天導ルリカは生まれるのを止めた
第八章 原価表(1/2)
第八章 原価表
年が明けて一月の親族会で、私の身の振り方が話し合われた。
応接の長い卓に、親族会の三人と三村弁護士が座っていた。伯父の席は空いていた。母の席も。伯父が連れていかれてから、私の後見は親族会が預かっていた。私は卓の端に座らされて、三人の話を聞いていた。
案は二つ出た。
一つは、西の遠縁の家に預ける案。もう一つは、海の向こうの修道院。どちらも、調べが済むまでのあいだ、ということになっていた。どちらも、調べが済んだあとに私を帝都へ戻す話は、していなかった。
ゲームの瑠璃は、断罪のあと、海の向こうの修道院へ送られる。私は帳面を焼かなかったし、誰も虐めなかった。それでも話は、同じ場所へ向かって転がっていた。受益者という一語だけで、そこまで行ける。
「私から、一つ申し上げてもいいですか」
三人が私を見た。
「私は、この家を出ます」
白髪の大叔父が、眉を上げた。
「出て、どうする」
「働きます。下町で、菓子を焼いて売ります。天導の家の物は、何も持っていきません。名前も、使いません」
「十七の娘が」
「十八になります。四月に」
「十八でも、二十までは後見のもとにいるのだぞ」
「はい。後見は、親族会のままで結構です。住むところを、家の外にしていただくだけです。お金は一銭もいただきません。何かあったときは、三村先生にお知らせします」
三人は顔を見合わせた。
私には、三人が何を量っているのか分かった。預け先を探す手間。修道院へ払う寄進。帝都の新聞。それから、本家の血を引く娘が、罪人の母の娘として家の中にいつづけることの、居心地の悪さ。
出て行きたいと言うのなら、出て行かせればいい。そう顔に書いてあった。
「……菓子など、焼けるのか」
「焼けます」
それだけは、嘘ではなかった。
受益者であることは、減らせない。おじさまが死んで、この身体は本家の跡取りになった。その事実は、私が何をしても残る。減らせないなら、受け取らないしかない。この家にいれば、朝の粥も、冬の炭も、学院の月謝も、全部この家から出る。一日いれば、一日ぶん受け取る。
だから、出る。
三村が、卓の向こうで目を伏せた。止めもしなかったし、賛成もしなかった。親族会はその日のうちに、私の居所を「三村弁護士の知るところ」とすることに決めた。調べが済むまでの、仮の扱いとして。
*
下町の住まいは、フミが見つけてくれた。
川向こうの千鳥町に、フミの姪が住んでいる。おしげという四十すぎの人で、煙草屋をやっている。その隣が、亡くなった舅の煎餅屋で、店を閉めてから三年、空いたままになっている。店先の土間と、奥の三畳と、二階の四畳半。
「お嬢さまがお住まいになるようなところでは、ございませんよ」
フミはそう言って、私の荷物を風呂敷に包むのを手伝ってくれた。六十五になるフミの指は、節が太くて、結び目が固かった。
持っていくものは、少なかった。着物を三枚。そのうちの二枚は、質に入れるつもりだった。下着と足袋。配合表のノート。それから、銀の星の髪飾り。
「それは、お持ちになるのですね」
「これは、私の名前が彫ってある物なので。家の物じゃないです」
フミは何か言いかけて、やめた。代わりに、風呂敷の結び目をもう一度締め直した。
二月一日の朝、私は本家の裏門から出た。見送りは、フミ一人だった。正門から出なかったのは、正門には、十歳の九月の朝の記憶があるからだった。二階の窓から、大柄な男の人が振り返らずに門を出ていくのを見た。同じ門から出ると、あの朝の続きのような気がした。
私は、あの朝の続きをするために出るのではなかった。
*
千鳥町は、川の匂いがした。
路地の幅は大人が三人並べば塞がるくらいで、どの家の軒先にも鉢植えと洗濯物が出ていた。朝は納豆売りの声で始まり、昼は鋳掛屋が来て、夕方には子どもが路地を走り回る。おしげの煙草屋の前には、一日じゅう誰かが立ち話をしていた。
「あんたが、フミおばさんのとこのお嬢さん」
おしげは小柄で、声が大きかった。前掛けで手を拭きながら、私を上から下まで見た。
「お嬢さんはやめてください。瑠璃です。……桐谷瑠璃、ということにしておいてください」
「きりたに」
「桐の木の、谷です」
「へえ。どっから出てきた名前だい」
「祖母の店の名前です」
嘘ではなかった。祖母の店は、洋菓子きりたに、という。駅から商店街を三分歩いた角で、祖母が四十年やって、祖母が亡くなってからは私が一人で回していた店だ。この世界のどこにもない店の名前を、私はこの路地で名乗った。
天導の名前は、使わないと約束した。新聞には、天導家の事件が何度も載った。天導瑠璃という名前も、一度は載った。この路地で天導を名乗れば、菓子を買いに来る人より、顔を見に来る人のほうが多くなる。
瑠璃のほうは、捨てなかった。そちらは、捨てる理由がなかった。
*
二月三日に、質屋へ行った。
着物二枚で、十四円になった。一枚は七歳の正月に仕立てたもので、もう小さくて着られない。一枚は十五のときの訪問着で、母が選んだ。母が選んだほうが、九円だった。
その日のうちに、ノートの新しい頁に書いた。
二月三日
入 質 十四円
出 天火 二円八十銭
七輪 四十銭
炭 一俵 一円十銭
粉 一袋 四円
砂糖 五斤 一円
鍋・鉢・篩 一円三十銭
家賃(二月) 二円五十銭
残 九十銭
九十銭で、卵を買うと、あと何日暮らせるか。私は頁の端で計算して、途中でやめた。計算しなくても分かった。売るしかない。
この天火は、七輪の上に載せる鉄の箱だ。上と下から炭で焼く。十四の年から土曜ごとに借りた分家の天火は、港から来た上等のもので、扉に温度計の目盛りがついていた。この箱には、目盛りがない。あるのは、この鉄の箱と、七輪と、四畳半の窓から入る川風だけだった。
この町の粉屋も砂糖屋も、斤と匁で売る。祖母の配合は、私の頭の中にグラムで入っている。十歳の秋から、私はそれをノートの中で匁に直してきた。ここへ来てから、その匁を、さらに斤に直して仕入れるようになった。それでも、一度頭の中でグラムに戻さないと、どうしても味が思い浮かばない。
*
最初の日、私はボーロを四十、焼いた。
卵と砂糖と粉だけで作る、小さな丸い焼き菓子だ。バタを使わないので、原価が安い。ここで手に入るものだけで、祖母の味にいちばん近づける。そう考えた。
四十のうち、十二が焦げた。
天火は、下の炭が強すぎると底が焦げ、上の炭が弱いと表が白いままになる。この箱は、四隅が全部違う。右の奥が一番熱い。左の手前は、いつまでたっても焼けない。祖母のオーブンも、分家の天火も、右の奥が熱かった。窯というものは、どこの世界でも右の奥が熱いのかもしれない。
分家の台所でしていたように、扉を開けて手を入れて、数えた。四つで手を引いた。強すぎた。気づいたときには、もう十二個が焦げていた。
焦げた十二は、自分で食べた。焦げていないところは、祖母の味に少しだけ似ていた。
残りの二十八を、店先の台に並べた。一つ三銭と書いた紙を、横に貼った。
売れたのは、四つだった。
夕方、路地の子どもが三人、台の前にしゃがんだ。じっと見て、紙を見て、顔を見合わせて、走って行った。煙草を買いに来たおじいさんが一人、「なんだいこりゃ」と言った。
「ボーロです。卵のお菓子です」
「ぼうろ。……三銭か」
おじいさんは首を振って、煙草だけ買って帰った。
夜、四畳半で、私はノートを開いた。
二月七日
ボーロ 四十
焦げ 十二
売れ 四(十二銭)
残り 二十四
原価 一つ 八厘
一つ八厘で作って、三銭で売る。原価率は三割を切る。祖母の店で、祖母が決めていた割合だった。商店街の洋菓子店なら、それで回る。
ここは、商店街の洋菓子店ではなかった。
この路地の子どもは、一厘の飴と、二厘の煎餅を買う。一銭あれば、大当たりだ。三銭は、子どもの小遣いの一週間ぶんだった。大人は、見たことのない西洋の菓子に三銭は出さない。出すなら、知っている大福に出す。
私は、原価表を一から書き直した。
ボーロを小さくした。粒の差し渡しを半分にして、五つで一銭。粉も卵も八分の一で済む。炭と手間は減らない。原価は一つ一厘五毛。三割どころか、七割を超える。売れれば売れるほど、少しずつしか残らない。
それでも、売れないよりは残る。
書き直した頁の余白に、小さな丸を五つ描いた。一銭ぶんの、ボーロの絵だった。
*
五つで一銭にした次の日、子どもが来た。
昨日の三人のうちの一人で、七つか八つの男の子だった。握った手を台の上で開くと、汗で湿った一銭玉が出てきた。
「五つ」
「はい、五つ」
紙の袋に入れて渡すと、男の子はその場で一つ食べた。食べて、目を丸くした。二つ目を食べた。三つ目を口に入れる前に、振り返って路地の奥へ叫んだ。
「おい、うめえぞ、これ」
その日の夕方までに、ボーロは全部なくなった。
勘太という子だった。父親は車夫で、母親は内職で紙袋を貼っている。勘太はそれから毎日、一銭を握って来た。一銭がない日は、台の前にしゃがんで見ていた。見ているだけの日は、焦げたのを一つやった。焦げたのでいい、と勘太は言った。焦げたのがいい、とも言った。
二月の終わりには、黒糖の蒸しパンを始めた。これは天火が要らない。鍋と蒸籠で蒸す。一つ一銭。朝の早い車夫と、工場へ行く女の人たちが買った。三月には、カステラの切れ端を袋に詰めて、一袋三銭で売った。四角く焼いて、端を切り落として、切り落としたほうを売る。中の四角いところは、少し先の酒屋の旦那が、客へのお使い物にまとめて買ってくれた。
本の菓子は、焼かなかった。
薄く伸ばして、表に卵白を塗って、指に何も残らないように焼く、あのビスケットだ。十四の春に四回焼いて、合格をもらった。配合はノートの四月二十七日の頁にある。この路地で、本を読みながら菓子を食べる人はいない。それに、あれは一人のために詰めた配合だった。その一人が、いまはいない。
四月の家賃は、質屋の金を使わずに払えた。
ノートの頁の左側に、毎日、売上を書いた。右側に、仕入れを書いた。いちばん下に、残りを書いた。それから、頁の右下の隅に、もう一つ数字を書いた。
四月一日
家賃(四月) 二円五十銭
あと六百二十六
誰に見せるものでもなかった。十二月十八日から、一日に一つずつ減っていく数だった。
*
四月二十日の朝、三村弁護士が来た。
店先の土間で、私は蒸籠を下ろしているところだった。三村は、路地の狭さに少し驚いた顔をして、それから帽子を取った。
「十八のお誕生日に、お渡しするようにと申し付かっております」
差し出されたのは、封書だった。
「宗一郎様から。十八歳の誕生日に、瑠璃様へ」
私は前掛けで手を拭いて、封書を受け取った。三村を奥の三畳へ通して、番茶を出した。三村は、湯呑を両手で持って、何も言わなかった。
封を切った。
三通入っていた。
一通目は、遺言の写しだった。十二月に、三村が星の間で口にしたものだ。
――余、天導宗一郎、天導瑠璃を余の実子として認知す。本条項は余の死亡により効力を生ずるものとす。
日付は、瑠璃が九歳の年の十二月。
二通目は、手紙の写しだった。
――藤乃へ。
――私たちの子に、名を考えた。
――男の子なら勝手にせよ、女の子なら瑠璃としたい。瑠璃丸の瑠璃だ。船の名を人につけるのは縁起が悪いと父は言うだろうが、あの船は沈まなかった。
――銀細工屋に星を頼んだ。裏に名を彫らせる。生まれる前に彫らせるのは気が早いが、私は気が早い。
日付は、瑠璃が生まれる二か月前だった。
私は、懐に入れていた髪飾りを出した。裏を見た。「瑠璃へ」。
生まれる前に彫られた名前だった。
三通目は、母の字だった。
――宗一郎様。私はあなたに何も求めません。ただ、この子の身分だけは、あなたの手で確かにしてください。
――生きておられるうちに言えないのでしたら、せめて亡くなったときに効く紙を、三村先生へ預けてください。
――あなたは決めない人です。決めないことで、人を待たせて、待たせていることに気づかない人です。私はもう待ちません。
私は三通を膝の上に並べた。
私はもう待ちません。
母の字で、そう書いてあった。
十歳の秋、私はこの身体で目を覚まして、最初に一つ決めた。待たない。欲しいものがあるなら、自分から取りに行く。祖母の店を一人で回していたころから、私はそうしてきた。粉の値が上がれば問屋を替えた。客が減れば、次の週には品書きを変えた。待っていて良くなったことは、生地の発酵のほかに、一つもなかった。
同じ言葉を、母はこの紙に書いていた。
母は、待つのをやめて、決めない男の代わりに決めた。決めたことの先に、湖があった。桟橋の柱の、鋸の痕があった。
私も、待つのをやめた。
待たないこと自体は、たぶん、母と私で違わない。違うのは、待たないと決めたあとで、何をするかだけだった。私はそれを、この三畳の番茶の湯気の前で、ようやく言葉にできた気がした。できた気がしただけで、手の震えは止まらなかった。
「……ありがとうございました」
三村は湯呑を置いた。
「お名前のことですが」
「はい」
「親族会には、桐谷と名乗っておられると、お伝えしてあります。瑠璃のほうは」
「瑠璃は、残します。父がつけた名前なので」
三村は頷いた。頷いてから、少し言いにくそうにした。
「もう一つ、お伝えしておかねばならないことがございます。裁判は、来年の春には済むと見られております。済みましたら、親族会は、瑠璃様の身の振り方を、あらためて決めるつもりでおります」
「修道院ですか」
三村は答えなかった。答えないのが、答えだった。
「あなたは二十歳まで、後見のもとにおられます。住むところも、結婚も、後見の同意が要ります」
「知っています」
「私は、天導家の弁護士です」
「知っています」
「……ですから、これは、私が申し上げたことではありません」
三村はそう言って、帽子を手に立った。土間で、蒸籠の中の蒸しパンを一つ買って帰った。一銭だった。
その夜、ノートの右下の数字は、六百七だった。
*
五月に、澪が来た。
学院の制服ではなく、紺の木綿の着物だった。店先の台の前で立ち止まって、紙の値札を見て、それから私の顔を見た。
「本当に、お菓子屋さんでした」
「本当に、お菓子屋さんです」
「ボーロを、五つください」
一銭玉を受け取って、紙の袋に五つ入れた。澪はその場で一つ食べた。