カードアース
レナティア編 第三章 陽炎(3/3)
レナティアも杖を握り直した。正しいかどうかは、まだ分からない。けれど、いま目の前の柵を支える手が一本でも増えるなら、その一本を笑って迎える場所であってほしいと思った。
「レナちゃん、顔が勇者だ」
「まよう英雄です」
「じゃあ、まよいながら守ろう」
「はい^^」
隣では、全自動のナナシが、何も言わずに同じ間隔で杖を掲げていた。その無言まで、今夜は防衛線の一部だった。奇妙で、頼もしくて、少しこわい一部だった。目をそらせないくらいに。本当に。今夜のコーベそのものみたいに。壊れかけで、まだ、まだ、立っている。
ゴブリンAIは——それを、狙いはじめた。
七日目、最終日。ゴブリンの動きが、また変わった。無反応の防衛者にだけ、執拗に群れが集中する。回り込み、同時に飛びかかり、詠唱の再使用の隙を、正確に突く。まるで「こいつらは反応の型が決まっている」と見抜いたかのように。
「AIが、botの癖を覚えた……!?」
「魔物が、人間の見分けをしてる……」
守る側の人間は寝ていて、攻める側の魔物は考えている。柵を挟んで、眠る人形と、目覚めた作り物が殺し合う。レナティアは回復を飛ばしながら、自分がいま、なにを守っていて、なにを倒しているのか、一瞬、本気で分からなくなった。
それでも——最後の波が引いたとき、コーベの門は、立っていた。
『イベント「ゴブリンの進軍」——防衛成功』
鐘が鳴った。生き残った防衛者たちの、まばらな、けれど本物の歓声。ロロさんはへたり込んで、それでも「巣は守ったぞー……」と両手を上げた。夜店のポーション屋が、売れ残りを全部ふるまい酒みたいに配った。等間隔の全自動部隊は、歓声の中でも等間隔のまま、無言で立っていた。誰かが、その一体の肩に、そっと花火(魔法)の光を乗せた。
——GMが現れたのは、その翌日だった。
コーベの広場に、金色の縁取りのローブを着た男が立った。頭の上の名前は【GM】タクト。周りに、みるみる人だかりができる。GMというものを、レナティアは初めて見た。
「はじめまして、の人が多いかな。運営のタクトです。まず——防衛成功、おめでとうございます」
ぱち、ぱち、と拍手。それから、誰かが吹き出しを飛ばした。
『なあGM、正直に言えよ。うちの島、全自動のやつらがいなかったら落ちてたぞ』
『あれ規約違反だろ。処罰しないのか』
『それとも守ったから無罪か? ルールってなんだっけ?』
広場が、しん、とした。GMタクトは、慌てなかった。
「はい。まず事実として——ゲーム外のツールによる全自動操作は、規約で禁止されています。これは今後も変わりません。見つけ次第、処罰の対象です」
『じゃあ』
「ただし、今回に限り、処罰はしません。それと、この島の防衛報酬は、規定どおり満額お支払いします」
ざわ、と吹き出しが揺れた。
「理由を言います。今回のイベントは、正直に言えば、うちの調整不足でした。七日七晩は、人間の生活を舐めた設計だった。それを、この島のみなさんは——寝ながらでも、守ってくれた」
小さな笑いが、広場のあちこちで起きた。
「街を滅ぼす『賢い魔物』は、うちが作った実験です。街を守る『眠る防衛者』は、みなさんの実験だった。実験と実験がぶつかって、街は守られた。今回はそれでいい、と、うちは判断しました。——ただし、次はありません。自動化は、ゲームを遊ぶことと、ゲームに遊ばれないことの境目を壊します。次のアップデートで、その境目は、こちらで引き直します」
『引き直すって、どうやって?』
「それは秘密です。……ひとつだけ言うと、同じ場所で、同じ動きだけを繰り返すのは、これからこの世界では、少し危ないことになります。魔物も、学びますから」
のちにレナティアは、その意味を知る。次の月のアップデートから、同じ狩場に長時間居座って同じ狩りを続けていると、どこからともなく「主」クラスの強敵が湧いて、逃げない獲物を襲うようになったのだ。眠る人形たちは、それきり柵の前から姿を消した。
質疑は、もうひとつ続いた。誰かが、あの夜のことを聞いたのだ。
『なあGM、もう一個。防衛二日目の夜、高レベルのヒーラーを五歳の子供が動かしてたって噂、あれはいいのか。アカウントの共有って、規約じゃ「第三者への貸与禁止」だろ』
広場のあちこちで、吹き出しがざわりとした。思わず、狸と顔を見合わせる。
「……その件も、把握しています。答えにくい質問ですが、逃げずに答えます」
GMタクトは、少し間を取った。
「規約の『第三者』という言葉は、正直に言えば、同居のご家族を想定して書かれていません。親の膝の上で、親のキャラクターを動かす子供。あれを『第三者への貸与』と呼んで罰するのが正しいのか——うちの中でも、意見は割れました。今回の整理を言います。保護者の監督下にあり、課金や取引に関わらず、誰にも迷惑をかけていない範囲なら、うちは目くじらを立てません。ただし、名義の責任は、すべて親が負う。それから——これは規約の外の話ですが。この世界は、大人の遊び場として作られています。子供が遊んで楽しい場所とは、限らない。むしろ、そうでない場面のほうが多い。……子供の遊び場の問題は、うちの宿題として、持ち帰ります」
『歯切れわるいな』
「歯切れよく答えていい問題と、そうでない問題があるんです。これは後者です」
その歯切れの悪さを、あたしは、嫌いじゃないと思った。線をすぱっと引くのは簡単だ。引いた線の両側に誰が立っているかを考えると、線は、あんなふうに、震える。
——ちなみに。
この防衛戦のあと、リボンちゃんは母親の買い物のあいだに、もう一度だけ預けられに来た。その、たった一度の預かりを最後に——リボンちゃんが島に来ることは、ぱたりと、なくなった。狸が世話を頼まれることも、それきり、なかった。コルセットさんに理由を聞いたことはない。ただ、あの夜のリボンちゃんは、島じゅうの噂になるくらい、活躍してしまったのだ。あんなに活躍したのに、来なくなった。……もしかしたら、活躍したから、なのかもしれない。名前が知られるということについて、あの人はあの人なりの線を、娘のために引いたのかもしれなかった。それが正しかったのかどうか、あたしには、いまでも分からない。
解散間際、GMタクトはふと、人だかりの端のレナティアを見た。正確には、レナティアの頭の上を。
「——名前つきの人だ。この島じゃ珍しい」
「は、はい。レナティアです」
「知ってます。中級試験の記録、いい試合でした。……相手の狸さんと、これからも仲良く」
それだけ言って、GMは光の柱になって消えた。
「……たぬさん。いまの、どういう意味でしょう」
「さあ? GMって、なんでも知ってるんだねえ。こわいこわい」
GMは、試験の記録まで読むらしい。組み合わせを決めるのは機械でも、そこで何が起きたかを見つけるのは、人なのだった。
——祭りのあとの談話室で、レナティアは日記を開いた。
書くことは、たくさんあった。たくさんありすぎて、うまく、まとまらなかった。
街を滅ぼすために作られた、考えるゴブリンがいた。あれは倒していい。イベントだから。作り物だから。でも最終日のあの群れは、明らかに「考えて」いた。考えるものを倒すのと、湧くだけのものを倒すのは、同じことなんだろうか。
街を守るために置かれた、眠る冒険者たちがいた。あれは悪いこと。規約違反だから。でも街は、あの人たちのおかげで立っている。悪いやり方で守られた街と、正しく滅びた街なら、どっちがよかったんだろう。
ぽちっとな、で舞う五歳の女の子がいた。動きはお母さんの台本で、喜んでいるのは本人だった。あの子はあのとき、遊んでいたんだろうか。遊ばれて、いたんだろうか。
わからないことばかりが、ページに並んだ。レナティアは最後に、一行だけ足した。
『つぎに「たおしていいもの」と「たすけるもの」をまちがえそうになったら、ちゃんと、まよおうとおもいます』
まよわずに斬るのが英雄なら、あたしは、まよう英雄でいい。
ペンを置いたところで、談話室の入口から、聞き覚えのある声がした。
「あーっ! れなてぃあおねえちゃん! たぬきのおじちゃんの、しっぽ!」
「俺本体より先に尻尾を呼ぶのやめようね?」
リボンちゃんが、母親の買い物のあいだ、また預けられに来たのだった。小さな手が狸の尻尾を掴んで、ぶんぶん振る。ぽちっとな、も、マクロも、台本もない、ただの五歳の力いっぱいで。
レナティアは、笑った。
輪郭の揺れる話は、今夜はもう、おしまい。目の前のこの子は、どこからどう見ても、あったかい、ほんものだった。
——それが、どれだけ贅沢な「わかりやすさ」だったのかを、レナティアは次の冒険で知ることになる。
空の青い、よく晴れた日のことだ。黒いドレスの女の子が、ひとり、迷いこんでくる。