カードアース
シックス編 第四章後編
シックス編 第四章後編
「みなさんこんばんは、シックスです。七月七日、七夕のセックをやっていきたいと思います」
今夜の会場は、川辺の広場だ。運営の七夕イベントで、頭上には本物の天の川——に見える何か——が街の灯りに負けずに流れ、川辺には笹と、願いの灯籠と、屋台が並んでいる。
そして俺たちは、全員、浴衣である。
「衣装係の本気を見よ」とサナナが袖を広げた。うちの衣装係——セシリアさんの新作だ。俺は紺の、サナナは赤の、マイは黒地に星の柄、アーネさんは水の色。セシリアさん本人は、藤色の浴衣で団扇を持ち、完全に夏の絵はがきだった。
『浴衣回きた』
『衣装係が入ってから画面が強い』
『わかる。写真集出せる』
「ふふ。帯はゆるめにしてありますからね、たくさん食べても平気よ」
「プロの気遣い」
さて、今夜は告知してあったとおり、ゲストがいる。
「先月、あたしが『夜の主』で死にかけたの、覚えてる?」とマイ。「そのとき助けてくれた、命の恩人! 今夜は来てくれました——レナティアさんと、狸さんです!」
拍手のエモートの中を、ふたりが歩いてきた。
ひとりは、薄紫の髪をポニーテールにした、落ち着いた雰囲気のお姉さんだった。浴衣(これもセシリアさんが今日仕立てた)を着て、丁寧にお辞儀をする。
「はじめまして。レナティアです。……その、たくさんの方が見てらっしゃるんですよね? ふつつかものですが、よろしくおねがいします」
『丁寧』
『ふつつかものて』
『嫁入りの挨拶なんよ』
もうひとりは——狸だった。
二本足で歩く、信楽焼みたいな狸である。腰に大ぶりの剣。浴衣は着ていない。「俺、毛皮が正装だから」とのことだった。
「どももー、みなさんおひさっすー。……あ、初対面か。どももー、みなさんはじめましてー」
『狸だ』
『しゃべった』
『種族なに?』
「種族は狸だよー。狸の戦士。当たらなければどうという事はない、をモットーに生きてます」
『どこから来たの?』
「んー、遠くの区画からー。旅の途中!」
それ以上は、狸さんも言わなかったし、誰も聞かなかった。この世界は広い。俺がまだ歩いたことのない場所を、この二人はたぶん、ずっと歩いてきている。
『元ネタが古い』
『古いが通じるのが逆にすごい』
マイが、先月の一部始終を語った。黒いドレスのままソロクエストを受けたら魔物側にされて、声も名前も奪われて、一晩じゅう追われたこと。撃たれる寸前、この狸が間に割って入ったこと。この人の回復魔法で、討伐対象の魔物ではなくプレイヤーだと分かったこと。
『そんなことになってたのか』
『「すぐ戻る」の真相』
『狸さんかっこいいじゃん』
「いやー、それほどでもー」
「それほどでした」とレナティアさんが真顔で言った。「たぬさんは、あたしの氷の前に、飛び込んだので」
「レナちゃん、それ、俺が命がけっていうより、レナちゃんが撃ちかけた話にならない?」
「なります。反省してます。だからこうして、慰労に来ました」
このふたりの会話は、聞いていて妙に心地がよかった。長年連れ添った、漫才師の間合いだった。
——宴は、短冊コーナーから始まった。
笹に吊るす短冊は、リスナーも文字を送って参加できる仕様だ。画面の向こうから、続々と願いが届いて、川辺の笹に灯っていく。
『痩せたい』
『単位ください』
『フォロワー1万人』
『夜勤がなくなりますように』
『推しの配信が永遠に続きますように』
「……願いって、生々しいな」
「星に頼むことじゃないだろ、ってやつほど、星に頼みたいんだよ」とサナナ。
うちのメンバーも書いた。
マイの短冊は『飛んでも減らない胸』。
「切実!」
「切実なの! 世界一もとが取れない貯金なの!」
アーネさんの短冊は『みんなが、よく眠れますように』。
『アーネさんの声で既に眠い』
『短冊が実現済み』
セシリアさんは『家族の、健やかな一年を』と書いて、それから少し考えて、隅に小さく『新作の生地が手に入りますように』と足していた。願いにも本業が出る。
サナナは——書いたところまでは、見えた。見えたのだが、見せる前に、川風が吹いた。
短冊が、ひらりと飛んだ。
「あっ、ばか、待て——!」
飛んだ短冊は、くるくると舞って、よりにもよって俺の顔に貼りついた。
場が、止まった。サナナが浴衣のまま石みたいに固まっている。コメント欄が『読め』『読むな』『読め』で二つに割れて滝みたいに流れる。
俺は短冊を顔から剥がして——裏返しのまま、サナナに差し出した。
「ほら。飛ばすなよ、願いごと」
「…………読んでない?」
「読んでない。人の願いは、星だけが読めばいい」
『えらい』
『読まないのが偉い』
『でもちょっと読んでほしかった(俺らが)』
「〜〜っの、当たり前だ! 星以外は読むな!」
サナナは短冊をひったくって、今度は笹のいちばん高いところに、自分で結びに行った。高いところなら、誰にも届かない。風に飛ばされないよう——というより、絶対に誰にも解かれないよう、執拗に二重、三重と固結びを重ねていく。……いや、七夕飾りにそこまでの防犯意識が必要なのか、とは思ったが、言わないでおいた。
狸の番になった。
狸は、太い筆ペン(の見た目の何か)を器用に握って、さらさらと書いた。
『レナちゃんのウェディング姿が見たかった』
「たぬさん!?」
「だって先月、全員花嫁の話聞いてさー。いいなあって。レナちゃん、ぜったい似合うのに、うち、そういう行事なかったから」
「そういうのは、その」
レナティアさんは、ちょっと困った顔をして、それから、ふ、と笑った。
「——また来年ね」
「お、約束した。みなさん聞きました? 録れてます?」
『録れてます』
『来年の予約入りました』
『夫婦か?』
「夫婦ではないです」とレナティアさんは涼しい顔で言い、狸は「照れ隠しだねえ」と言って剣の柄で頭を小突かれていた。夫婦ではない、の否定のしかたが、夫婦のそれだった。
レナティアさんの短冊は、シンプルだった。
『このゆるい冒険が、ながくつづきますように』
「壮大な願いじゃなくて、いいのか?」と俺は聞いた。
「はい。昔は、強くなりたいって、そればっかりだったんですけど。……いまは、これが、いちばん贅沢な願いだと知ってるので」
昔、の言い方が、ずいぶん遠くを見る言い方だったので、俺は少しだけ、この人の「昔」を見てみたくなった。聞かなかったけれど。この世界では、画面の向こうと、それから人の「昔」は、聞かないのがマナーだ。
——最後が、俺だった。
筆ペンを持って、笹の前に立って、俺は、固まった。
「シックス? どうした、書けよ」
「いや……思いつかない」
「なんかあるだろ。フォロワー百万とか、収益とか」
「うーん」
考えた。本気で考えた。フォロワーは増えている。セックは毎月ある。ハーレムは二十四人になった。飯はうまい。仲間は騒がしい。来月も再来月も、企画はもう決まっている。
「……ない。書くことが、ない」
『は?』
『向上心!』
「違う、そうじゃなくて」
俺は白紙の短冊を、そのまま笹に結んだ。
「書くことがないくらい、楽しいんだ、いま。……これ以上を星に頼んだら、罰が当たる」
場が、一拍、静かになった。
『……それはズルい』
『白紙が一番強いのある?』
『泣くが?』
「はいはい、いい話にしない!」とサナナが手を叩いた。「ほら、灯籠流すぞ! 屋台も回るぞ! 七夕は忙しいんだ!」
——宴のあと、川辺で灯籠を流した。
天の川の下、何百の灯りが水面を滑っていく。隣でレナティアさんが、目を細めてそれを見ていた。
「織姫と彦星って、年に一度しか会えないんですよね」
「らしいな。かわいそうに、とは思う」
「あたしは、ちょっとうらやましいです。……年に一度でも、ちゃんと会えるって、決まってるので」
どういう意味か、聞きそびれた。聞かないのがマナー、というやつを、このときばかりは少し、恨んだ。
「えー、七夕のセックでした。ゲストのレナティアさん、狸さん、ありがとうございました。来月は八月七日——」
「くるるの日、だな」とサナナ。
「くるるって何だ?」
「知らん。だが、でかいイベントらしい。海で」
『くるるの日きた』
『あの子出るのか』
『夏だ! 海だ!』
コメント欄のほうが詳しいのは、いつものことである。天の川は、配信を切ったあとも、ずっと流れていた。