星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

タクト編 第三章(1/2)

タクト編 第三章

 ヤエス防衛、三連勝。

 北の連中は懲りずに三度仕掛けてきて、三度負けた。

 断っておくが、あいつらは馬鹿ではなかった。二度目の果たし状は、初戦の敗因をきちんと潰してきた。バフ元を落とせなかったから負けた——その分析は正しい。やつらは同盟内へ付術師育成の号令を出した。だが、新職を一から育て、しかも戦場では自慢のメインキャラを休ませて「召使い」に両手を捧げろと言われて、五月までに応じた精鋭はほとんどいなかった。結局、一鯖の別の辻バフ屋を大枚で一人引き抜き、暗殺班を一班から三班に増やし、開幕ではなく、こちらが消耗しきった中盤に仕掛けてきた。それでも、落ちなかった。引き抜かれた付術師も戦域付術を使えたが、東門の外から城壁越しに味方を拾うことはできず、一分で五百人を選び直すこともできなかった。覆えたのは精鋭の一角だけだった。技能は同じでも、地形と指は金では買えない。こちらはこちらで、盾の壁があの夜の一枚から三枚に増えていた。「バフ元の暗殺は盾に食われる」は、初戦のうちに定石として研究され尽くしていたのだ。おまけに、見せしめには観客が要る。観客を集めるための派手な布告と動員は、毎回、こちらへの通知でもあった。敵の「奇襲」の時刻を、俺たちは前日の掲示板で読んでいた。

 三度目までの五か月で、やつらは本当に十六人の精鋭を付術師へ乗り換えさせた。十六人ぶんの青い輪が班ごとに重なり、初戦にあった付術の穴は、ほとんど埋まった。だが、その両手は、もともと北の前線でいちばん強い剣と魔法を動かしていた両手でもある。付術師を十六人増やしたぶん、強いメインキャラが十六人、戦場から消えた。

 三度目は、そのうえでの消耗戦だった。連夜の波状攻撃で、こちらのリアルの体力を削る作戦。無職と夜勤の軍隊が相手なら、本来これがいちばん怖い。だが、こちらには五百人がいた。毎晩の辻バフ半年ぶんの野良と、店を焼かれたくない商人と、金で来て義理で残った傭兵。五百人いれば、三交代が組める。ヤエスは全員の市場だから、防衛は義理でなくても、損得で成立する。一方の北連合は、二連敗で看板にひびが入っていた。名声で人を集める軍隊は、名声が剥げると兵隊から溶けていく。三週目には、あちらの夜の動員は半分になっていた。

 宣戦布告の書き込みは回を追うごとに短くなり、三度目のあとは、もう立たなかった。士気というのは、文字数に出るのだ。俺たちの庭は、俺たちの庭のままだった。

 あとになって整理すれば、勝ち続けた理由は五つある。戦域付術を五百人へ回せる人間が、世界にひとりしかいなかったこと。守る専任の盾と、正確な地図と、カップ麺の補給線があったこと。半年、毎晩配った辻バフが、五百人の義勇兵になって返ってきたこと。敵の派手な布告が、毎回こちらへの予告になっていたこと。それから、地の利。——敵は毎回、前の敗因をちゃんと潰してきた。それでも勝てなかったのは、こっちの勝因のほとんどが、狩っても、買っても、引き抜いても手に入らない種類のものだったからだ。

 その祝勝会の翌朝に、告知は来た。

『バランス調整のお知らせ——付術師の戦域付術について、同時維持数を六十四人へ調整いたします』

 調整、という言葉を選ぶあたりが、もう気に食わなかった。六十四は調整ではない。五百人を八つに切り分ける、切断である。

 六十四人なら、凡人でも八人揃えれば五百人へ届く。北が三戦目に並べた十六人の「精鋭召使い」には花を持たせ、こちらにも七人ぶんの付術師を育てさせる。両軍の数を揃え、そのぶん追加のアカウントも買わせる——俺には、そういう数字に見えた。

 俺は要望フォームに長文を書いた。掲示板にも書いた。書きながら、我ながら見事なお客様ぶりだと思ったのを、覚えている。曰く——俺の職を強くしろとまでは言わない、だが弱くする理由がどこにある。曰く——一人が五百人を維持できるのが強すぎて戦争が大味になった? だったらどうやって全員を納得させるかを考えるのが、ゲームデザイナーの仕事だろう。お前らが考えろ。俺はカネを払っている客だぞ。

 いま思えば、ひどい客だ。

 この台詞が、数年後、そっくりそのまま俺の机に返ってくることになる。それも毎朝、何百通も。……が、それはまだ先の話。このときの俺は正しくただしく怒れるいかれる消費者であり、正しく怒れる消費者ほど手に負えない生き物はいない。

 運営の回答は、テンプレートだった。貴重なご意見ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます。参考にする気のないときの定型文である。俺は頭に来て、ヤエスの広場のど真ん中で宣言した。

「次のアップデートでナーフが入ったら、俺は引退する」

 一鯖のタクトの引退宣言は、その晩のうちに掲示板のお祭りになった。「運営に喧嘩を売った男」「引退詐欺に一票」「タクトがいないヤエスに価値かちはあるのか」。他人事だと思って、みんな好き放題である。

 母からはメールが来た。

『あんた、また何かで一位になったんだって? お母さんはゲームのことは分からないけど、ご飯は食べなさい』

 情報の出所でどころが謎だった。俺は「食べてる」と返した。半分噓である。

 ——問題は、セシリアだった。

 宣言の晩、あいつはヤエスのベンチの横に、長いこと棒立ちしていた。長文を打っているときの棒立ちだ。俺は五分待った。

「引退したら、タクトさんとは、もう、ここで会えなくなりますか」

 五分でその一行なら、書いては消してを、ずいぶん繰り返したのだろう。

「まだ引退するとは言ってない。ナーフが入ったら、の話だ」

「入ったら、会えなくなりますか」

「……ゲームの外でも、連絡くらい取れるだろ」

「ゲームの外のわたしは、なにも持ってないです」

 俺は返す言葉に困った。学校に行っていない高校生にとって、この世界がどういう場所なのか。分かっていたつもりで、たぶん半分も分かっていなかった。

 セシリアはそれから、また長いこと棒立ちして、妙なことを打った。

「タクトさん。わたしの父に、会ってもらえませんか」

「は?」

「父が、タクトさんに会いたいそうです。……あの、わたし、ずっと言ってなかったことが、あります」

 そうして俺は、一年半越しに、いくつかの種明かしを食らうことになった。

 いわく、セシリアの父親は、町の店や工場に業務システムを納める、小さなソフトウェア会社の社長である。

 いわく、「ラピス・オンライン」という2Dのオンラインゲームは、その会社が見よう見まねで始めた社内ベンチャーだった——CE1にごっそり客を取られて、去年、無期限休止にするまでは。

 いわく、セシリアが平日の昼間から高性能のパソコンでゲームをしていられたのは、それが父親の商売道具だったからである。

 そして、いわく。

「わたしがはじめてヤエスに行った日……あれは、父と、けんかした日なんです。父が、敵のゲームなんか遊ぶなって言うから、わたし、言い返しました。遊びもしないで負けた気になってるほうが、ずるいって。それで、それなら敵のいちばんすごい人を見てきますって、家を出て——」

「……レベル十で、魔物を引き連れて、俺のところに来たわけか」

「はい。いちばん有名な人のところに」

 世間知らずか、と、あのとき俺は言った。訂正しよう。世間知らずの家出娘は、敵情視察の斥候だったのだ。しかも父親を論破した帰りである。おそろしい斥候もいたものだった。

 ——セシリアの父親とは、ゲームの中で会った。

 正確には、止まっているはずのラピス・オンラインの、テスト用サーバの中で。招待のメールに書かれた手順でログインすると、そこは、見下ろし視点の、ドット絵の世界だった。

 二頭身のキャラクターが、タイル張りの草原に立っている。木は四方向から見ても同じ木で、水面はドットが三枚でちらちら揺れて、空はない。画面の上のほうが、ちょっと明るいだけだ。

 CE1に慣れた目には、何もかもが平べったかった。

 平べったくて——妙に、あたたかかった。

「おお、来たか! ようこそ! いま迎えに行く!」

 画面の端から、二頭身の商人ふうキャラが歩いてきた。歩いてきて、通り過ぎ、木に引っかかり、逆方向に歩き出し、川に落ちた。

「……社長?」

「すまん! 操作を忘れた! わしは作るほうの人間で、遊ぶのはからっきしなんだ!」

 自社のゲームで迷子になる社長を、俺は川から引き上げた。二頭身でも、この親子は妙なところが似ていた。

 社長の話は、率直だった。本業は受託開発。月ごとに売上が立つオンラインゲームが伸びると若い社員に勧められ、ゲームに詳しくないまま、社内に小さな開発部を作った。それがラピス・オンラインだった。二〇〇二年の春に開けて、足かけ四年。海の向こうの有名な見下ろし2Dに憧れて作った、亜流も亜流。ゲームの歴史に名前の残る玉ではない。それでも最盛期は、同時接続で二千人いた。CE1が出て、一年で客が三分の一になった。フル3Dの、あの世界。そりゃあ流れるさ、と社長は笑った。

 客が減るより先に、作った人間が疲れた。中心だった三人が「本業に戻してくれ」「もう辞めたい」と順番に申し出た。社長はひとを切って赤字を残す代わりに、課金を止め、サーバを閉じた。本業の会社も家計も傾いてはいない。借金も私財の穴埋めもない。ただ、世界のデータとコードと、休止中と書いた告知だけが、本業の倉庫で持て余されていた。

「だがな、タクトくん。わしはまだ、このゲームの葬式を出しとらんのだ」

「……あんたはどうして、サービスを終了したんだ? 続ける道は、なかったのか」

「金と、人だよ。サーバ代は払えても、運営する人間がいなくなった。義理や意地で社員は椅子に縛れん。——だがな、休止告知を出した日、何が起きたと思う? 過去最多の同時接続だ。四年で一度も見たことのない数字が、最後の日に出た。ビジネスになる証拠とは言わん。それでも、ここに戻りたい人がいる証拠には見えた」

 休止の日だけ満員になる。どこの世界でも聞く話だ。聞く話だが、閉じる側として食らうのは、初めてなのだろう。二頭身の社長は、ドットの顔のくせに、ひどく疲れた顔に見えた。

「もういちどだけ、開けて試したい。専用のデータセンタはやめて、小さなラックに移す。本業の金と人を無限に流し込まない。九月の決算までに、月額でサーバ代と運営する人の給料が出せると示せたら続ける。無理なら、今度こそ資料として閉じる。……それでだ、タクトくん。単刀直入に言う。手伝ってくれんか。きみは客として一流だ。客として一流ということは、何が客を怒らせるかを全部知っとるということだ」

 俺は即答しなかった。かわりに、口が勝手に、企画屋の仕事を始めていた。

「……再開するなら、名前は変えましょう。『ラピス・オンライン』は、終わった店の看板だ。再出発が伝わる名前がいい。ラピスは活かして——ラピスと来れば、続くのはラズリだ。そうだな、『新生ラピスラズリ』。石の名前をちゃんと最後まで言い切る。縁起もいいし、響きが、前より柔らかい」

 社長は、画面の向こうで、妙に長いこと黙った。

「……タクトくん。それ、本気で言っとるのか」

「? ダメですか。語感、悪くないと思うが」

「いや。……ラズリまで付けると、ちょうど、うちの娘の名前になるんだ。ラピスラズリは瑠璃の石。うちの娘は、瑠璃るりという。生まれた年に本業の会社を興したもんでな。屋号にもゲームにも、名前を丸ごと載せるのは親馬鹿が過ぎると思って、半分のラピスだけ借りたんだが」

 瑠璃。

 俺は、一年半チャットしてきた盾士の本名を、初めて知った。親馬鹿にも程がある社名の由来と、そして——知らずに娘の名前を店の看板に掲げ直そうとした、自分の提案と一緒に、である。降りていい共犯と降りにくい共犯があるとすれば、これは後者だった。

「……いい名前じゃないか。ラピスラズリ。石という意味だな」

 俺は二頭身の頭を掻いた。もう、引っ込みはつかなかった。

「あいにく、この原石を磨くのは、俺の仕事になったわけだが」

「——引き受けてくれるか!」

「ナーフに文句を言い続ける人生より、ナーフする側の胃痛を知る人生のほうが、面白そうだからな。それだけだ」

 半分は本心で、半分は照れ隠しだった。運営はあれから結局、予告どおりナーフを入れた。俺の引退宣言は宙に浮いていて、引っ込めるのも癪だった。だったら、宣言どおり辞めてやる。辞めて、敵陣に回ってやる。一番文句の多かった客が、店の側に立つ。これほど嫌味な引退の仕方も、そうはあるまい。

 ——俺にとっての、CE1最後の夜。

 俺はヤエスのベンチで、最後の辻バフを配った。

 噂を聞きつけた連中が、列を作った。正座の常連は今日も無言で正座し、生肉の女戦士は生肉を五個置き、ポンタは記念だと言って例の外れ矢を天に向けて撃った。ギルドの連中は「引退詐欺に決まってる」と笑い、俺も「そのうち戻るかもな」と笑った。アカウントは、消さなかった。消せなかった、が正しい。引退というのは、するものではなく、し続けるものらしい。俺はこのあと何年も、「引退した」と言い続けながら、ときどきこっそりログインしては、灯りの減っていくヤエスを見て回ることになる。

「タクトさん」

 最後に、セシリアがベンチの横に立った。

「引退、しちゃうんですね」

「ああ。……悪いな。ずっといるって言ったのに」

「いえ。だって」

 セシリアの返事は、珍しく速かった。

「タクトさんは、わたしの父のゲームに、いてくれるんですよね。だったら、わたしも、そこにいます。わたし、今度はゲームの中じゃなくて、作るほうのお手伝いをします。それなら、ずっと会えます」

 理屈が、また通っていた。この盾士は、守る対象の隣に立つためなら、戦場ごと引っ越してくるのだ。

 ——新生ラピスラズリの再オープンは、二〇〇六年二月の下旬。

 いま思い返しても、見切り発車もいいところだった。

 開発は社長と、本業から参加した古株のプログラマ、森下もりしたくんと、俺と、手伝いの学生バイトが二人。休止前のチームを呼び戻してはいない。サーバ保守は森下くん、問い合わせはみんなで持ち回り。本業の会社から休止資産だけを切り出し、別勘定の小さな事業として再開した。私財をつぎ込んだ英雄的な再建ではなく、失敗した資産を、損失の上限を決めてもう一度試す再利用だった。