カードアース
シックス編 第二章後編
シックス編 第二章後編
「みなさんこんばんは、シックスです。三月三日、ひな祭りのセックをやっていきたいと思います」
シックスログ、通算七回目のライブ。今夜の会場は、借り物の庭園ステージだ。ギルドホームはまだ狭すぎて、ひな壇が入らなかった。
「今日の企画は、ひな壇コスプレと、ちらし寿司の会です」
「先に言っておくが」とサナナが指を立てた。「新メンバー登場回ってのはな、伸びるんだよ。配信の鉄則だ」
「うちに新メンバーの予定はないが」
「だから伸び悩んでんだよ、うちは」
『身も蓋もない』
『経営会議はじまった』
『マイちゃんで伸びたろ』
「マイで伸びたぶんは、マイの豆ケチで相殺された」
「ちょっと!? あれは経済観念って言って!」
コメント欄は今夜も平常運転である。ちなみにマイの言い分にも一理あって、あの節分回の切り抜き動画『新成人、豆を渋る』は、うちのチャンネルでいちばん再生されている。世の中、何が当たるか分からない。
さて、ひな壇である。
運営のイベント貸出品だという七段の壇に、緋色の毛氈がかかっている。衣装も貸出で、十二単ふうのドレスから、狩衣ふうの上着まで、ひととおり揃っていた。
問題は、誰がどの段に座るかだった。
「最上段はあたしでしょ。若いし、翼あるし、華があるし」
「翼は雛人形に関係ないだろ。ここは年功序列で、オレだ」
「サナナ、自分で年功って言った? いくつなの?」
「うるさい。永遠の二十歳だ」
「あたしももう大人になったんですけど!?」
「お前は十八になりたてのペーペーだろ。大人にも年功がある」
『ない』
『大人に年功はない』
『不毛』
『最上段、空けとけば?』
最後のコメントを読んで、俺は妙に納得した。お内裏様とお雛様の段に、俺たちの誰かが座るのも、まあ、絵として微妙ではあるのだ。俺は狩衣を着せられて三段目に座らされ、鏡写しの自分を見て、七五三という言葉を思い出していた。
——と、そのときだった。
『本日もおめでとうございます。みなさま、とてもお似合いですよ』
コメント欄に、ぴしりと折り目のついた敬語が流れた。
常連さんである。うちのコメント欄で唯一、句読点まで丁寧なので、俺たちは勝手に「敬語の人」と呼んでいた。初配信の頃からずっといる。荒れかけた流れが、この人の一言でなんとなく整うことが、何度かあった。
「敬語の人、今日もいらっしゃい」とサナナが読み上げる。
『はい。いつも楽しみにしています。——ところで、今夜は、そちらに伺ってもよろしいかしら』
「ん?」
『いま、会場の外におります』
三人で顔を見合わせた。庭園の入口を振り返ると——いた。
ゆったりした白い衣をまとった、背の高い女の人だった。淡い色の長い髪が、ゆるく波打って腰まで流れている。耳のところに、ひらひらとした鰭。歩き方が、静かだった。波が寄せるみたいな歩き方だった。
「はじめまして。いつも、見ていましたよ」
声を聞いた瞬間、コメント欄の流速が、がくんと落ちた。
やわらかい声だった。やわらかいという言葉に、そのまま音をつけたような声だった。
「アーネといいます。マーフォークの、癒し手です。ふふ。画面の外から応援するのも楽しいのだけれど、今夜はおひな様が見たくて、来てしまいました」
「どうも、シックスです。えー……配信、映っちゃってますが」
「ええ。知っていますよ。いつも見ていますから」
アーネさんは、こともなげにそう言って、ひな壇を見上げた。それから、するすると壇を上がって——誰も座れなかった最上段の、お雛様の位置に、すとん、と座った。
誰も、何も言わなかった。
言えなかったのではない。言う必要がなかったのだ。座った瞬間、そこがその人の席だったとしか思えなくなった。緋色の毛氈に白い衣で、アーネさんは絵巻物みたいに収まっていた。
それだけではない。アーネさんは座る前に、通りすがりみたいな手つきで、毛氈のしわをひとつ直し、壇の横の燭台をほんの少しだけ動かしていた。たったそれだけで、借り物の庭園ステージが、急に誰かの「部屋」みたいに見えた。何が変わったのか、俺には説明できない。説明できないが、居心地というものは、たしかに変わった。あとで知ったことだが、この世界の内装というのは、見た目だけの話ではないらしい。燭台の位置ひとつで、光の当たり方と、足音の響きと、視線の逃げ場が変わる。それを全部さわれる編集機能があって、さわって「居心地」を作れる人は、ごく少ないのだそうだ。
『は、はまりすぎでは』
『最上段、決着』
『さっきの争いはなんだったのか』
「……なんか、負けた気がする」とマイ。
「年功でもオレでもなかったな」とサナナ。
「おふたりとも、お似合いよ。マイちゃんは三人官女のまんなか、サナナちゃんは、そうねえ、右大臣かしら」
「右大臣って強いのか?」
「お強いわよ、ふふ」
サナナちゃん、と呼ばれた瞬間、サナナの眉がちょっと動いたのを、俺は見た。嫌がっている感じではなかった。たぶん、呼ばれ慣れていないだけだ。
——ちらし寿司の会は、それから始まった。
アーネさんが「わたし、作りましょうか」と言って、庭園の調理台に立った。サナナの調理は三十秒のミニゲームだが、アーネさんのそれは、違った。同じミニゲームのはずなのに、工程のひとつひとつが、ゆっくり、丁寧に進む。酢飯を切る手つき。錦糸卵を散らす間合い。急がないのに、淀まない。
「うまいなあ。ミニゲームって、あんなに綺麗に回せるのか」
「回せるものなのよ。慣れと、あとは、気持ちかしらねえ」
「気持ちで手つきは変わらんだろ」とサナナが横から言った。「あれはあれだ、所作の補正。ミニゲームの操作は同じでも、アバターの手の動きは本人の癖と積み重ねで変わる。丁寧にやり続けた人の手は、丁寧に動くようになるんだよ」
「ふふ。夢のない解説ねえ」
「事実だ。……まあ、その積み重ねを『気持ち』と呼ぶなら、否定はしない」
出来上がったちらし寿司は、桶ごと絵になった。緋色の毛氈の前に並べて、四人で囲む。
俺の一口目。酢飯の甘酸っぱさ、海老の香ばしさ、卵のやさしい甘さ。腹の底に、ちゃんと届く。
「……うまい」
「ふふ。シックスくんは、おいしそうに食べるわねえ。えらいわ」
「食べただけで褒められた」
「食べることは、えらいことよ」
マイも一口食べて、胸元がふくりと育ち、慌てて翼で隠して、コメント欄が『育った』『恒例』と流れた。サナナは例によって雰囲気だけ匙を動かして、「オレのぶんまで味わえよ」と俺の桶に海老を足した。
食後、アーネさんがコメントを読み上げる流れになった。
これが、事件だった。
「『アーネさんの声、なんか右耳のうしろから聞こえる』——ふふ、読み上げの席を、そこに置いてみたの。『アーネさんの声、ずっと聞いていられる』——ありがとう。『作業しながら聞いてます』——ふふ、お仕事がんばってねえ。『なんか、眠くなってきた』——あらあら。いいのよ、眠くなったら、寝てしまって」
『寝るなよ、配信中だぞ』
『やば、まぶたが』
『子守唄か?』
『おやすみ……』
『おい、起きろ』
『先週もこの人の声で寝たんだよな(コメント欄で)』
「コメント欄で寝るな」と俺は言った。「配信の意味がない」
「いいじゃないの。眠れない夜の人が眠れるなら、配信の意味は、あるわよ」
アーネさんはそう言って、ふふ、と笑った。理屈が合っているのかどうか、よく分からなかった。分からなかったが、コメント欄には『それはそう』が三つ並んだ。
——で、だ。当然の流れとして、マイが聞いた。
「アーネさんって、リアルでは何して——」
「マイ」
サナナが短く止めた。マイが、あ、という顔をする。この世界では、中の人の話を聞くのは、行儀のよくないこととされている。誰もが好きな姿で、好きな自分でいられるのがこの世界で、その裏側を覗こうとするのは、ひな壇の裏の木組みを覗くようなものだからだ。
「ごめんなさい、いまのなし!」
「ふふ。いいのよ」
アーネさんは、まったく波立たなかった。
「わたしはね、マイちゃん。——わたしは、ここにいるだけよ」
それは答えになっていない答えだったけれど、なぜだか、それ以上聞くことが野暮に思えてしまう答えでもあった。ここにいる。たしかに、いる。ちらし寿司はうまかったし、声は眠かった。いま大事なことは、それで全部な気がした。
「アーネ」
俺は、狩衣の袖を直して、言うことにした。もう三回目なので、口が勝手に動いた。
「ハーレムに入ってくれ」
『出たww』
『三回目』
『様式美』
「ふふ」
アーネさんは、驚かなかった。
「知っていますよ。そう言ってくださるのを、待っていました」
『ギルド「ハーレム」にアーネが加入しました』
コメント欄が祝福で流れて、サナナがスマホを見て「ほら、同接跳ねた。新メンバー回は伸びるんだよ」と鼻を高くした。言った手前、俺は数字を一分ごとに見ないよう努力した。三分は保った。
——お開きの間際、アーネさんは壇の上から俺たちを見下ろして、しみじみと言った。
「にぎやかねえ。わたし、この配信のこういうところが、好きよ。……サナナちゃんは、シックスくんのことを、よく見ているのねえ。海老、足してあげてたでしょう」
「っ——あれは、編集係だからな! 素材の、栄養管理だ!」
「素材に栄養管理はいらんだろ」と俺。
「ふふ。仲良しねえ」
サナナは何か言い返そうとして、やめて、右大臣の帽子を目深にかぶり直した。コメント欄は『仲良しねえ』を今夜の流行語にした。
こうして、ハーレムは四人になった。
最上段にお雛様がいて、三人官女のまんなかに新成人がいて、右大臣が照れていて、三段目に七五三がいる。妙なひな壇だが、絵としては、悪くなかったと思う。
来月のセックは、四月。入学式らしい。誰の、とは聞かないでおく。