カードアース
シックス編 第三章前編
シックス編 第三章前編
「みなさんこんにちは、シックスです。四月の……セックです。今日は、入学式をやっていきたいと思います」
「歯切れが悪いな」とサナナ。「四月は節句がないんだよ。だからこれは、完全にオレたちのオリジナルセックだ」
「もう節句ですらないのか」
「セックとは心の持ちようだ」
『名言風の暴論』
『毎月やるって言っちゃったからな』
『引くに引けないセック』
会場は、運営がイベント用に開放している「学校」のインスタンスだった。桜並木の坂道の先に、白い校舎。チャイムの音。昇降口には下駄箱まである。誰の思い出とも言えない、誰の思い出にも似ている学校が、そこに建っていた。
そして、衣装である。
マイはセーラー服。これは、いい。十八歳だし、素直に似合う。本人も「制服とか、ガキっぽ……」と言いながら、リボンを三回結び直していた。
アーネさんは、スーツに眼鏡。教壇に立った瞬間から「アーネ先生」がコメント欄の公式呼称になった。
俺は、学ラン。この筋骨隆々の身体に、詰め襟。
『番長だ』
『転校初日に屋上に呼び出すタイプ』
『昭和の匂いがする』
「うるさいぞ。俺は今日から一年生だ」
ちなみにこの学ラン、俺には詰め襟が本当に苦しい。布の張りと首まわりの圧が、全身にそのまま来るからだ。衣装係に相談したら「体感の方の首まわりは、二センチ余裕を持たせるのが定石です」と、次の日には直っていた。仕立て屋の世界では、俺の首の寸法まで、布と一緒に管理されているらしい。
そして、サナナ。
セーラー服だった。赤髪に、紅白……ではなく白線のセーラー服で、本人はくるりと回ってみせて、たいへん満足そうだった。満足そうなのだが。
『サナナ、なんだろう、こう……』
『違和感がすごい』
『可愛いのに、番長より番長』
『スケバンって言葉が降りてきた』
「おいコメント欄、全員職員室に来い」
「サナナ、その口調がもうセーラー服じゃないんだよ」
「オレは満足してるからいい。自分が満足してるものに他人の採点はいらん」
名言風の暴論、二個目である。だがコメント欄には『それはそう』が並んだ。この配信のコメント欄は、暴論への耐性が上がりすぎていると思う。
——入学式は、体育館(の見た目のホール)で行われた。
アーネ先生が壇上に立ち、やわらかい声で開式を告げる。
「それでは、新入生代表の言葉。……シックスくん」
「え、俺?」
「くじで決めておいたのよ。ふふ」
俺は壇に上がり、紙(白紙)を広げ、配信者として何か言わねばならなくなった。
「えー……本日は、お日柄もよく。僕たち、平均年齢二十歳超えの新入生一同は」
『新入生(全員成人)』
『平均年齢を上げていくスタイル』
「……大人になってから学校をやるのは、変かもしれませんが。大人になってからの学校には、宿題がありません。以上のことから、最高だと思います。よろしくお願いします」
拍手のエモートが起きた。アーネ先生が「いいお言葉ねえ」と本気で頷いていたのが、いちばん恥ずかしかった。
入学式のあとは、校内案内だった。
下駄箱、廊下、保健室、図書室。イベント用の学校なので、全部が少しずつ理想化されている。廊下はやけにぴかぴかで、黒板消しは新品で、保健室のベッドは寝心地がよすぎて危険だった。マイが試しに寝転がって、三十秒で本当に起きなくなりかけた。
「マイちゃん、入学初日に保健室登校は早いわよ」
「このベッド、だめ。人をだめにする」
俺も試しに横になって、三十秒で理解した。沈み込む腰の感じと、毛布の中にこもる体温まで作ってある。視覚と音だけの人には「よくできた家具」だが、身体ごと受け取る側には「罠」である。俺は自力で起き上がるのに、決意を要した。
『体感勢が沈んでいく』
『ベッドにまけるな』
『ひらがなになるほど慌てるな』
図書室では、コメント欄から『漫画はありますか』が流れた。アーネ先生が本棚を一つ開いて、「ありますよう」と答えた瞬間、配信の同接が少し増えた。教育とは。
昇降口では、靴箱の番号でひと騒ぎあった。イベントの仕様で、靴箱にはランダムに名前札が出る。俺の札は、なぜか「生活指導室前」だった。
『番長だから』
『職員室に近い』
「俺は新入生だと言ってるだろ」
サナナの札は、俺の隣だった。本人は何も言わずに靴を入れ替え、さも当然という顔をした。コメント欄はそこを見逃さなかったが、まだ「幼馴染」とまでは言わなかった。言わなかっただけで、たぶん全員、何かを察していた。コメントとコメントの間が、妙に、にやにやしていた。
校庭では、部活勧誘ごっこも始まった。一般プレイヤーが勝手に屋台みたいな勧誘ブースを出していて、剣道部、魔法研究部、購買攻略部、帰宅部まである。帰宅部は何をする部なのか聞いたら、「最速で帰るルートを研究します」と返ってきた。購買攻略部とは別方向に本気だった。
「サナナ、どこ入る?」
「購買攻略部」
「即答かよ」
「青春はパンの奪い合いだ」
——教室に移動して、席替え抽選になった。
これが、荒れた。
「窓際の、いちばん後ろ!」とマイ。
「渡さん。あそこはオレの席だ」とサナナ。
「なんで全員そこ狙うんだよ」と俺。
「主人公の席だからだよ!」
二人の声が揃った。息ぴったりである。コメント欄も『窓際後方は聖地』『物語が始まる席』と全面戦争の構えだった。抽選は厳正なるくじ引き(イベントの仕様)で行われ——
窓際最後列を引き当てたのは、マイだった。
「よっしゃあああ! 主人公!」
「くっ……次の席替えはいつだ」
「先生は教卓だから、抽選に参加できないのよねえ。ふふ、残念」
俺はといえば、廊下側の最前列だった。学ランの大男が、先生の真ん前。
『番長が最前列』
『更生してる』
『いい番長』
授業ごっこは、アーネ先生の独擅場だった。
出席をとります、と先生が言うと、コメント欄が『はーい』で埋まる。教科書(それらしい小道具)を朗読すると、あの声である。三行で教室の空気が眠くなり、五行でコメント欄が『おやすみ』を打ちはじめ、マイが本当に机に突っ伏した。
「マイちゃん、寝ちゃだめよう」
「先生の声が悪いと思います……」
「あらあら。じゃあ、目の覚める時間にしましょうか。——お昼休みです」
その一言で、全員の背筋が伸びた。
昼休み。すなわち、購買。すなわち——焼きそばパン争奪戦である。
このインスタンスの購買部には、イベント仕様の名物があった。限定二十個の焼きそばパン。昼のチャイムと同時に販売開始。校舎じゅうの参加者(俺たちのほかにも、一般の利用者が大勢いた)が、廊下を走らないという校則と戦いながら、早歩き競争で殺到する。
「いいかお前ら、作戦を言うぞ」とサナナが円陣を組んだ。「オレが最短ルートの階段を行く。マイは窓から飛べ」
「校舎の窓から飛ぶのは校則的にどうなの」
「飛行禁止とは書いてない」
「書いてないならセーフ!」
チャイムが鳴った。
結果から言うと、俺は敗北した。廊下を全力早歩きする集団の圧に押し出され、購買にたどり着いたときには、トレイの上は空だった。
ここで、この争奪戦の残酷な構造を説明しておく。平面で遊んでいる参加者は、地図をタップして経路を選ぶだけでいい。俺たち体感の側は、本当に早歩きをする。廊下の角で本当に膨らみ、人の圧に本当に押され、購買に着く頃には本当に息が上がっている。じゃあ平面勢が有利かというと、そうでもない。向こうは廊下の「圧」が分からないから、詰まる場所で真っ直ぐ突っ込んで渋滞にハマる。体感勢は肌で圧を読んで隙間を抜ける。つまりこの勝負、速さの平面勢か、勘の体感勢かという配信的にはたいへんおいしい構図で——
『で、両方に勝ったサナナは何なんだ』
『手袋勢という第三勢力』
そうなのだった。マイは窓から飛んで注意され(「校舎内飛行は禁止です」と警備のお姉さんに言われた。書いてあった側だった)、アーネ先生は参戦すらしていないのに、なぜか購買のおばちゃんと仲良くなっていた。
勝者は、サナナだった。
「ほれ」
教室に戻ると、サナナが焼きそばパンを二つに割って、半分を寄越した。
「いいのか」
「戦利品は分けるもんだ」
かぶりつく。ソースの濃い匂い、麺の油、パンの甘さ。腹の底に、届く。争奪戦の準優勝くらいの気分だった。
「うまい」
「だろうな。……ふ。お前、あの頃も購買で全敗してたもんな。で、オレが半分やるの」
言ってから、サナナが固まった。
コメント欄は、見逃さなかった。
『あの頃?』
『あの頃って言った』
『同級生だ』
『幼馴染では?』
『幼馴染きたああああ』
『尊い』
「——今のはカットだ」
「ライブだぞ」
「じゃあ全員忘れろ! いいか、忘れろよ!」
『無理』
『もう保存した』
『尊い(二回目)』
サナナはセーラー服の襟を引っ張り上げて顔の下半分を隠した。隠しても、耳が赤いのは隠れていなかった。俺は焼きそばパンの残り半分を、ゆっくり味わって食べた。あの頃も、こいつのパンは、たしかにうまかったのだ。それは言わないでおいた。師匠の教えいわく、ネタは真面目に語ると死ぬ。思い出も、たぶん同じだ。
——放課後。
夕焼けの教室で、俺たちはだらだらと居残った。マイは聖地(窓際最後列)で頬杖をついて外を見て、アーネ先生は採点ごっこ(白紙に花丸をつける遊び)をして、サナナはまだ襟に埋まっていた。
「なんか、いいね、これ」とマイが言った。「学校って、行ってたときは、めんどくさかったのに」
「ごっこだからよ」とアーネ先生。「ほんものには時間割があるけれど、ごっこには夕焼けしかないの。……大人には、ごっこが必要よねえ」
「アーネ先生、いいこと言った」
「ふふ。先生ですから」
俺は最前列の席から、夕焼けの教室を眺めた。黒板。下駄箱。チャイム。俺の知っている学校と、細かいところは全部違うのに、匂いだけが同じ場所。
学校、久しぶりだったな、と思った。
それ以上は、思わないことにした。今日は入学式で、俺は新入生で、宿題はない。以上のことから、最高だった。
「よし、下校するか。……来月のセックは?」
「五月五日、こどもの日だ」とサナナが襟から出てきた。「メイド服を着る」
「こどもの日の要素どこだよ」
『それ聞く?』
『セックとは心の持ちようだぞ』
『覚えたてを使うな』
チャイムが、下校の音楽に変わった。校門の桜が、配信の画面いっぱいに、はらはら散っていた。