星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

レナティア編 第三章 陽炎(1/3)

レナティア編 第三章 陽炎

 その問いは、お昼のスープから立つ白い湯気エフェクトの向こうから、なんの前触れもなくやってきた。

「ねえレナちゃん。ゴブリンって、セックスするのかな」

「たぬさん?」

 レナティアは、パンの食事モーションを止めて真顔になった。談話室のお昼どきである。周りのナナシたちの吹き出しが、二つ三つ、こちらを向いた気配があった。

「いや、変な意味じゃなくてね? 真面目な話。ゴブリンってさ、毎日毎日、あんなに倒されてるのに、ぜんぜん減らないじゃない。てことは、どこかで生まれてるわけでしょ。生まれてるってことは、その、お父さんゴブリンとお母さんゴブリンが」

「たぬさん。ごはんの、ときに」

「ごめんて。でも気になりだしたら止まらなくてさ」

 気になりだすと止まらないのは、レナティアも同じだった。その日の午後の狩りで、ゴブリンの群れを凍らせながら、レナティアはつい考えてしまった。この子たちに、家はあるんだろうか。帰りを待つ家族は。

「……手が止まってるよー、レナちゃん」

「たぬさんのせいです」

 答えは、夜の談話室で、古株のナナシが教えてくれた。

「ゴブリンは湧くんだよ。生まれるんじゃなくて、湧く。巣も家族もない。地面から染み出すみたいに、ぽんと現れる。昔からそういうもんだ」

「どうして、そういうものなんですか?」

「考えてもみな。ゴブリンに家族がいてさ、子育てなんかしててさ、討伐したゴブリンの巣に、腹をすかせた子ゴブリンが残ってたら——あんた、明日から狩りできるかい?」

 レナティアは、できない、と思った。想像しただけで、もうすこし、できなくなっていた。返事を打とうとした指が、止まったままだった。その間で、伝わったらしい。

「だろ。だからこの世界のゴブリンは、家族を持たない。誰の子でもなく、誰の親でもなく、ただ湧いて、ただ倒される。冒険者が気持ちよく英雄でいられるように、できてるのさ」

 親切な設計、なのだと思う。あの弱いドラゴンの「攻撃のお知らせ」と同じで、この世界は遊ぶ人にやさしくできている。

 でも、その晩の日記に、レナティアはこう書いた。

『ゴブリンは、たおされるために、うまれてくるそうです。それって、やさしいのかな』

 ——リボンちゃんが来たのは、その週末だった。

「たぬきー、ちょっといい? 頼みがあるんだけどぉ」

 噴水前に現れたコルセットさんは、いつもの白レースのコルセット装備で、いつもの調子で、けれど今日は小さな連れがいた。

 小さな、女の子だった。

 ぶかぶかの初心者ローブに、大きなリボンの髪飾り。頭の上の名前は「リボンちゃん」。ナナシだらけのこの島で、ひらがな混じりの名前が、ぽつんと灯っていた。

「アタシ、今日と明日、ちょっと出なきゃいけなくてさ。この子、見といてくんない? ほら、リボン。たぬきのおじちゃんよ」

「たぬきのおじちゃーん!」

「おじちゃんじゃなくて、おにいさんだよー……って、うわ、尻尾、尻尾はやめて」

 リボンちゃんは挨拶より先に狸たぬきの尻尾を両手で掴んだ。掴んで、ぶんぶん振った。狸が「ひゃあ」と変な声を出した。

「ごめんねえ、この子、たぬきのぬいぐるみが好きで。——じゃ、よろしく! 夜には戻るから!」

 コルセットさんは、ひらひらと手を振って、ログアウトの光になって消えた。

 あとには、狸の尻尾を掴んだままの五歳児と、尻尾を掴まれたままの狸と、状況に置いていかれたレナティアが残された。

「……えっと。たぬさん。いまの、つまり」

「子守りの依頼でした」

「おこさん、ですよね。コルセットさんの」

「うん。五歳。リアルの、ほんものの五歳」

 聞きたいことは、いくつもあった。どうして狸が頼まれるのか。コルセットさんと狸は、その、どういう知り合いなのか。ゲームの外の、たとえば電話番号とか、家とかを、知っているような間柄なのか。

 聞かなかった。この島では、画面の向こう側のことは、聞かないのがマナーだ。マナーだから聞かないのだと、自分に言い聞かせた。もやもやは、マナーでは消えなかったけれど。

「レナちゃんも手伝ってー。俺ひとりじゃ、尻尾がもたない」

「はい^^ ——リボンちゃん、こんにちは。レナティアです」

「れなてぃあおねえちゃん! おひめさまみたい!」

「おひめさま」

 一瞬で懐柔された。ちょろい、と狸が言った。うるさいです、と返した。

 子守りは、思っていたよりずっと楽しかった。

 リボンちゃんは、にぎやかで、ころころ笑って、すぐ転ぶ。街の鳩(装飾のNPC)を三十分追いかけ、露店のポーションを「ジュースがいっぱい!」と指さし、狸の尻尾を定期的に充電みたいに掴みに来る。

 まず、鳩である。

 コーベの広場には、いつも鳩がいる。誰かがパンくずを落とすと寄ってきて、踏みそうになると少しだけ避ける。冒険者が剣を振っても、鳩は逃げない。たぶん攻撃対象ではないからだ。リボンちゃんは、その鳩を本気で追いかけた。

「まてー! ぽっぽー!」

「リボンちゃん、鳩さんは捕まえなくていいんですよ」

「つかまえたら、なかまになる?」

「たぶんならない」

「たぬきは、つかまえたらなかまになったよ!」

「俺、捕獲モンスターじゃないからね?」

 狸はそう言いながら、リボンちゃんに尻尾を掴まれていた。説得力は、あまりなかった。

 次に、露店である。

 ポーション屋の前で、リボンちゃんは目を輝かせた。赤、青、緑、黄色。瓶に入った液体が光を受けてきらきらしている。たしかに、子どもから見ればジュース屋に見える。

「ジュースがいっぱい!」

「これはお薬です。飲むと元気になります」

「じゃあ、ジュース!」

「レナちゃん、その説明だとジュースから逃げられない」

 店番のナナシが、商売人の顔で「お子様用はないよ」と吹き出しを出した。けれどすぐに、小さな空き瓶へ水を入れて、薄い赤の光だけ付けてくれた。効果はない。説明文にも「ただの水」とある。リボンちゃんはそれを両手で持って、たいへん大事そうに飲んだ。

「あまくない」

「見た目だけだねえ」

「たぬきのおじちゃん、だまされた!」

「俺じゃない、世界が」

 それから、スライムである。

 最初の練習では、リボンちゃんはスライムの前でぴょんぴょん跳ねた。スライムもぴょんぴょん跳ねた。五歳児とスライムは、しばらく同じリズムで跳ねていた。レナティアが、戦闘とは何だっただろう、と考え始めた頃、リボンちゃんはふいに真顔になって、母の仕込んだボタンを押した。

「ぽちっとな!」

 跳ねていた小さな魔法使いが、急に職人になった。

 詠唱、回避、詠唱。スライムの跳ねる高さを見て、落ちてくる位置を一歩ずらす。魔法の再使用時間が戻る前に、次の標的へ視線を移す。合間に、なぜか決められた場所で一瞬だけ止まる。たぶんマクロの中で「待つ」と書かれているのだ。待つ、があまりに正確だった。

「リボンちゃん、いま何を見て避けたんですか?」

「ぴょんってしたから!」

「ぴょん」

「ぴょん!」

 説明は幼児だった。動きは熟練者だった。その落差が、かわいくて、こわい。

 ただ——戦闘になると、別の生き物になった。

 街の外の、いちばん弱い草原で、練習がてらスライムと戦わせてみたときのことだ。

「リボン、これすきー! ぽちっとな!」

 瞬間、リボンちゃんの小さなキャラクターが、教科書みたいに動いた。

 詠唱、回避、詠唱、待機、詠唱。魔法の再使用時間が空けた瞬間に、寸分の狂いなく次が出る。スライムの反撃は、発生の一拍前に、すっと横に避ける。無駄がひとつもない。中級試験を勝ち抜いたレナティアの目にも、その動きは——うまい、を通り越して、こわいくらいだった。

「た、たぬさん。リボンちゃん、つよい……?」

「あー……ママのマクロだね、あれ」

「まくろ?」

「操作の台本、みたいなもの。ボタンひとつで、決められた動きを正確にやってくれるの。コルセットは昔からマクロ組むのがうまくてさ。娘用に、ぜんぶ仕込んであるんだよ。ぽちっとな、で、プロの動きが出る」

「じゃあ、いま戦ってるのは……リボンちゃん、なんでしょうか。それとも、マクロ?」

「両方、かなあ。ボタンを押してるのはリボンちゃんで、動きはママの台本」

 リボンちゃんは「ぽちっとな!」と楽しそうにボタンを押し、画面の中の小さな魔法使いは、五歳児には絶対にできない精度で舞い続けた。楽しんでいるのは、たしかに本人だ。でも動いているのは、誰なんだろう。

 レナティアの中で、なにかの輪郭が、かげろうみたいに、ゆらりと揺れた。

 ——その揺れが、ただの揺れで済まなくなったのは、翌日の夕方だ。

 街中まちじゅうの鐘が、いっせいに鳴った。掲示板の前に人だかりができて、空に、運営からの告知文が大きく浮かんだ。

『特別イベント「ゴブリンの進軍」開催のお知らせ

 本イベントでは、新技術「思考する魔物」を試験導入します。国内最高峰の計算機で幾万通りの戦闘を検討させ、その行動を魔物に与えました。賢くなったゴブリンの群れが、七日七晩、都市を攻めます。守り切れば、都市とみなさまに勝利の報酬を。

 ——どうか、街をお守りください』

「賢くなったゴブリン?」

「七日七晩!?」

 談話室が、わっと沸いた。最初は、お祭りの沸き方だった。

 実際、初日は祭りだった。

 城壁——というほど立派ではない、コーベの木柵と門の前に、防衛線が敷かれた。CE7743の看板の下、ロロさんが台の上に立って音頭を取った。

「諸君! 我らがコーベを、ゴブリンごときに踏ませるわけにはいかない! 交代制でいく、無理はするな、死んだら戻って飯を食え! うちは、でっかい巣だ! 巣は、みんなで守るもんだろう!」

「「「おおー!」」」

 ナナシたちの吹き出しが、ひさしぶりに、ひとつの方向を向いた。

 門の内側には、どこから聞きつけたのか、便乗の夜店が並んだ。ポーション屋の出張露店、串焼きの屋台、応援の花火(魔法)売り。狸はさっそくポーションを箱買いして、腰のベルトに六本差した。

「たぬさん、それ、ガンマンみたいです」

「狸は回復役に頼らないの。自分の傷は自分の飲み薬で治す。……レナちゃんの回復を疑ってるわけじゃないよ? ただ、今回は長丁場だから、レナちゃんの魔力は、ここぞってときに取っときたい」

 初日の夜、ゴブリンの第一波が来た。

 それは、レナティアの知っているゴブリンでは、なかった。

 まっすぐ突っ込んでこない。柵の弱いところを探して、群れが二手に分かれる。松明を持った一匹が枯れ草に火を放ち、消火に人が割かれた隙に、別動隊が門を叩く。倒しても倒しても、後ろの個体が死体を踏み台にして柵をよじ登る。

「かしこい……! ゴブリンなのに、かしこいです!」

「いやらしい賢さだねえ! 誰だこんなの考えたの!」

 それでも、初日と二日目は、押し返した。人が多かったからだ。祭りの熱があったからだ。

 それから——白状すると、二日目の夜のいちばん危ない時間を支えたのは、五歳児だった。

 二日目もコルセットさんは「ごめん、もう一日!」と延長した。夜、防衛線の回復役が足りなくなったとき、狸のとなりのリボンちゃんが、こともなげに言ったのだ。

「じゃあ、ママのつよいほうのひと、よんでくるね。ぽちっとな」

 リボンちゃんの小さなキャラクターが、ログアウトの光になって——一分後、防衛線に、見覚えのある白レースのコルセット装備の高レベルヒーラーが現れた。中身は、五歳児である。ママのキャラクターに、乗り換えてきたのだ。

「がんばえー! ぽちっとな!」

 回復の雨が、降った。本職の——それこそコルセットさん本人と見分けのつかない、教科書どおりのスキル回しで。ママ仕込みの台本は、ママの身体でこそ、真価を出した。柵の上の冒険者たちが、次々に立て直されていく。

「……たぬさん。あれ、いいん、でしょうか」

「んー。よくは、ないんだろうねえ。人のキャラクターだし。でも——」

 狸は、柵の向こうの群れと、回復の雨を見比べた。

「——今夜は、助かっちゃってるんだよねえ、現に」

 あたしの祈りは、時間をかけて備えを組む祈りだ。ぱっと傷を消す力は、五十で道を選んだ日に手放している。この夜のあたしは、五歳の子が動かす借り物のヒーラーより、役に立てなかった。その悔しさの置き場所を、あたしはまだ、持っていなかった。

 三日目に、コルセットさんが帰ってきた。

「ただいまー。うわ、なにこれ、まだやってんの?」

「ママ! おかえりー! あのね、ゴブリンさんがいっぱいなの!」

「はいはい。リボンはもうおしまい。……で? これ、いつまでやるの?」

「あと五日だってー」と狸。

「五日ぃ? ……無理だわ」

 コルセットさんの割り切りは、見事なくらい速かった。

「あのね、たぬき。うちらオトナには、明日も仕事があんの。徹夜で木の柵を守って、もらえるのがゲームのお金と称号? 割に合わないでしょ。適当に顔出して、報酬もらえるぶんだけ貢献して、夜は寝る。それが正解」

「まー、そうなんだけどさー」

「レナティアちゃんも、ほどほどにしなさいよ。……ほら、リボン、帰るわよ。おじちゃんたちにバイバイして」

「ばいばーい! たぬきのおじちゃん、しっぽ、またね!」

「尻尾に別れを告げられた」

 コルセットさんは正しい。正しいことは、レナティアにも分かった。

 そして、正しい人から順番に、防衛線から抜けていった。

 三日目の夜までは、まだ祭りの形を保っていた。

 ロロさんは、木柵の内側に交代表を貼った。朝番、昼番、夕番、夜番。名前欄なまえらんには、もちろんナナシがずらりと並ぶ。どのナナシがどのナナシか分からなくならないように、横に「赤い帽子」「斧の人」「串焼き係」「昨日落ちた人」みたいな注釈が付いた。

「ロロさん、これ、本人たちは分かるんですか」

「分かる! ……たぶん! 分かんなかったら俺が顔で覚える!」

「名前で覚えられないの、大変ですね」

「大変だよぉ。だからみんな、たまには個性を出してくれ。帽子でも、語尾でも、変なポーズでもいい」

 すると、その日の夕方から、柵の前で変なポーズをするナナシが増えた。個性の出し方が雑だった。槍を持ったナナシが毎回片足立ちで報告に来て、ロロさんが「君はもう分かったから普通に立って」と頼んでいた。

 夜店も発展した。

 初日はポーションだけだった出張露店に、二日目には串焼きが並び、三日目には「防衛定食」と書かれた木札が出た。硬いパン、豆の皿、冷めても食べられるらしい肉。食べると少しだけ体力が増える。味は分からないけれど、名前と見た目だけで、もう戦場の食事だった。

「戦場っぽさって、なんですか」

「急いで食事モーションするとだいたい戦場っぽくなる」