星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

シックス編 第二章前編

シックス編 第二章前編

「みなさんこんばんは、シックスです。今日は二月三日、節分のセックをやっていきたいと思います」

 シックスログ、五回目のライブ配信。同接の数字は、初ライブの倍になっていた。倍と言っても知れた数だが、倍は倍だ。俺は倍という言葉を今週三回使った。

「企画はふたつ。恵方巻きチャレンジと、鬼退治です」

「恵方巻きチャレンジのルールを説明する」とサナナ。「今年の恵方を向いて、一本まるごと、無言で食べ切る。喋ったら福が逃げる。つまり配信者が、しばらく一切喋れない」

『それ配信でやるな』

『放送事故の予約』

『楽しみ』

 コメント欄は初日から容赦がない。ちなみにこの配信のコメントは記名制だ。画面には名前も出ている。出ているが、いちいち読み上げないだけで、常連の名前くらいは俺ももう覚えはじめている。

「では、いただきます」

 三人で同じ方角を向いて、太巻きにかぶりついた。

 ……。

 ………。

 無言である。当然だ。ルールだから。画面の中では、筋骨隆々の男と、赤髪の美少女と、翼の生えた小柄な少女が、三人並んで黙々と太巻きを咀嚼している。絵面だけで言えば、通報されても文句は言えない。

『シュールすぎる』

『音声どうした』

『咀嚼音ASMR配信?』

『実況しろよw』

 実況できないのがルールなのだ。サナナが片手で器用にジェスチャーを始めた。太巻きを指す。親指を立てる。うまい、の意らしい。俺も親指を立てた。実際、うまかった。酢飯の酸味と海苔の香りが来て、ちゃんと腹に溜まっていく。マイは目を白黒させながら食べている。あいつの標準デバイスだと、味はしないはずだ。それでも行事は行事である。

 そして、マイが半分ほど食べたところで、コメントが跳ねた。

『ん?』

『マイちゃん、なんか……育ってない?』

『気のせいじゃないよな?』

 見ると、マイの胸元が、開始前よりほんの少しだけ、ふっくらしていた。

 マイは無言のまま(ルールなので)、翼で自分の胸元を隠し、それから諦めて食べ続けた。完食後、開口一番。

「——ぷはっ。種族特性です! バードフォークは食べると栄養を蓄えるの! 渡り鳥だから! それ以上の質問は受け付けません!」

『なるほど?』

『なるほどではない』

『中の人も食べたら育つ?』

「そこ、種族設定をリアルに結びつけない」とサナナが即座に切った。「キャラクターの話はしていい。中の人の身体の詮索は禁止。——で、バードフォークの男はどうなるんだ?」

「胸筋がむきむきになる」

「性別を問わず、飛ぶための胸に栄養を蓄えるの」とマイ。「渡り鳥は、長い距離を飛ぶ前に胸まわりへ燃料を持つんだよ。ゲームだから、見て分かるように派手に出るの」

『急に公式設定』

『男バードフォーク作りたくなってきた』

「そっちは好きに詮索して!」

「はい、この話はここまで」とサナナが手を叩いた。「福が逃げる前に、次の企画いくぞ。鬼退治だ」

 鬼退治のルールはこうだ。事前に募集した「鬼役」一名と、俺たち三人+参加希望のリスナーで、広場の特設ステージにて豆合戦をする。豆は雑貨屋で売っている投擲アイテムで、当たると小気味よい音がして、ちょっとだけ痛い(らしい)。鬼役の体力ゲージを削り切れば、俺たちの勝ち。

 開始前に、俺は一発、試し撃ちを食らった。サナナが無言で投げた豆が、俺の額ひたいに当たった。

 ぱちん、と乾いた音がして、額で豆が跳ね、小さな痛みがチクッと走った。

「痛っ。……おい、豆、ちゃんと痛いぞ」

「そりゃ体感だからな。ちなみに痛いって言っても、上限が決まってる。豆がどれだけ束で当たっても、チクッの先には行かない仕様だ」とサナナが解説した。「そういう強さの天井は、道具の側で固定されてて、ソフトからは外せない」

「外せたら?」

「それはもう節分じゃなくて事件だ」

「鬼役はこの方です。どうぞ」

 ステージの奥から現れたのは、全身をフル強化の重装鎧で固め、赤い鬼の面をつけた大男だった。コメント欄の検証系の書き込みでおなじみの、うちの常連さんである。立候補の際のコメントは『鬼役やります。防御には自信があります』だった。

 自信は、本物だった。

 ついでに言うと、鬼役さんは開始前にコメントで律儀に申告していた。『本日、痛覚の受信は最小に設定しています。豆は心で受けます』。防具の数字だけでなく、受け取る刺激の量まで自分で決められるのが、この世界の鬼である。

「いくぞー! 鬼はー外!」

 開幕、マイが上空から急降下しつつ豆を投げた。カッ、と乾いた音がして、鬼の体力が——減らない。

「かったーい!?」

「おかしいな」と俺も投げる。カッ。減らない。ゲージが、ミリも動かない。

『草』

『鬼、防御振りすぎだろ』

『豆(投擲・物理)じゃ無理』

『これ節分じゃなくてレイドでは?』

 鬼役は面の下で明らかに笑いながら、のっしのっしと歩いてくる。俺たちは豆を投げながら後退した。完全に立場が逆である。追い詰められているのは、こちらだった。

「マイ! 豆、もっと連投しろ!」

「やだ! 豆、一袋三十銅もするんだよ!? 一粒ずつ大事に投げてるの!」

「そこ節約するな!? 経費で落ちるから!」

「経費って何!? うちのギルド、収益あるの!?」

 鋭い質問だった。ない。

 万事休す、というところで、サナナがスマホを高く掲げた。

「リスナー諸君! 参加受付、開放した! 豆は会場で配布! 来い!」

 広場の転送地点が、次々に光った。

 来るわ来るわ。振袖の人、革鎧の人、猫耳の人、明らかに寝間着の人。コメント欄の常連たちが、実体を持って会場へなだれ込んでくる。配布係のマイが「一人一袋まで!」と叫び、無視して三袋取るやつがいて、それを見た鬼役が律儀に「一人一袋です」と注意し、鬼に注意される新春の風景が生まれた。

 さらに、参加者の半分は、なぜか作戦を立てはじめた。

「前衛豆、下がりすぎないで!」

「豆に前衛も後衛もあるの?」

「あります。射程が短いので」

「回復役いりますか」

「豆まきに回復役は不要では」

「気持ちの回復役です」

 配信というより、もう広場の即席レイドだった。誰かが鬼の防御値を推測し、誰かが豆の投擲間隔を測り、検証の人本人が鬼役なのに「その投げ方だと命中補正が低いです」と敵へ助言していた。親切なボスである。

 マイは配布係として意外な才能を発揮した。一袋しか渡さない。絶対に渡さない。三袋取った人には「福は独り占めすると逃げるよ」と言い、説得された相手はなぜか反省して二袋返した。経済観念が、道徳に昇華している。

「マイ、いいぞ。その調子でうちの金庫も頼む」

「ギルマスの財布から管理するね」

「それは違う」

「違わない」

「全員、構えー——鬼はー!」

「「「そーとー!!」」」

 何十粒の豆が、一斉に鬼へ降りそそいだ。カカカカカッ、と豪雨みたいな音がして、あの鉄壁のゲージが、目に見えて削れはじめる。流れ弾が観客席にも飛んで、手袋の人は手だけを庇い、体感の人は全身で身をよじり、平面の人のコメントには『音だけ聞こえて平和』と流れた。同じ豆でも、当たる世界が人によって違う。一粒は無力でも、束になれば火力になる。鬼役は両腕で頭をかばいながら、じりじりと後退し——ステージ中央で、ゆっくりと膝をついた。

「……まいった。福には勝てん」

『鬼、いいやつ』

『名演』

『来年もやってくれ』

 拍手のエモートが広場を埋めた。俺はスマホの数字を見た。同接がどうせつが、開始時のさらに倍になっていた。今週四回目の倍である。

 ——で、その宴のさなかだった。

 コメント欄に、それは流れた。

『マイちゃんてリアル何歳? 住んでる県どこ? ヒントだけでも』

 マイの表情が、一瞬だけ止まった。

 次の瞬間、そのコメントは消えていた。名前ごと、コメント欄から存在が消えた。サナナがスマホから顔も上げずに言った。

「はい、BAN」

『はやい』

『無慈悲』

『仕事が早い』

『安心設計』

「うちはね」とサナナはコメント欄に向かって続けた。「名前を出して集まってもらってる配信だ。名前があるってことは、お互い、行儀の責任があるってことだよ。嫌なら名無しで騒げる場所が、世の中には別にある。ここはそうじゃない。それだけ」

『りょ』

『健全』

『鬼より怖いのはサナナ説』

「褒め言葉として受け取る」

 マイはほっとした顔で、余った豆を一粒、口に放り込んだ。胸元がまた少しふっくらして、慌てて翼で隠した。

 サナナはその間に、配信画面の端へ小さな注意書きを追加していた。

『個人情報の詮索禁止。キャラクターへの質問は可。中の人への踏み込みは不可』

「堅いな」と俺が言うと、サナナはスマホから目を離さずに答えた。

「堅くていいんだよ。豆は柔らかく投げて、ルールは硬く置く」

『名言風のやつ出た』

『豆は柔らかくない』

『ルール硬め、豆硬め』

『よいルールだと思います。おかげさまで、安心して笑っていられます。』

 笑いながらでも、場の線は引ける。というか、笑いながら引ける線のほうが、長持ちするのかもしれない。コメント欄はすぐにまた豆と渡り鳥と鬼の話へ戻った。戻れるのが、いい場なのだと思う。

 ——ところで、この夜、俺はひとつだけ、妙なことに気づいた。

 豆の豪雨の瞬間、誰よりも先に『鬼、右に逃げた』と書き込んだ常連がいた。画面の中で鬼が右足に重心を乗せた、まさにその刹那にだ。名前は覚えていたから、締めの雑談で軽く振ってみた。

「反応、はやすぎません? それ、人間にできる速さですか?」

『人間だよ』

 ……そうか、とだけ返した。聞きたかったのは速さのほうだったが、深追いはしなかった。以後、俺たちはこの常連を「はやい人」と呼ぶことになる。深夜でも早朝でも、いる。誤字を、見たことがない。

 ——後日。二月十四日の話を、少しだけ。

 配信のない夜、サナナがギルドホームに来て、無言で小さな箱はこを寄越した。開けると、チョコレートが入っていた。ゲーム内アイテムの、艶つやのある板チョコ。

「バレンタインのセックだ。言っとくが義理だぞ。ギルドマスターへの経費だ」

「うちに経費の概念はないってこの前このまえ」

「いいから食え」

 食った。

 苦くて、甘かった。舌の上で溶けて、香りが鼻に抜けて、それから、ちゃんと胸のあたりまで落ちてきた。

「……うまい」

「そうか」

 サナナは自分のぶんを持っていなかった。持っていても、あいつのデバイスでは味がしない。俺は少し迷ってから、口に出すことにした。

「お前のぶんまで、うまい」

「なんだそれ」

 サナナは笑った。笑って、それ以上は何も言わなかった。俺も言わなかった。ネタは真面目に語った瞬間に死ぬと、師匠に教わっているからだ。

 来月のセックは、ひな祭りらしい。