カードアース
タクト編 第三章(2/2)
俺の肩書きは「企画・運営・GM・雑用」。要するに全部だ。ただし、生活を丸ごと預けられたわけではない。九月までの学生バイトで、数字が立ったら更新。会社にするのはそのあと。大学をちゃんと卒業できたら、そのとき正式に雇う、と社長は言った。大学? 行っている。週に、数えるほど。母からのメールには『あんた、就職どうするの』とあったので、『ゲーム屋の手伝いをしてる』と返したら、三日後に『ちゃんとしたところにしなさい』と返ってきた。ちゃんとしたところの定義は、いまだに聞けていない。
再オープンの日は、祭りになった。
といっても、CE1のヤエス防衛みたいな五百人の祭りではない。ログイン門に旧プレイヤーが列を作り、「半年ぶり」「ごめん、カードアースに浮気してた」「生きてたか」「嫁(ゲーム内の)は元気か」と、同窓会の吹き出しが飛び交う、こぢんまりした祭りだ。休止の日に集まった連中が、ちゃんと戻ってきた。黒い画面の向こうに、みんな、いたのだ。
いたのだが——初日はバグも祭りだった。
ログイン門が閉まらなくなり、露店の値札が全部一銅になり、井戸に落ちると出られなくなった。俺は生まれて初めてGMの制服(金ぴかのドット)を着て、井戸から人を引き上げて回った。
「【GM】タクト:井戸の底の三名、いま行きます。動かないで」
「GMさん、値札バグで全財産使って店が空になったんだけど」
「【GM】タクト:全部ロールバックします。楽しかったですか?」
「楽しかった」
「【GM】タクト:なら何よりです」
誰も怒らなかった。手作りの祭りのバグは、祭りの出し物の一部だった。CE1の運営に千の文句を言ってきた俺は、井戸から人を引き上げながら、生まれて初めて、画面の向こう側の胃の痛みと、画面の向こう側の幸福を、同時に知った。
二週目には、恒例だったらしい結婚システムの登録が再開して、初日に三組が式を挙げた。俺はGMとして祝辞を打った。
「【GM】タクト:末永くお幸せに。俺のとき誰も登録申請くれなかったのにww」
「GM、既婚だったの?」
「【GM】タクト:独身です。……あれ、なんで俺、いま傷ついたんだ?」
自分で打って自分で食らう。GM芸の基本を、俺はこうして覚えた。
——そして、瑠璃の話をしなければならない。
あいつは宣言どおり「作るほうの手伝い」に来た。最初はテストプレイと、お知らせ文の清書。例の、作戦図を清書していた腕前で、うちの告知は読みやすいと評判になった。
転機は、復活記念の衣装だった。
記念に配る限定衣装のドットを、バイトが落として、納期が三日を切った。誰かがやるしかない、という空気の会議室(という名の通話ソフト)で、瑠璃がぽつりと言った。
「あの……わたしに、描かせてもらえませんか。服、すきなので」
三日後に上がってきたドット衣装を見て、俺と社長とプログラマは、しばらく黙った。
三十二ドット四方の小さな身体に収まる服に、レースの襞が、ちゃんと揺れて見えた。歩くと裾が遅れてついてくる。ドットが、布に見えた。
「……瑠璃、お前、こんなの描けたのか」
「わからないです。描いてたら、描けました」
本人がいちばん不思議そうだった。だが、まぐれでないことは、次の衣装で証明された。その次で確信に変わった。復活記念衣装「瑠璃の外套」は新生ラピスラズリの名物になり、「服が着たくてログインする」という新種の客を連れてきた。戦闘もレベルも関係ない、着せ替えのためだけの客。俺はそこに、まだ名前のついていない鉱脈が埋まっているのを見た気がしたが、それを掘る話は、もっとずっと先でする。
覚醒、という言い方を、俺はあまり好まない。だが、あれは覚醒だった。学校の教室では点のつかない種類の才能が、二頭身のドットの世界で、いきなり満点を叩き出したのだ。瑠璃は変わった。声に迷いがなくなり、会議で手を挙げるようになり、そして——学校の勉強を、自分からやり直しはじめた。
「大検、受けます。……会社のお手伝いを、ちゃんとしたいので。それに」
「それに?」
「タクトさんを、いつか、わたしが養うので。稼げるようにならないとです」
「……順序がおかしくないか、それは」
「おかしくないです」
おかしい。おかしいのだが、こいつの「おかしくないです」が最終的に通ってしまうことを、俺はもう一年半ぶんの経験で知っていた。
——夜、俺はときどき、こっそりCE1にログインした。
引退した男の、業務のような、そうでもないような巡回。市場調査、と自分には言い訳していた。実際、この頃の俺はラピスの参考にするため、他所のネトゲも手当たり次第につまみ食いしていた。月額の安いやつ、海の向こうのやつ、出たばかりのやつ。どの世界にも祭りがあり、どの世界にも文句を言う客がいて、どの運営も謝っていた。世界は広く、そして、どこも同じだった。
ヤエスは、少しずつ、静かになっていた。
露店の列は短くなり、ベンチには俺のかわりの辻バフ屋が座り、それでも夜になれば、まだ人はいた。この火が消えるところを、俺はたぶん見ることになる。そして消えかけた火を別の場所に移す、火の番みたいな仕事を引き受けることにも、なる。——エミュレータ、という言葉を、俺はこの頃はまだ、ただの技術用語としてしか知らなかった。
それも、全部、先の話だ。
今夜のところは、ラピスラズリの井戸に落ちた新規さんを引き上げて、瑠璃の新作衣装の告知を書いて、社長が畑のドットにまた引っかかっているのを助けに行く。
「【GM】タクト:社長、そこ、通れませんてば」
「わしのゲームだぞ!?」
「社長のゲームです。だから直しましょうね、当たり判定」
小さな世界の、小さな祭りの毎日は——大声では言わないが、あの頂点の夜より、少しだけ楽しかった。