日の月、大きいです」

「大きいな。見るな」

 直らないものは個性と呼ぶことにした。レベルは五十を超えた。よそ見込みでこれなら、たいしたものだ。

 うちのギルドの夜は、だいたい平和だった。狩りに出る組、露店を冷やかす組、意味もなく噴水に登る組。ギルドチャットでは今日も、生産職が「革がない」と嘆き、火力職が「革ならさっき全部売った」と自白して処刑されかけていた。

 平和だった、のだ。

 あの「布告」が貼られるまでは。

 順を追って話そう。まず、大型アップデートが来た。目玉のひとつが、付術師の新魔法だった。

 戦域付術ふじゅつ——通常なら詠唱の要る単体付術を、戦争中だけ、無詠唱で飛ばせる新技能だった。条件は、対象が自分の画面に見えていること。そして、味方を一人ずつマウスで選ぶこと。クリックすれば即座にヘイストが入る。次をクリックすれば、次の一人にも入る。対象数の上限は、なかった。

 上限がないのと、何人にでも使えるのは、同じではない。効果時間が切れる前に、また同じ味方を拾わなければならない。百人なら百回。五百人なら五百回。敵味方が走り回る画面から味方だけを拾い続け、切れかけた順にかけ直す。運営はたぶん、小隊ひとつを手早く支援する技能のつもりで作った。五百人を維持する変人がいるとは、考えていなかった。

 これまでの俺は、二枚看板だった。メインの弓と、サブ垢の付術師。パソコンを二台並べて、右手で弓を撃ち、左手でバフを配る。廃人の嗜みというやつだ。

 目玉は、もうひとつあった。「果たし状」——ギルド同士が、申請と受諾で正式に交戦状態になれる仕組みだ。仕組みといっても、中身はあの「決闘」のギルド版である。個人の決闘と同じで、合意した相手なら、殺しても罪はつかない。赤名にならず、装備も落ちない。期限は七日。終戦は、どちらかの宣言か、時間切れ。運営が用意したのは、それだけだ。……このときの運営が何を考えていたのかは、のちに同業になってから、いやというほど分かることになる。無法のPKと赤名の宝箱だけでは、大きな抗争は捨てキャラの泥仕合にしかならない。だったら、正面から殴り合いたい連中に、正面の窓口を作ってやればいい。——その窓口を、俺たちはこの直後、想定の十倍の規模で使うことになる。

 だが、戦域付術は片手間では回らない。初期設定では、左クリックが対象選択、右ドラッグがカメラ、地面の左クリックが移動だった。そんな操作では間に合わない。俺は設定を組み替え、右手はマウスを滑らせて味方をクリックするだけにした。左手はキーボード。WASDで物見台を動き、隣のキーへ割り当てた回転と上下でカメラを振り、名簿と味方表示も指先で切り替える。弓を撃つ手は、どこにも余らない。

 弓を取るか。バフを取るか。

 俺は三日悩んで、宿の倉庫にメインの弓を仕舞った。あいつはいい弓使いだった。関東の狩場では、そこそこ名の知れた名前でもあった。その名前を、俺はここには書かない。もう俺の名前ではないからだ。

 その日から、俺の名前はタクトになった。

 サブ垢だったはずの、辻バフ配りの付術師。ヤエスのベンチの、あのタクトだ。のちに「一鯖のタクト」と呼ばれることになるのは、弓の英雄のほうではなく、ローブ一枚のこっちだった——というのは、まあ、先の話。

「タクトさんは、弓の人、やめちゃうんですか」

 セシリアには、そう聞かれた。

「やめる。戦いはバフで勝つ。俺が全員を速くすれば、うちの連合は全員が俺だ」

「ぜんいんが、タクトさん」

「気持ち悪い言い方をするな」

「タクトさんが言いました」

 言った。撤回する。

 ——で、あの布告だ。

 先に言っておくと、カードアースというゲームに、都市を「取る」仕組みはない。城もない。領地もない。税もない。果たし状は殴り合いの合意を作るだけで、勝った側に街をくれる機能なんて、どこにもない。運営が用意したのは、だだっ広い関東圏と、湧き続ける魔物と、プレイヤー同士が殴り合える自由だけだ。

 だが、自由というのは恐ろしいもので、仕組みがなくても、人間は勝手に「取る」。

 ある朝、ゲームの外——例の匿名掲示板に、一枚の書き込みが立った。名義は、北の狩場を根城にする、最大手の廃人連合。

『一か月後の土曜、ヤエスを制圧する。以後、ヤエスと周辺狩場は我々の管理下に置く。異論のある者は当日、東門へ』

 管理下、ときた。運営でもないくせに。

 書き込みと同じ朝、ゲームの中では、ヤエスに拠点を置くギルドというギルドに、果たし状が届いていた。差出人は同じ名義。つまりやつらは、実装されたばかりの新機能の使い初めを、宣戦布告でやったのだ。受けなければ戦争は成立しない。受ければ、合意の上の、罪のつかない殺し合いになる。

 だが、笑い飛ばせる話でもなかった。この世界では、「街を取る」は物理的に可能なのだ。広場を数百人で占拠する。門を見張る。気に入らない相手を、赤名を恐れない捨てキャラで狩り続ける。露店を立てさせない。狩場から締め出す。それを毎晩続ける人数と執念が連合にあれば、街は、事実上そいつらのものになる。運営に通報したところで「プレイヤー間かんのトラブル」だ。ルールのない場所では、実力がルールになる。
 もっとも、やつらはその薄汚いやり口ではなく、表玄関を選んだ。果たし状という、できたての表玄関を。宣戦して、受けさせて、正面から踏み潰す。悪役というのは本来、評判の値段が高くつく商売だが、合法の宣戦なら卑怯の誹りは受けないし、そもそも——勝者は悪役にならない。勝つ気かつきだったのだ、最初から。

 布告には、ご丁寧に「大義」まで書いてあった。曰く——ヤエスは無法のバフで、狩場も相場も壊れた。管理下に置いて、秩序を取り戻す。
 言いがかりだ、と言い切れないのが、嫌なところだった。俺の辻バフは、ヤエス周辺の野良の狩りをまるごと底上げしていた。素材は市場にあふれ、相場は下がり、速くなった日帰り組は、調子に乗って北の上位狩場まで遠征する。北の連中の目には、縄張りと稼ぎが、無料のバフにじわじわ食われていると映っていたはずだ。半分は、正しい。残りの半分——列島最大の都市を落とした連合という看板と、ヤエス周辺の回転のいい狩場は、大義の下に敷いた本音である。廃人連合というのは、名声で人を集め、人を装備に変える組織だ。看板は見栄ではなく、実利なのだ。
 それから、たぶん、俺の辻バフそのものが目障りだった。ヤエスの野良を片っ端から速くする男。……あの短剣の警告と、同じ匂いがした。

 開催日を一か月も先に予告したのは、親切ではない。見せしめには、観客が要るのだ。

「マスター、やるの?」

「やらないわけがないだろ」

 ここは俺の庭である。

 ——それから決戦までの一か月は、文化祭の前夜みたいだった。

 うちは少数精鋭だ。単独で戦争の主役は張れない。だが「戦域付術の供給元」としては、ヤエスを取られたくないどの陣営からも引く手あまただった。俺は条件のいちばんまともな中堅連合と組んだ。旗頭の大手、生産ギルド、ヤエスに露店を並べる商人たち、寄せ集めの傭兵たち。話がまとまった夜、連合の作戦会議室——という名の、誰かのギルドホームの食堂に、五十人がひしめいた。
 偵察(という名の、敵の動員書き込みの熟読)によれば、北の連合は三つの廃人ギルドを核に、総勢およそ六百。こちらは旗頭の大手から商人と傭兵までかき集めて、五百。数で負けている上に、あちらは殺し合いが本業の廃人で、こちらの半分は露店と生産が本業である。ふつうに数えれば、負ける側だった。

「では第一回、作戦会議を始める」

 議長役の大手マスターが宣言して、三分後には飯の話になった。

「敵の主力は東門から来る。自分たちで東門って言ってるからな。ここで——」

「東門っていえばさ、あそこの屋台の串アイテム、性能よくない?」

「いい。アイコンの照りが違う」

「開戦前に買い占めておくか。攻撃飯こうげきめしとして士気が上がる」

「士気て。おい、作戦」

「そうだ作戦だ。……で、なんだっけ」

 こういう会議を三回やって、作戦は二行ぎょうにまとまった。「東門で受けて、南門から刺す」。三回で二行なら、会議としては上出来のほうだと思う。

 ただし、二行にまとまるまでの過程は、なかなかひどかった。

「東門で受けるとして、受け役はどこだ」

「タクトんとこ」

「俺んとこは人数少ない」

「でもバフ元がいる。つまりタクトんとこが真ん中」

「理屈は分かるが、俺を神輿みたいに担ぐな」

「担ぐ神輿は速いほうがいい」

 議事録係が「タクト神輿」と打ち、全員がそれを保存した。俺は消せと言ったが、誰も消さなかった。ひどい民主主義である。

 食料係も決まった。なぜ戦争に食料係が要るのかというと、要るのだ。三時間の攻防戦を、人間は腹の減らないキャラクターで戦うが、椅子に座っている本体は腹が減る。ポーションより先にカップ麺を切らした連合は負ける。これは歴史が証明している。たぶん。

「開戦三十分前に席を離れるなよ」

「カップ麺のお湯は?」

「一時間前に入れろ」

「のびるだろ」

「戦争前に食え」

「緊張で食えない」

「じゃあ勝ってから食え」

「冷めるだろ」

「作戦の話をしろ!」

 作戦会議とは、人間が作戦以外のすべてを作戦に見せかけて話す儀式である。俺たちはこの儀式を、かなり真剣にやった。

 物資班は徹夜でポーションを煮込み、生産ギルドは矢を十万本納品し、うちのセシリアは——なぜか、作戦図の清書係になっていた。

「セシリア、字ぃきれいだな!?」

「地図、描くの好きなんです」

 誰かの走り書きだった戦況図が、セシリアの手で、門と通りと配置が色分けされた一枚に化けた。連合チャットに貼られたそれは「公式資料」と呼ばれて全員に保存された。本人は「お役に立ててよかったです」と五分かけて打っていた。

 その公式資料は、翌日には勝手に増殖していた。誰かが「東門待機場所」の横に屋台の位置を書き込み、別の誰かが「ここは段差で引っかかる」と赤丸をつけ、さらに別の誰かが「ここで昔、俺が振られた」と不要な情報を書いた。セシリアはそれを見て、不要な情報だけを丁寧に消し、段差には小さく「注意」と足した。

「セシリアさん、地図班に入らない?」

「盾士なので……」

「盾で地図を守る係」

「それは、何から守るんですか」

「マスターの雑な指示」

「守ります」

「おい」

 生産ギルドの工房にも顔を出した。矢十万本という数字は景気がいいが、作る側からすると狂気である。炉の前では鍛冶かじ職が「鉄が足りない」と叫び、裁縫職が「なぜ矢羽根に布を使うんだ」と叫び、木工職が「木が足りない」と叫んでいた。全部足りない。

 足りないものを足りないままどうにかするのが、MMOの戦争準備だ。倉庫に眠っていた半端な素材が吐き出され、レベルの低い弓職が「自分では使えないけど」と矢を寄付し、生産しかしていない老人みたいなプレイヤーが「若いのが戦うなら」と、誰よりも遅い足で素材を運んでいた。

 ポンタも来た。
 連合の寄せ集めに混ざっていた、後発の弓使いである。机の上にあった何かから付けたような、気の抜けた名前。腕前も、正直に言えば、気が抜けていた。遠くの敵を狙って外し、近くの敵を狙って外し、たまに当たると本人がいちばん驚いている。始めたのが遅いらしく、レベルも装備も周回遅れ。それでも毎晩、楽しそうに参加して、楽しそうに外していた。
 そのポンタが、矢を三束持ってきた。一本も品質が揃っていなかった。

「自作です」

「気持ちは受け取る。実戦では使うな」

「なぜ」

「曲がってる」

「味です」

 味のある矢は、倉庫の記念品箱に入れた。

「あの弓、大丈夫か?」と大手のマスターに聞かれたので、

「ああいうのが一人いると、場があったかくなるからいい」と俺は答えた。

 勝ちに来ているやつと、遊びに来ているやつ。戦争にはどっちも要る。前者だけの軍隊は、負けた瞬間に空中分解するからだ。

 開戦が近づくと、連合は通話ソフトで夜どおし繋がりっぱなしになった。誰かが喋り、誰かが黙々と狩り、誰かが寝落ちする。寝落ちした奴のマイクからいびきが流れ、消す権限のある奴も寝ていて、いびきのBGMで軍議が進む。うちには「寝落ち係」がいた。寝たら起こす係だ。いちばん最初に寝たのは係だった。

 母からはメールが来た。

『あんた、ちゃんと大学行ってるの?』

 行っている。今週は、二回も。

 俺は「行ってる」とだけ返した。嘘は言っていない。頻度の問題である。

 ——決戦の日が来た。

 開始一時間前、連合チャットで点呼が始まった。盾隊、よし。火力隊、よし。回復隊、よし。バフ——俺。よし。

「じゃあ全隊、配置——」

「すみませんトイレ」

「今かよ!」

「今しかないだろ!」

 正論だった。全軍が三分待った。歴史に残らない三分である。

 そして、エースがいなかった。連合最強と名高い大手の槍使いが、開戦十分前になっても現れない。通話ソフトで呼んでも出ない。チャットは静まり返り、誰かがぽつりと「寝てるな」と打った。全員が知っていた。あいつは昨日、「準備万端すぎて逆に眠れない」と騒いでいたのだ。

 結局、寝てた。

 こうして我が連合は、トイレと寝坊を抱えて、ヤエス防衛戦の火蓋を切った。

 ——戦争そのものの話をしよう。

 ヤエスは、妙な街だった。赤レンガあかれんがの駅舎みたいな建物と、現実の東京駅を知っている人間なら笑うくらい分かりやすい広場。その周囲を、竜の飾りが噛みついた城壁と四つの門が囲んでいる。改札のかわりに転送陣が並び、石畳の目地からは、季節イベントのたびに花だの雪だのが湧いた。街の東門には、城壁より一段高い物見台があった。門前の草原と、門内の大通りを一望できる。現実をそのまま写したわけではない。二〇〇四年のパソコンが頑張って作った、ファンタジー側から見た東京駅前——というより、東京駅前を城壁で囲った要塞都市だった。