星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

タクト編 第二章(2/2)

 予告どおり、北の連合は東門へ来た。門前の草原が六百人で埋まり、全体マップが敵味方の点で赤く染まり、詠唱の光が夜空に何十本も立ちのぼる。南門の別動隊は、まだ城内に伏せている。西の露店街は退路と補給路、北通りは予備隊の持ち場だ。四つの門が戦場なのではない。東門ひとつを守るために、街全体を使っていた。

 運営の用意したイベントではないから、開始の合図もない。誰かの最初の一撃が、そのまま開戦だった。

 俺は東門の上、物見台に立った。門前と大通りへ、味方五百人が弧を描いている。ここなら前線も、控えも、南へ走る別動隊も、画面を振れば拾える。頂上へ続く螺旋階段は、人ひとりが大盾を構えれば塞がる幅しかない。広い場所へ護衛を並べれば、その身体で俺の視界が埋まる。だから、隣に立つ護衛はセシリア一人だった。

 開始と同時に、俺はクリックした。

 一人。二人。三人。細い剣から青い光が飛び、選んだ味方の足元へ輪が灯る。次。次。次。名前を読んでいる暇はない。兜、肩、翼、ローブの裾。動く身体の、敵ではないところだけを拾う。右手でマウスを滑らせてクリックし、左手で画面と名簿を送る。戦域付術が詠唱を消す。消えた一秒を、俺は次の一人へ使う。

 一分が経つ前に、五百人目の足元へ輪が灯った。

「——うおっ、はやっ」

「なんだこれ、身体が軽い」

「全隊、加速入った! 押せ押せ!」

 連合五百人の、すべての剣が、すべての矢が、すべての回復が、四割五分速くなる。レベル九のヘイスト。戦場の音の密度が、目に見えて変わった。味方の前線が、生き物みたいにせり上がっていく。

 悪くない眺めだった。俺は一人も殴っていないのに、この戦場ぜんぶが、俺の速さで動いている。

 連合チャットは、一瞬で洪水になった。

『北通り、敵影薄い』

『南門、まだ動くなって言ったの誰だ、もう敵が見えてる』

『西の露店街、迷子三名』

『迷子は敵ですか味方ですか』

『味方』

『じゃあ放置』

『ひどい』

 広い都市を戦場にすると、人間はまず道に迷う。ヤエスに毎日いるはずの連中が、開戦した途端、見慣れた路地を全部忘れる。普段は露店の看板で覚えているからだ。戦いの夜は露店が畳まれ、焼き鳥屋がない。焼き鳥屋がないだけで、精鋭部隊が目的地を見失う。

「南門、合図まだか!」

「待て。敵が東に寄り切ってから」

「寄ってます! というか東が踏まれてます!」

「踏まれてる本人が言うな」

 俺は切れかけた輪を拾い直しながら、戦況図を見た。セシリアの色分けした通りの上を、味方の点がじわじわ移動している。南門の別動隊は、まだ伏せている。敵は東門に厚い。こちらの前線は押されているように見える。押されているように見える、というのが重要だった。

 当然、敵もすぐ気づいた。

「後衛のバフ元を殺せ」というのは、対人戦のいろはの「い」だ。このゲームの魔物は、挑発されればタンクを殴ってくれる律儀な連中だが、人間はそうではない。人間は、いちばん柔らかくて、いちばん価値のあるところへ真っ直ぐ来る。

 念のために書いておくが、敵に戦域付術がなかったわけではない。前線のあちこちで、敵の足元にも輪が灯っていた。だが、城外から城壁の内側は見えない。攻撃側の付術師が拾えるのは、自分の近くで人波に埋もれた一班か二班だけだった。高い場所へ立とうにも、東門の物見台はこちらの城壁の上である。二窓の片手間で配る連中の輪は、十数人ぶんずつ、まだらに点いた。

 あちらにいなかったのは、戦域付術を使える人間ではない。メインキャラを捨てて、付術師を本業にした人間だ。火力と装備が地位のすべてである廃人連合で、誰が好きこのんで「召使い」を本業にする?

 もっとも、仮に「召使い」に両手を捧げる覚悟をした人間がいて、付術師のレベルを上げてきたとしても、同じことができるわけではないだろう。俺には地の利があり、半年間、ヤエスを走る他人へ照準を合わせ続けた指があった。来る日も来る日もベンチに座って、ダッシュターボばかり磨いてきた変人は、この列島に一人しかいなかった。

 その一人が、防衛側にいた。

 つまり、俺のところへ来る。

 最初に来たのは、矢と、狙いを定める魔法だった。だが盾士の「かばう」は、物理的に割り込む技ではない。同じパーティーの有効距離にいるかぎり、高低差を無視して、俺へ指定された直接攻撃をセシリアへ移す。隣に立つあいつへ傷が飛び、待機していた回復役が埋めた。地面を狙う範囲魔法までは移せないから、俺は青い予兆だけをWASDで避け、クリックを続けた。

 細い青光せいこうが物見台から五百本も飛べば、付術師の居場所は隠しようがない。敵の突撃隊が、門内へ入り込んだ前線の隙間を縫い、物見台の螺旋階段へ雪崩れ込んできた。短剣、短剣、槍。三人。全員が俺だけを見ている。手を止めれば逃げられるが、止めれば古い順からバフが落ちて、前線が死ぬ。

 俺はクリックを続けた。続けながら、ちらりと横を見た。

 いた。

 開戦からずっと、俺の斜め前で影みたいに黙って立っていた、大盾の女。

「セシリア」

「はい」

「仕事だ」

「はい!」

 大盾が、突撃隊の正面に割り込んだ。

 かばう——ではない。あの夜から半年、こいつが覚えたのは、身代わりになって死ぬことだけじゃなかった。盾で受け、弾きはじき、押し返し、通路を自分の身体ひとつぶんに狭める。敵の短剣がセシリアを迂回しようとするたび、大盾が先回りして道を塞ぐ。倒しきる火力なんて、こいつには相変わらずない。ただ、俺に指一本触れさせない。それだけを、半年かけて磨いてきた。

 狩りでは、うちの最速パーティーに盾はいらない。効率が落ちるからだ。だから盾士を本気で育てるギルドは少ない。みんな分かっていなかったのだ——人間相手の戦争では、挑発の利かない戦場では、「守る」を専門にした人間がひとりいることが、どれほど反則か。

「化け物盾がいるぞ」

「回り込め——回り込めない!?」

「なんだこの女!」

 敵の突撃隊が三度崩れて、四度目は来なかった。

 俺はクリックを続けた。五百人のバフは一度も途切れなかった。東門は受けきった。南門から、うちの火力が刺さった。

 別動隊の突入は、きれいに決まった。合図は大手マスターの短い一言だった。

『焼き鳥』

 なぜその合図になったのかは、もう誰も覚えていない。だが南門の三十人は、その三文字で一斉に走った。狭い裏通りを抜け、露店街の影から敵の回復隊へ雪崩れ込む。セシリアの地図に赤で丸がついていた段差で、先頭の槍が一人つまずいた。つまずいたまま敵陣に転がり込み、結果として罠みたいに敵の足を止めた。

『南、刺さった!』

『槍が転んだ!』

『刺さったのか転んだのかどっちだ』

『転んで刺さった!』

 こういうわけの分からない成功があるから、戦争はやめられない。用意した作戦の半分は壊れ、壊れたところに人間の偶然がはまり、はまった瞬間だけ、天才の采配に見える。あとで議事録にすると、たぶん「南門別動隊、敵後衛を奇襲」とだけ書かれる。実際は、焼き鳥と段差である。

 エースは開戦二十分で飛び起きて、寝癖のまま無双した。ポンタは最後まで矢を外し続け、なぜか敵の指揮官の足元にだけ一本当てて、転ばせた。戦後、連合はこれを「奇跡の一矢」と呼んで、ポンタは三日くらい英雄だった。

 日付が変わる頃、敵の点が、潮の引くように薄くなった。

 東門の主力は崩れ、回復隊は南から潰され、指揮官は矢で転んだ。撤退の号令があったのかどうかは知らない。ただ、全体マップを埋めていた赤い点は、夜明け前には、数えるほどになっていた。誰かを全滅させたわけでもない。城の旗を折ったわけでもない。そもそも旗なんて、このゲームにはない。ただ、あいつらはヤエスを取れなかった。それがすべてだった。

 明け方、例の匿名掲示板に、短い書き込みが立った。

『本日は解散。ヤエスはくれてやる』

 負け惜しみの形をした、その夜の撤退宣言だった。

 通話ソフトが、割れた。

「「「うおおおおおおお!!」」」

 誰かが泣き、誰かが笑い、誰かのマイクがハウリングし、寝落ち係が今度こそ本当に寝落ちした。ヤエスの広場に連合五百人がなだれ込み、噴水に登り、花火めいた魔法を撃ち上げ、記念のスクリーンショットを撮った。撮影の号令で、五百人が思い思いの変な顔——変なポーズのエモートを取る。整列に二十分かかった。写真は一秒だった。

 勝って手に入ったものは、公式には、何もない。

 運営から賞状は出ない。称号もつかない。露店の場所代が下がるわけでも、転送が安くなるわけでもない。システムの上では、ヤエスは昨日と同じヤエスだ。

 それでも、翌日からヤエスの露店通りには「戦勝セール」の札が並び、屋台の串アイテムは三日間半額になり、俺のベンチには、見知らぬ連中が代わる代わる礼を言いに来た。

「あんたのバフ、戦場ぜんぶに見えたよ」

「一鯖のタクトって、あんたか」

 戦勝セールは、三日で終わらなかった。半額だった串アイテムは五日目には「戦勝記念・二本買うと一本が勝利」と意味の分からない札になり、鍛冶屋は「タクト印たくとじるしの高速修理」と称して、俺に無断で俺の名前を使った。抗議に行ったら、修理の待ち列が本当に速く流れていたので、何も言えなかった。

 生産ギルドは、曲がったポンタ矢を一本、額に入れて工房に飾った。説明書きには「この矢は敵指揮官を転ばせた可能性があります」とあった。可能性。真実を守りつつ、伝説も守る、いい言い方だった。

 セシリアの作戦図は、いつのまにか、どこかの攻略サイトに転載されていた。「ヤエス防衛戦・公式地図」と、勝手な題までついている。公式とは。セシリアは本気で困っていたが、消してほしいとも言わなかった。自分の描いたものが、ゲームの外側で、街の記憶として残っていく。その感覚を、たぶん初めて味わっていたのだと思う。

 一鯖のタクト。

 悪くない響きだった。弓を仕舞った日には、少しだけ惜しい気もしていたのだ。だが、間違っていなかった。俺の武勇伝は、俺が誰かを倒したことじゃない。あの夜、あの戦場の全員が、俺の速さで走ったことだ。

 考えてみれば、変な話ではある。運営は、都市を奪い合う仕組みなんて、ひとつも作っていない。なのに俺たちは勝手に宣戦され、勝手に連合を組み、勝手に守り抜いて、勝手に英雄になった。ルールのないところに、人間は勝手に国を作るのだ。

 この発見を、俺はずっとあとになって、二鯖という仕様へ書き直すことになる。

 ——祝勝会の夜、俺はいつものベンチにいた。

 広場ではまだ連合の連中が騒いでいる。ポンタが「奇跡の一矢」を再現しようとして外し続け、観客がそれに賭けはじめていた。平和である。

 セシリアが、隣に座った。

「今日も、月が大きいです」

「戦闘中じゃないから、好きなだけ見ろ」

「はい」

 しばらく、噴水の音だけがした。やがてセシリアは、例によってたっぷり時間をかけて、打った。

「タクトさん。わたし、今日、生まれてはじめて、じぶんの居場所で戦いました」

「学校よりか?」

「学校より、ずっと」

 俺は返事に困った。困ったので、茶化した。

「お前が守ったのは俺一人だけどな。居場所というには狭い」

「タクトさんを守れば、タクトさんが全員を速くします。だから、わたしが守っていたのは、ぜんぶです」

 ……理屈が通っていた。しかも五分かからず打ち終わっていた。成長している。

「タクトさんは」

「ん?」

「これからも、ずっと、このゲームにいますか?」

 妙な質問だと思った。いるに決まっている。俺は一鯖のタクトで、ここは俺の庭で、北の連中は「第二次」を企んでいるという噂もある。守り続ければ、この庭は俺たちの庭であり続ける。やることは山ほどある。

「いるよ。当分な」

「よかった」

 セシリアはそれだけ打って、また月を見た。

 ——「当分」なんて濁したのには、理由がある。実はこの頃このころ、掲示板の隅で、嫌な噂が転がりはじめていたのだ。いわく、戦域付術は強すぎた。いわく、次の調整で付術師は「修正」される。いわく、運営はもう決めている。

 ナーフ、というやつだ。

 俺はまだ、笑い飛ばしていた。俺を弱くしてみろ、客が減るぞ、と。運営に文句を言う側の人間は、いつだって気楽でいい。……この台詞を、数年後にそっくり自分が受け取る羽目になるとは、このときの俺は、知る由もなかったわけだが。

 それは、また別の話。

 今夜のところは、噴水と、月と、騒がしい連中と、隣で月を見ている盾がいれば、それでよかった。