天導ルリカは生まれるのを止めた
第八章 原価表(2/2)
「甘すぎません」
「甘すぎないように作ってます」
「書庫の缶のは、もっと甘くなかったです」
「あれは、本の菓子なので。別の人用です」
澪は二つ目を食べた。それから、店の奥の天火と七輪を見た。二階へ上がる梯子のような階段を見た。土間の隅に積んだ粉の袋を見た。
「天導さん」
「桐谷です、ここでは」
「……桐谷さん。お一人で、全部」
「全部です」
澪は、何か言おうとして、やめた。代わりに、ボーロの袋を大事そうに懐に入れた。
「月に一度、買いに来てもいいですか」
「毎日でもいいです」
「月に一度です。贅沢は、月に一度と決めているので」
それから澪は、裁判の話を少しした。伯父と母の調べが続いていること。一臣が、分家の商会の帳簿を全部開いて、流れた金を本家に返したこと。商会を辞めたこと。そのあと、どこへ行ったのか、誰も知らないこと。
「知らない」
「慎さんも、早瀬さんも、知りません。一臣さんは、誰にも言わずに行かれました」
私は、頷いた。
頷いて、ノートの数字のことを考えた。あと六百と少し。探してくださいとは言った。約束はいらないとも言った。あの人が、自分で決めることだった。
「桐谷さん」
「はい」
「一臣さんに、色目は使っていません。……会っていないので」
「それは、ありがとうございます」
澪は笑って、帰った。約束どおり、月に一度来た。来るたびに、五つで一銭のボーロを買って、その場で一つ食べた。
母には、五月に一度だけ手紙を書いた。三村に託した。元気でいること。菓子を焼いていること。三村から預かった三通を読んだこと。それだけを書いた。
返事は、来なかった。
*
七月に、窯を買った。
隣町のパン屋が店を閉めることになって、鉄の窯が売りに出た。天火の四倍の大きさで、下に焚き口があって、上の段と下の段に一度に天板が入る。二十四円だった。
二十四円は、なかった。
粉を買っている丸十という粉屋の主人が、立て替えると言ってくれた。月に二円ずつ、一年で返す。利子は取らない。その代わり、粉はこの先も丸十で買う。
「娘っ子に貸すのは、初めてだがね」
丸十の主人はそう言って、帳面と筆を私の前へ置いた。桐谷瑠璃。私が自分で書いた字だった。
七月十日
借 丸十 二十四円
月二円 十二回
窯が入ってから、貝の形の焼き菓子を始めた。
マドレーヌ。祖母の店で、いちばん売れた菓子だった。十二の年、一臣さんへの手紙の余白に描いて、見たことがない、と返事をもらった菓子だ。貝の形の型は、この町にはない。路地の奥のブリキ屋に絵を描いて見せて、十二個ぶん打ってもらった。ブリキ屋は、貝の筋を一本ずつ、鏨で入れてくれた。
バタは高い。一斤が一円を超える。一円あれば、卵が二十五買える。私はバタを三分の一にして、残りをラードで補った。祖母の配合から、いちばん遠くなった菓子だった。それでも、貝の形に焼き上がったのを型から外したとき、私は土間で一人、声を出しそうになった。
一つ五銭。土曜だけ。
最初の土曜は、三つしか売れなかった。次の土曜は七つ。三か月目の土曜には、十二個が昼までになくなるようになった。買っていくのは、酒屋の旦那と、表通りの洋服屋の奥さんと、給金の出た日の女工さんたちだった。女工さんたちは、二人で一つを買って、半分に割って食べた。
*
その夏には、失敗が二つあった。
梅雨の終わりに、蒸しパンに黴が出た。朝蒸したものを、夕方まで台に出しておいた。それまでは大丈夫だった。雨が三日続いて、土間の湿気が上がった日に、夕方の蒸しパンの裏に、白い点が出た。
私が気づいたのは、勘太の母親が、それを持って戻ってきたときだった。
「悪いんだけどさ」
勘太の母親は、怒っていなかった。怒っていないのが、つらかった。
その日の蒸しパンを全部捨てた。その日のぶんを買った人の家を、おしげに聞いて、一軒ずつ回った。一銭ずつ返して、頭を下げた。二十三軒あった。
その週の売上は、仕入れを下回った。
八月には、掛けが焦げついた。
紡績工場の女工さんたちには、給金の日まで掛けで売っていた。一人、給金の日の前に工場を辞めて、田舎へ帰った人がいた。マドレーヌを、四週続けて二つずつ、掛けで買っていた人だった。
四十銭。
私は、その人の顔を覚えていた。細い首の、よく笑う人だった。田舎がどこなのか、誰も知らなかった。知っていても、私は取り立てに行かなかったと思う。
丸十への返済は、七月の末に二円返して、八月は一円しか返せなかった。丸十の主人は「来月、三円でいい」と言った。九月に、三円返した。
九月三十日
借 残り 十八円
*
冬に、風邪をひいた。
十二月の初めだった。朝、窯に火を入れようとして梯子段を下りたら、足がもつれた。土間に座り込んで、しばらく立てなかった。
店を六日、閉めた。
六日のあいだ、四畳半の布団の中で、天井の染みを見ていた。窯が冷えていく音が聞こえる気がした。粉の袋が湿気る気がした。六日ぶんの売上を、頭の中で何度も数えた。数えるたびに、熱が上がった。
二日目に、おしげが粥を持ってきた。
三日目に、勘太が、自分の家の梅干しを一つ、紙に包んで持ってきた。
四日目に、酒屋の旦那が、卵を三つ置いていった。
五日目に、表通りの洋服屋の奥さんが、湯たんぽを貸してくれた。
六日目の夕方、熱が下がって、私はノートを開いた。その週の頁は、売上の欄が全部空いていた。
私は空いた欄の横に、線を一本引いて、もう一つ欄を作った。
もらった物
粥 三回(おしげさん)
梅干し 一つ(勘太)
卵 三つ(酒屋さん)
湯たんぽ(洋服屋の奥さん。返す)
書いてから、しばらく頁を見ていた。
祖母の店を一人で回していたころ、私は熱が出ても店を開けた。誰にも頼まなかった。頼めば、誰かを待つことになると思っていた。待たない、と決めたつもりで、私は、頼むこともしなかった。
この町では、頼まなくても、戸口に粥が置いてあった。
七日目に、店を開けた。勘太が一銭を握って来て、「焦げたのでいい」と言った。その日は、焦げたのがなかった。
*
十二月十八日の夜、ノートの右下の数字は、三百六十五になった。
ちょうど一年だった。
私は、この一年の頁を、最初からめくった。質屋へ行った日の頁。焦げたボーロの頁。五つで一銭に書き直した頁。貝の型。丸十の借り。黴の出た日。焦げついた掛け。もらった物の欄。十月から、土曜の頁に並ぶ、港の小僧、マドレーヌ、二。裏表紙に挟んだ包み紙。
家賃は、一度も遅れなかった。
それだけは、胸を張ってもいいと思った。十七で家を出た娘が、下町の四畳半で、十一か月、自分の焼いた菓子で家賃を払った。一銭ずつの売上で、粉を買い、炭を買い、窯の借金を返した。誰の金も受け取らなかった、とは言えない。梅干しも卵ももらった。それでも、天導の家の物は、一銭も受け取らなかった。
この包み紙の字は、やっぱり、一臣さんの字なのだろうか。
私は、その問いを、ノートの余白に書かなかった。書けば、数字の横に置くことになる。数字の横に置けば、毎晩それを見ることになる。
代わりに、貝の形の絵を、一つ描いた。
*
四月二十日、十九になった。
その朝、私はマドレーヌを一つだけ、余分に焼いた。売り物にしない一つだった。
祖母は、私の誕生日には、いつも店の売れ残りのマドレーヌに、蝋燭を一本立てた。売れ残りでごめんね、と言って。売れ残りでよかった。売れ残りがあるうちは、店があるということだったから。
蝋燭はなかったので、火のついていない付け木を一本、真ん中に立てた。
一人で食べた。
ラードの匂いが少しした。祖母の味から、まだ遠かった。一年と二か月で、少しだけ近づいた。
ノートの右下の数字は、二百四十二だった。