星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

レナティア編 第三章 陽炎(2/3)

 狸はポーションを飲みながら串焼きの食事モーションを重ねようとして、むせるエモートを出した。レナティアが背中を叩くと、タマちゃんが勝手にふわふわ近寄った。狸は涙目で親指を立てた。戦場の食事は危険である。

 四日目の昼には、疲れが見えはじめた。

 昼番のナナシが夕番まで残り、夕番が夜番まで残り、夜番が朝番へあさばんへ「起きてる?」と吹き出しを飛ばす。交代表の線は何度も書き直され、最後には、誰がいつ寝たのか、誰も分からなくなった。ロロさんだけは、ずっと起きているように見えた。

「ロロさん、ちゃんと寝ました?」

「寝た寝た。まばたきの長いやつを三回」

「それは寝てません」

「じゃあ四回」

 冗談は軽かった。声の下に、疲れが沈んでいた。

 四日目の午後、ゴブリンは火を使うのをやめた。火をつけると人が集まると学んだのかもしれない。かわりに、柵の一番地味な支柱を、何度も何度も叩きはじめた。誰も気づかない場所を、黙々と。気づいた時には、支柱が半分割れていた。

「あいつら、嫌なところを見つけますね」

「人間っぽくなってきたねえ。嫌な意味で」

 レナティアは氷で支柱を固め、狸がそこへ板を打ちつけた。釘を打つ狸は意外と器用だった。本人いわく、前の時代に倉庫を釘でいっぱいにした経験が生きているらしい。どういう経験なのかは、聞かないでおいた。

 四日目の夜。防衛線の吹き出しは、目に見えて減った。日付が変わる頃には、柵の前に立つ影は、初日の三分の一もいない。ロロさんは残っていた。残って、減っていく人数分まで自分が働こうとして、目に見えて疲れていった。

「ロロさん、すこし休んでください」

「ん? はは、平気平気。マスターが最初に寝る巣なんて、ないだろ?」

 その言い方が、なんだか、痛かった。

 明け方近く、ゴブリンの波が少し引いた時、柵の内側には座り込む人が増えた。

 誰かが「朝番まだ?」と吹き出しを出した。返事はない。もう一度出した。やっぱり返事はない。三度目で、別のナナシが「寝坊」とだけ打った。そこから「朝番とは」「概念」「来ない朝」「哲学するな」と、疲れた吹き出しがぽつぽつ続いた。笑う元気はある。立つ元気は、あまりない。

 ロロさんは、それでも台の上に立った。

「諸君! 朝番が寝ている!」

「「「知ってる」」」

「ならば我々は、朝番が起きるまでの朝番である!」

「意味わかんねえぞロロ」

「俺にも分からん! でも分からんまま守るぞ!」

 こういう時、ロロさんの言葉は理屈ではなく、掛け声だった。意味がなくても、少し立てる。少し剣を握れる。誰かが「朝番代理一号」と自分に称号をつけ、隣が「二号」と続いた。狸は「代理狸」と名乗って、レナティアに「それは普段と何が違うんですか」と聞かれていた。

 夜店の定食屋は、朝には粥を出した。防衛定食、朝の部。米粒のようなものと、何かの肉と、たぶん薬草。食べると小さな回復数字が出て、器からは湯気のエフェクトが立つ。おいしいかどうかは誰にも分からないけれど、朝ごはんらしい形をしているだけで、少し救われた。

「湯気が出てるだけで、だいぶ勝ちですね」

「戦場の朝ごはん、判定が甘くなるからねえ」

 レナティアは粥を食べるモーションのまま、木柵の向こうの森を見た。森は静かだった。静かなのに、またあそこから湧いてくる。そう思うと、器の湯気エフェクトの向こうで、世界の輪郭が少し揺れた。

 ——五日目の昼、レナティアは狸に言った。

「たぬさん。あたし、考えたんです。ゴブリンを、いくら倒しても切りがないなら——湧いてくる元を、探しませんか」

「元?」

「巣穴です。ゴブリンに家族はいなくても、湧く場所はあるはずです。物語だと、そうです。悪いものには、元があります。元を断てば、街は守れます」

「……レナちゃん、それ、冒険だね」

「はい。冒険です」

 二人は、防衛線を仲間に任せて、森へ入った。

 ゴブリンの進軍してくる方向を逆にたどる。足跡を追い、折れた枝を追い、夜の森を、松明と氷の明かりで進む。奥へ、奥へ。

 最初は、ちゃんと手がかりがあるように見えた。

 ぬかるみに、小さな足跡があった。片足を引きずった跡。松明を引きずった焦げ跡。折れた枝には、ゴブリンの爪らしい傷が残っている。レナティアは地図に印をつけた。足跡の向き、数、深さ。狸はその横で、木の枝に布切れを結んで目印を作った。

「レナちゃん、几帳面だねえ」

「巣穴を探すんです。ちゃんと調べないと」

「俺の目印もちゃんとしてるよ。ほら、しましま」

「たぬさんの予備の腹巻きでは」

「布切れです」

「腹巻きです」

 腹巻き、ではなく布切れの目印は、夜の森で妙に目立った。戻る時には役に立つだろう。狸は「実用とおしゃれの両立」と言った。おしゃれかどうかは、意見が分かれるところだった。

 十五分後、最初の印の近くにゴブリンが湧いた。

「……あれ」

 倒した。さらに進んだ。今度は、まだ誰も歩いていないはずの草地で、空気がゆらいだ。ゴブリンが現れた。レナティアは、その場所に小石を置いた。もう一度湧くか、待つことにした。

 十分。十五分。湧かない。

「ランダム、でしょうか」

「ランダムっぽいねえ」

「でも、ランダムにも規則があるかもしれません」

「学者レナちゃんだ」

「茶化さないでください。大事です」

 大事だった。家族のないゴブリン。巣のないゴブリン。湧くためだけに湧く存在。それでも、どこかに「始まり」があるなら、そこを止めればいい。そう思いたかった。

 レナティアは小石を三つ置き、枝に印をつけ、湧いた場所を地図に点で記した。点は、きれいな円にも、線にも、巣穴へ向かう矢印にもならなかった。森の上に、ばらばらの星みたいに散った。

 そして——見つけたのは、なにもない場所だった。

 なにもない下草の上に、空気が、かげろうみたいに揺れた。揺れて、にじんで、ゴブリンが一匹、ぽん、と現れた。生まれたてのゴブリンは、きょろりと辺りを見て、迷いなく街の方角へ歩き出した。

「……いま、湧きました」

「湧いたねえ」

 別の場所でも湧いた。右でも湧いた。後ろでも湧いた。巣穴はなかった。ねぐらも、親も、卵も、なかった。森ぜんたいが、どこからでも、無作為に、無尽蔵に、ゴブリンを吐き出していた。

 二人は、湧いたそばから倒してみた。一時間で、数十匹。森の湧きは、まるで減らなかった。レシピのない料理を逆からたどるような、徒労だった。

「……元なんて、ないんだ」

 夜明け前、レナティアは草の上に座り込んだ。

「ゴブリンは、どこからも来てないんです。ただ、湧くんです。倒されるために湧いて、街を壊すために歩くんです。それだけ、なんです」

「……うん」

「じゃあ、あたしたちが今夜倒したのは、なんだったんでしょう」

 狸は、すぐには答えなかった。ポーションの空き瓶を、しましまの尻尾でころんと転がして、それから言った。

「今夜のぶんの時間稼ぎ、かな。……帰ろ、レナちゃん。眠いと、ろくな考えにならないよ」

 二人は、ログアウトした。

 次にログインしたとき——コーベの東地区は、半壊していた。

 夜明け前、いちばん人の薄い時間に、ゴブリンの大波が来たのだという。焼け落ちた屋台の骨組み。崩れた木柵。倒壊した倉庫(火はだめです、の、あの倉庫だった)。住民NPCたちが、瓦礫の前でうなだれて座り込んでいた。イベントの演出だと、頭では分かっていた。分かっていても、胸は、ちゃんと痛んだ。

 復旧の依頼が、すぐに掲示板へ貼られた。

『焼け跡の片付け』

『柵材の運搬』

『住民への炊き出し』

『逃げた山羊を戻す』

 山羊はなぜ逃げるのか。ゴブリンより足が速いのか。いろいろ疑問はあったが、レナティアは山羊を追いかけた。半壊した街の中で、山羊だけがやたら元気だった。崩れた屋台の屋根へ飛び乗り、焦げた木箱を蹴り、冒険者たちを翻弄する。

「まってください! 街がたいへんなんです!」

「山羊にその説得は効かないと思うよ!」

「じゃあ何が効くんですか!」

「草!」

 狸が道端の草を差し出すと、山羊は一瞬だけ止まり、草を食べ、また逃げた。食べ逃げである。レナティアは、こんな時なのに少し笑ってしまった。笑ってから、笑える場所がまだ残っていることに、少し救われた。

 焼け跡の片付けでは、夜店のポーション屋が、黒こげになった看板を拾っていた。昨日まで「防衛定食」と書いてあった板だ。

「また出すんですか?」

「出すよ。看板が半分残ってるから、半額で」

「たくましいですね」

「街が半分なら、商売も半分からだ」

 ロロさんは、炊き出しの鍋の横で人数を数えていた。数えながら、たまに間違えた。ナナシが多いからではない。疲れているからだ。

「半壊で済んだ」と、ロロさんは言った。「半分あるなら、半分は帰る場所だ。な?」

 誰かが「ただいま」と打った。誰かが「おかえり」と返した。瓦礫の前で、それは少し無理をした明るさだった。でも、無理をした明るさにも、使い道はある。

 そして、掲示板が荒れた。

『運営はこれを面白いと思ってるの? 七日間徹夜しろってこと?』

『社会人に喧嘩売るイベント』

『そもそも参加は自由。守らないのも自由。街が壊れて困るのは運営』

『これは俺たちへの嫌がらせだから、ボイコットが正しい』

『他の島はもう防衛成功ペースらしいぞ』

『向こうは人が多いだけ。こっちの島の仕様が悪い』

 誰も「守ろう」とは書かなかった。書かれるのは「守らなくていい理由」ばかりが、上手じょうずに、たくさん。読んでいるだけで、レナティアの胸のあたりが、うっすら冷えていった。文句を言うことが、参加の代わりになっていた。

 ——そんな六日目の夜に、あの人たちが現れた。

 最初に見つけたのは狸だった。夜半の防衛線。人がまばらな柵の前に、五、六人の冒険者が等間隔に立って、黙々とゴブリンを迎撃していた。

 完璧な迎撃だった。詠唱、回避、詠唱。無駄のない、教科書みたいな——どこかで見た動きだった。

「……レナちゃん、あれ」

「リボンちゃんの、ぽちっとな、みたいです」

「うん。でもあれ、たぶん、ぽちっともしてない」

 狸が近づいて、話しかけた。返事はなかった。目の前で手を振っても、無反応。なのに、ゴブリンが柵に取りつくと、寸分違わぬ魔法が飛ぶ。

「寝てるんだよ、この人たち。……ゲームの外の道具で、操作そのものを自動でやらせてる。全自動。中の人は、布団の中」

「寝ながら、街を守ってるんですか」

「守ってる。……規約違反だけどね。ゲーム外の自動化は、この世界ではいちばん重い禁じ手のはずだよ」

 その場にいた数人が、無言のままその列を見ていた。

「通報する?」と誰かが打った。

「通報して落とされたら、この柵、守れる?」と別の誰かが返した。

 誰も返事をしなかった。

 正しいことは、たいてい、言うだけなら簡単だ。規約違反は悪い。通報すべき。処罰すべき。けれど、目の前で柵を支えているのがその悪いものだった時、正しさは急に重くなる。レナティアは杖を握ったまま、無言の防衛隊の背中を見た。

 一人が、ゴブリンの矢を受けた。すぐに回復魔法が飛ぶ。別の一人が、決められた間隔で火を撃つ。誰も喜ばない。誰も怖がらない。誰も「ありがとう」と言わない。けれど、その一列がいるあいだ、柵の穴は、確かに塞がっていた。

「たぬさん。あの人たちは、遊んでるんでしょうか」

「分かんない。寝てるからねえ」

「じゃあ、守ってるんでしょうか」

「それは……守ってるねえ」

 狸の返事は、珍しく歯切れが悪かった。

 等間隔の無言の防衛隊は、朝まで一睡もせず(あるいは、朝までぐっすり眠りながら)柵を守り続けた。時おり、誰かの頭上に『zzz』の吹き出しが、寝息みたいに規則正しい間隔で上がった。いびきをかきながら、完璧な魔法を撃つ人々。

 よく見ると、彼らは同じ癖で立っていた。

 三歩進む。止まる。詠唱。半歩下がる。詠唱。右へ一歩。詠唱。ゴブリンがいなくても、そこまでを一巡する。まるで見えない譜面の上を歩いているみたいだった。譜面にないことは、しない。

 狸が、わざと足元にポーションの空き瓶を転がした。瓶は一人の前で止まった。相手は反応しない。けれどゴブリンが来ると、その瓶を踏まないように一歩だけずれて、魔法を撃った。

「避けた、んでしょうか」

「避ける動きも、たぶん台本にある。障害物があったら一歩横、って」

「じゃあ、瓶を置いたあたしたちは、台本の一部になったんですね」

「嫌な言い方がうまくなってきたね、レナちゃん」

 別の一人の頭上に、短い吹き出しが出た。

『zzz』

 そして、火の魔法が飛んだ。寝息と火球が同じ間隔で出る。隣のナナシが小さく「寝ながら俺よりうまい」とつぶやき、誰も笑えなかった。笑っていいのか、分からなかったからだ。

 七日目の夕方、少しだけ人が戻ってきた。

 全自動の列だけで守れる、と思った人たちではない。全自動の列だけで守られるのが、なんとなく嫌になった人たちだった。掲示板で文句を言っていた吹き出しと同じ口調のナナシが、柵の前に立って、気まずそうに剣を抜いた。

「べつに運営を許したわけじゃないからな」

「街が壊れるのはムカつくだけ」

「報酬が惜しいだけ」

 言い訳は、どれも似ていた。似ていたけれど、立っている。レナティアは、その言い訳を、少し好きだと思った。正しいからではない。かっこいいからでもない。人が何かをするとき、きれいな理由だけで動くわけではないと、少し分かってきたからだ。

 ロロさんは、戻ってきた人たちを責めなかった。

「おかえり」とだけ言った。

 言われたナナシは、少し間を置いてから、「ただいま」と返した。周りが「帰宅遅延」「終電逃し」「寝坊組」と茶化し、戻ってきたナナシが「うるせえ守るぞ」と返す。柵の内側に、ほんの少し、初日の熱が戻った。

 夜店のポーション屋も戻ってきた。半分焦げた看板に「防衛定食・再」と書き足していた。再、の字がやけに大きい。

「再ってなんですか」

「第二期だよ」と店番のナナシが言った。「人気にんきがあったので復活しました」

「人気、あったんですか」

「あったことにするんだよ。商売は、気合い」

 狸は第二期の定食を買った。昨日より豆が増えていた。防衛線には、人間の足音と、眠る人形の規則正しい足音が、同じ柵の前に並んだ。

 ロロさんは、掠れた声で最後の号令をかけた。

「諸君。七日目だ。ここまで来たら、勝っても負けても、明日の朝には寝られる」

「勝って寝たい」

「負けても寝るぞ」

「じゃあ勝って寝よう! そのほうが、寝覚めがいい!」

 理屈は雑だった。でも、雑な理屈で人が笑い、笑った人が盾を持ち直すなら、それはたぶん、ちゃんとした号令だった。