カードアース
レナティア編 第二章 曙光(3/3)
日記には、書くことがいっぱいあった。
——そして、中級試験の日が来た。
試験会場は、コーベの闘技場だった。この島の試験には、他の島とちがう名物がある、と受付の掲示に書いてあった。
いわく、この島の中級試験は「実戦形式」。受験者同士が一対一で戦う。
いわく、勝敗だけでは合否は決まらない。与えた損害が一定を超えていれば、負けても合格。
いわく、故に、両者合格を望むならば、互いに全力を尽くすこと。
「つまりね」と狸が解説した。「手加減して勝つのがいちばんダメなの。相手の合格点を奪っちゃうから。ちゃんと殴り合って、ちゃんと削り合って、二人ともボロボロになれば、二人とも受かる。……なんというか、この島らしい試験だよねえ」
「殴り合うのが、ですか?」
「本気を要求されるのが、だよ」
闘技場の待合には、受験者がずらりと並んでいた。素振りをする人。ぶつぶつと詠唱の練習をする人。装備一式を家に忘れて青ざめて走って帰る人。レナティアは三回、持ち物を確かめた。杖、よし。ローブ、よし。チャック、首まで、よし。
待合の空気は、祭りと試験のあいだだった。
壁際では、長槍のナナシが素振りをしていた。素振り、素振り、素振り。槍の穂先が毎回同じ高さを通るので、隣のナナシが少しずつ横へ避けていく。避けた先には、両手剣のナナシがいた。こちらも素振りをしている。結果、二人のあいだに、見えない危険地帯が生まれていた。
「あそこ、近づかないようにしましょう」
「うん。試験前に死ぬのは、ちょっと面白すぎるからね」
受付の横では、青ざめた受験者が係員に詰め寄っていた。
「すみません、武器だけ倉庫に置いてきたんですけど、試験って素手でも受けられますか」
『受験は可能です』
「合格は」
『可能性はございます』
「その可能性、何パーセントくらいですか」
『お客様の努力次第です』
便利な言葉だ、とレナティアは思った。狸は小声で「〇パーセントって言ってあげたほうが親切な時もあるよねえ」と言った。
別の隅では、二人組が向かい合って礼をしていた。これから敵同士になる相手なのだろう。片方が「お互い、合格しましょう」と打ち、もう片方が「はい」と返す。すぐそばで、別のナナシが「当たったら手加減なしな」と笑い、その隣のナナシが「手加減されたら落ちるからな」と真顔で返した。
本気を出すことが、相手への礼になる。変な試験だ。けれど、少しだけ分かる気もした。
レナティアは四回目の持ち物確認をした。杖、よし。ローブ、よし。チャック、やっぱり首まで、よし。
試験開始の少し前、係員が籠を持って回ってきた。
『試験用回復薬です。会場内でのみ使用可能。試験終了後に消えます。飲みすぎによる腹痛は仕様ではありませんが、苦情は受け付けません』
「腹痛、あるんですか」
「気分の問題じゃない?」
狸は自分のぶんを受け取りながら、瓶の底を光に透かした。中身は薄い桃色で、普通のポーションより少し甘そうに見える。
「これがあるから、試験は長引くんだよ。すぐ終わったら点数が足りない人が出るからね。削って、飲んで、また削って。泥仕合のための公式支給品」
「言い方が悪いです」
「じゃあ、友情を育むための糖水」
「もっと悪い気がします」
隣のナナシが、配られた瓶を五本ぜんぶ腰に差していた。ベルトの右側に三本、左側に二本。さらに自分の持ち込みらしい瓶も一本追加している。歩くたびに、ちゃぷちゃぷ鳴った。
「あの人、お腹の中が水筒になりそうです」
「勝つ気は感じるねえ」
別の受験者は、瓶の蓋を開ける練習をしていた。一回、二回、三回。四回目で蓋だけ飛んでいき、素振りをしていた長槍のナナシの足元に転がった。長槍のナナシは素振りを止めず、足先で蓋を返した。熟練の所作だった。
さらに奥では、仲間らしい二人が「先に飲む派」と「減ってから飲む派」で揉めていた。先に飲めば安心、減ってから飲めば無駄がない。どちらも正しいので、どちらも引かない。
「たぬさんはどっちですか」
「瓶を割ってでも飲む派」
「行儀が悪いです」
「生きるって、行儀だけじゃないから」
隣のナナシが、その言葉に深くうなずいた。たぶん、試験前で心が弱っていたのだと思う。
「いまの、いいこと言いました?」
「言ってない。雰囲気だけ」
試験は、戦う前から少し忙しい。
けれど、その忙しさまで含めて、少し楽しかった。
たぶん、みんな本気だったからだ。少しだけ。
組み合わせは、機械が決める。掲示板に、対戦表が張り出された。
レナティア——対——ナナシ。
ナナシは五十人くらいいたので、それだけでは誰だか分からない。分からないまま闘技場に入ると、向かいの門から、まるい影がのてのてと歩いてきた。
「……どももー」
「……たぬさん!?」
場内が、ちょっと笑った。
できすぎた組み合わせだった。名前つきの新人と、その相棒の狸。五十人もいる受験者の中から、よりにもよって。機械のくじに気が利くはずはないので、気が利いたのは、たぶん運のほうだった。
「えー、それでは、はじめ!」
銅鑼が鳴った。
鳴ったのに、狸は剣を抜かなかった。てくてくと歩いてきて、両手を広げる。
「レナちゃん、撃っていいよ。ばんばんおいで」
「え? え?」
「試験はね、まず削り合わないと始まらないの。ほら、遠慮なく」
「で、でも」
「早くしないと時間切れで二人とも落ちるよ?」
それは困る。レナティアは、おそるおそる氷の矢を放った。ぱすん。狸のお腹に当たって、体力がちょっと減った。
「いったーい。もっと来ていいよー」
「なんか、言い方が、いやです」
「注文が多い」
ぱすん。ぱすん。氷が刺さるたび、狸の体力は素直に減っていく。避けもしない。受けもしない。観客席の吹き出しが「何の儀式?」とざわつき始めた頃、狸の体力が半分を切って——狸は、自分にポーションを振りかけた。傷が、みるみる塞がっていく。
「はい。これでレナちゃんの点数は、もうたぶん合格圏。……じゃ」
狸が、剣を抜いた。
構えが、変わった。いつもの、のてっとした立ち姿が、すっと沈む。まるい身体の輪郭から、余分な揺れが消える。
「ここからは、本気だよ」
「——最初から本気出してよ!」
言い終わる前に、狸が消えた。
消えたように見えた。次の瞬間には目の前にいて、剣の腹がレナティアの肩を打った。体力が三割飛んだ。痛い。ではなくて、驚いた。あの狸が。あの、蛙に舐められて、ドラゴンに潰されて、ニワトリに逃げられていた狸が。
「ユカちゃん、タマちゃん——お願いっ!」
レナティアは杖を握り直した。ユカちゃんの光が足元いっぱいに広がって、身体の芯がぐっと太くなる。最大体力の底上げ。タマちゃんがくるくると回りだして、削られた体力を、後ろからとくとくと注ぎ足していく。
バリアヒーラー。それが、レナティアの型だった。コルセットさんのような、ぱっと傷を消す派手な回復はできない。そのかわり、まえもって「死なない身体」を組み上げる。時間をかけて備えを整えたレナティアは——ちょっとやそっとでは、倒れない。
「うわ、かったーい!?」
狸の連撃が入る。入るそばから、タマちゃんが埋めていく。氷の矢のお返しをしながら、レナティアは気づいた。狸の体力が、さっきから、削り切れない位置で止まっている。狸もポーションで粘っている。削って、埋めて、削って、埋めて。
我慢比べだ。そして我慢比べなら、備えを終えたバリアヒーラーは負けない。
「まいったなあ。純ヒーラーなら、驚かして詠唱止めれば終わりなんだけど……レナちゃんのそれ、もう完成しちゃってるもんねえ。ちまちま削っても、埋められちゃう」
狸は、ぴょんと後ろへ跳んで、距離を取った。
「よし。奥の手、いきます」
狸が、腰の後ろから——もう一本、剣を抜いた。
安っぽい、店売りの片手剣だった。それを、あの、ずっと空けていた左手に握る。
「たぬさん、その左手は、とっておきのためって……!」
「うん。だから、これは間借り。気に入った一本が来るまでの、代打ね。細くて、すらっとした剣を二本並べたら、絶対かっこいいだろ? 昔どっかで見てさ、ああいうの、一度やってみたかったんだよね」
「強いんですか、それ?」
「知らない。二刀はかっこいい。それで十分なのです。——ごめんよ左手。ちょっとだけ我慢して」
二刀流の狸は、両の剣を身体の前で交差させ、ぐっと沈み込んだ。刃に光が溜まっていく。大技の、溜め。あからさまな隙。いまのレナティアなら、詠唱の一つも差し込める——でも。
撃ち合いましょう、という意味だと分かった。
レナティアも、杖を高く掲げた。氷の精霊が、名前のないままの精霊が、ありったけの冷気を集めてくれる。会場の空気がぴんと張り詰めて、観客席の吹き出しがぴたりと止まった。
「「——いっけええええ!」」
交差剣の閃光と、特大の氷の槍が、闘技場のまんなかでぶつかった。
白い爆風。銅鑼の音。
気がつくと、レナティアは尻もちをついていた。体力は、あと一割。向かいで狸が大の字にひっくり返っている。体力、あと一ミリ。どちらも、立ってはいるうちに入らない。けれど、どちらも、ゼロではなかった。
『合格——レナティア。合格——ナナシ』
場内放送が、二人の名を続けて読み上げた。片方は名前で、片方はナナシのままだったけれど、観客席は等しく湧いた。
「二人とも受かったー! やったー!」
「うひひ……ひ……レナちゃん、つよ……」
「たぬさん! だいじょうぶですか!?」
「だいじょばない……三日徹夜の身体に、この試験は、効く……」
「むちゃのつけです」
「はい……」
大の字の狸のお腹の上に、タマちゃんがちょこんと乗って、とくとくと癒やしはじめた。頼んでいないのに、である。
「……ほら。やっぱりタマちゃん、たぬさんを覚えてます」
「えへへ。もててるー」
「精霊にもてても、しかたないです」
——二次職の儀式は、あっけなかった。
闘技場の奥の祭壇で認定を受けると、身体の中で何かがことりと組み変わる音がした。万能だった力が、一本の道に束ねられていく感じ。レナティアの選んだ二次職は、迷わなかった。精霊使い。ユカちゃんとタマちゃんの力を、もっと深く、もっと厚く。技能は「守りの祈り手」と呼ばれる備えの型へ寄せた。
ユカちゃんは、ひとまわり大きな、あたたかい光になった。タマちゃんは、尾を引いて飛ぶ、流れ星みたいな玉になった。姿は変わっても、ユカちゃんはユカちゃんで、タマちゃんはタマちゃんだった。名前を呼ぶと、前とおなじ返事のしかたで、ふるりと震える。
そのかわり、と祭壇の司祭は言った。道を選ぶとは、選ばなかった道を手放すこと。あなたの祈りは深くなるが、狭くもなる。いつか、それを思い知る日が来るでしょう——。
定型文っぽい言い回しだったので、レナティアは「はい^^」と聞き流した。思い知る日のことは、そのときに考えればいい。
狸はといえば、認定のあと、闘技場の待合で電池が切れた。
「ごめ、レナちゃ……俺、いったん、リアルで寝る……三日ぶんの徹夜が、いま来た……」
「おやすみなさい、たぬさん。おつかれさまでした」
「起きたら、お祝い、しよ……ね……」
ログアウトの光が、ふわ、と消えた。
レナティアは闘技場の石段に座って、夕方の空を見た。中級冒険者の記章が、手のひらでちいさく光っている。四つの主。金色の海。三日のくま。二本の剣。ぜんぶが、この小さな記章の中に入っている。
——コルセットさんには、あのあと一度だけ会った。
「あら、受かったの。おめでと。ね、言った通りでしょ、アタシに任せて正解だったって」
「はい。ありがとうございました」
お礼は、本心だった。レベルの階段を三日で五段も運んでもらったのは、事実だから。ただ、レナティアはそのあとに、こう続けた。
「でも、次の試験は、たぬさんと自分の足でのぼってみます。そのほうが、日記に書くことが増えるので」
コルセットさんは、一瞬、なんだか値踏みの目に戻って——それから、また、にこにこ笑った。
「変わった子ねえ。ま、いいわ。また誘ったげる。女の子同士、仲良くしましょ」
その「また」が、ずっとあとで、どんな形でやってくるのか。このときのレナティアは、知らない。
夜、目を覚ました狸と、談話室でささやかなお祝いをした。ジビエの串と、はちみつのお酒(レナティアはぶどうジュース)と、ロロさんからの差し入れの焼き菓子のアイテムを並べる。ぶどうジュースは、甘酸っぱい味がした。「今期はうちから中級が六人も出た! しかも相棒同士が同じ試合に当たって、二人そろって合格だ!」とロロさんは自分のことみたいに騒いで、スウィートの前で今日もがんばったなあ、と自分を褒めていた。
「ね、レナちゃん」
宴のはしっこで、狸がふと言った。
「レナちゃんはさ、なんで強くなりたいの?」
レナティアは、串焼きの食事モーションを止めて、少しだけ考えた。ドラゴンの下敷きになった狸。心臓が、ぎゅっとなった夜。三日ぶんのくま。いいことだもん、と言った声の平たさ。
「たぬさんを、死なせないためです。……あと」
「あと?」
「置いていかれるのも、置いていくのも、もう、いやなので」
狸は、まるい目をまるくして、それから、くしゃっと笑った。
「……そっか。じゃあ俺も、もう置いてかれないように、がんばろうかな」
「徹夜は、なしでです」
「善処しまーす」
しないな、と思った。この狸は、たぶんまた、する。
でも——それならそれで、何度でも治せばいい。あたしは中級の、守りへ寄せた精霊使いなのだから。
闘技場の記章は、その夜、日記の頁のあいだに挟まれた。頁にはこう書いてある。
『中級試験、二人とも合格。たぬさんの本気は、ちょっとかっこよかったです。ちょっとだけです』