天導ルリカは生まれるのを止めた
第二編 一臣編(2/2)
祖母の顔を思い出した。生地は待ってくれないよ。
ここで待っていても、誰も迎えには来ない。来ないなら、決めるしかない。
私は起き上がって、机の引き出しを探った。学院で使う帳面が何冊かあった。いちばん後ろの、白い頁の多い一冊を取った。洋燈の火を小さくして、鉛筆を持った。右手で持った。
配合表を書くときのように、書いた。
九月十五日 夜
品名 一臣さんと結ばれる
材料 一臣さんの好み(分からない。本。ほかは?)
原価 自分の悪評
ゲームでは、虐め。取り巻き。帳面を焼く。
これから一つも増やさない。
仕込み 八年
焼き上がり 十八の春
書いてから、鉛筆を止めた。
十六の男の子と、十歳の女の子だ。どちらも子どもだった。いまの一臣を、私は好きにはなれない。高校生を相手に二十四の私がどうこう思うのは、どう考えてもおかしい。
私が好きなのは、ゲームの中で二十四になった一臣だ。自分で決めて、本を貸して、用がなくなってもいる人。
今日、廊下で会った十六の男の子は、その人になる途中にいた。十歳の子どもに、本当のことを本当のまま言った。自分の読みかけの本を置いていった。手の届く高さに。
あの子が大人になる八年のあいだに、私もこの身体で大人になる。仕込むのは一臣ではない。私のほうだ。婚約者と一度も口をきかなかった令嬢を、一臣が自分で選べる人にする。
ゲームの瑠璃は、どこで間違えたのか。
一臣と話さなかった。主人公を虐めた。帳面を焼いた。
なら、話す。虐めない。焼かない。母親の帳面は、この家のどこかにある。見つけて、主人公の小野澪が学院に来たら、さっさと渡す。
そうしたら、この家はどうなるか。伯父は捕まる。この子の母親も、たぶん捕まる。
一臣の父親が捕まる、ということでもあった。
ゲームの一臣ルートでも、一臣は父親の罪を、自分の手で明るみに出す。それで父親を失う。一臣はそういう人だ。だから好きになった。私はそう考えて、その先は考えなかった。
それから、もう一つのことに気づいた。
ゲームの断罪の場面で、瑠璃が数え上げられたのは、虐めと、焼いた帳面だけではなかった。誰も口に出さなくても、皆が知っていることがあった。宗一郎が死んで、いちばん得をしたのは瑠璃だ。跡取りになって、本家を継ぐ。
虐めなくても、焼かなくても、それだけは残る。
私は原価の行の下に、小さく書き足した。
受益者
その下に、もう一行書いた。
見込み 帳面を出せば、跡取りは止められる。婚約は解かれる。この子の血は、そのまま。
残るものは、減らせない。減らせないなら、受け取らなければいい。どうやって受け取らないのかは、まだ分からなかった。八年ある。
頁の余白に、小さく貝の形の焼き菓子を描いた。店で、配合が決まった日にいつも描いていた印だ。筋を五本、扇の形に引く。祖母はそれを見るたびに、決まったね、と言った。
石盤の「パパは かえってくる」が、洋燈の横で白く見えた。明日も消さないことにした。この子が書いたものだ。
それから、『北方回航記』の上巻を開いた。栞は抜かずに、最初の頁から読み始めた。分からない言葉が、一頁に四つあった。四つとも、帳面の余白に書き写した。
次に会ったとき、訊くためだった。