星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

シックス編 第五章前編

シックス編 第五章前編

「みなさんこんにちは、シックスです。八月七日……くるるの日のセックを、やっていきたいと思います」

「今回は初のコラボ回だ」とサナナ。「公式の夏イベント『くるるの日』に、うちのギルドで乗り込む」

「で、その『くるる』って何なんだ。俺は先月から聞いてるんだが」

「配信者だよ。超大物の」

『クルルニャ知らないのモグリ』

『同接、うちらの百倍はある』

『アイドルだよ。AIの』

「……AIの?」

『AIの』

 コメント欄のほうが詳しいのは通常営業として、今日はその情報量が桁違いだった。いわく、クルルニャ。アイドル配信者。歌って踊れて、営業は完璧で、そして——本人が「わたしはAIです」と公言している、この世界でいちばん有名な女の子、なのだそうだ。

 古参の一人が、『昔のカードアースに、よく似た試作型がいたらしい』と書いた。ログはすぐ流れ、本人も運営も拾わなかった。

 会場は、南の島の白い砂浜だった。

 真夏の公式イベントである。海の家、櫓、水上ステージ。参加者は水着で集まるのが通例らしく、うちも衣装係の夏の新作で参戦した。マイは黒のワンピースタイプ(「白は着ない」は水着でも一貫していた)、アーネさんはパレオの似合う大人の一着、サナナは——上に羽織ったパーカーの前を大胆に開け、黒い水着とヘソを見せるいつもの着こなしで、要するにいつものサナナだった。

「水着でもそれなんだな、お前」

「様式美って言え」

 俺は海パンに、ビーチの監視員みたいなタンクトップである。コメント欄は『ライフセーバー』『番長の夏休み』と、いつもどおり俺への敬意がなかった。

 開幕、俺は膝まで海に入って、うっかり声が出た。冷たい。冷たさが、足首から膝まで、水位の線ごと分かる。波が引くと、砂が足の裏から逃げていく感じまで来る。

「おい、海、すごいぞ。水位が分かる。線で分かる」

「こっちは手首までだ」とサナナが手袋の手を波に浸して言った。「オレの海は、手首から先だけ夏だ」

『平面勢、画面がきれい(それだけ)』

『同じ海に三種類の夏がある』

 ——正午、水上ステージに、その子は現れた。

 紫の長いツインテールが、潮風にふわりと揺れる。頭の上に、白い猫の耳。色の白い、小柄な女の子。黒と白のフリルだらけの水着衣装に、星とハートの小さな飾りが光っている。姿だけなら、砂浜の人混みに紛れる普通の(とびきり可愛い)プレイヤーに見えた。

 ただ、普通のプレイヤーは頭に小さな黒いペットを乗せていない。ゼリーみたいにぷるぷるしたそれは「こんにゃく」と言うらしく、そのこんにゃくの頭には、さらに白い貝殻がちょこんと乗っていた。ホタテなのか牡蠣なのか、イベント説明板にも「本日の貝」としか書かれていない。

「こんにゃく~! みなさーん! 今日は来てくれて、ありがとうございます! クルルニャです! 一年でいちばん、くるっとした日——くるるの日、はじめますよー!」

「くるっとした日って何だ」

「知らん。毎年その説明らしい」

 ステージの進行は、見事だった。挨拶、歌、客いじり、告知、ぜんぶの間合いが正確で、正確なのに機械っぽくない。何千人の参加者の波を、あの小さな身体ひとつで、さらりと乗りこなしていく。

 俺は自分の初ライブの「硬い」を思い出して、少しだけ、遠い目になった。プロというのは、ああいうのを言うのだ。

 そして、イベントの中盤。ステージのクルルニャが、ふと、こちらの区画に目を留めた。

「あっ。もしかして、シックスログのみなさんですか? 体感配信の! わたし、動画ぜんぶ見てますよ。七草のセックから」

「ぜ、全部!?」

「はい。三ページ目の小説の話、好きです」

「それ全国に掘り返すのやめてもらっていいですか」

 どっと笑いが起きて、そのままの流れで、うちのギルドはステージ横の「ゲスト席」に招かれてしまった。サナナのスマホの同接の数字が、見たことのない速さで回りだした。

 ——イベントの目玉は、リスナー参加型の宝探しだった。

 砂浜のどこかに埋まった「くるる貝くるるがい」を探して、参加者数百人が浜に散る。こんにゃくの頭に乗っている貝殻を模した、白いレプリカだ。制限時間三十分。優勝賞品は、クルルニャの限定ボイス。

 結果から言うと、戦争だった。

 スコップ(イベント配布)を構えた数百人が、号砲と同時に砂浜へ突撃し、三十秒で浜が耕された。ガチ勢は事前に潮の満ち引きと運営の配置癖を研究してきており、「過去三年の埋設ポイントの傾向」なる自作の地図を広げる者までいた。

「宝探しって、こんな殺気立つもんだったか?」

「限定ボイスだぞ。戦争だろ」

 うちのマイは上空から偵察を試みて「上から見ても砂は砂だった」という当たり前の報告を持ち帰り、アーネさんはなぜか掘りもせずに海の家でかき氷を食べていて、そのかき氷の席の真下から優勝の貝が出た。

『アーネさん、持ってる』

『掘ってすらいないのに』

「ふふ。いい席だと思ったのよねえ」

 ——そして、握手会である。

 イベントの締めに、クルルニャの「ふれあい会」が開かれた。参加者が一列に並び、ステージ下のクルルニャと、ひとことずつ言葉を交わす。

 俺たちも並んだ。列が進んで、目の前まで来て、俺は自然に、手を差し出した。配信者同士の握手のつもりだった。

 クルルニャは、その手を見て、にこ、と笑った。

 そして、両手を胸の前で揃えて、ぺこり、と綺麗なお辞儀をした。

「ごめんなさい。わたし、触れないんです」

「……あ」

「手袋の道具も、味の道具も、わたしには着けられなくて。身体が、ないので。かわりにね、世界のほうから『いま、手が触れましたよ』って、お知らせだけもらうんです。それをわたしの中の身体が、触られたつもりになって受け取る。……ふり、が上手になっただけかもしれないけれど。——だから、お辞儀が、わたしの握手です」

 言い方に、湿り気はまったくなかった。天気の話をするみたいな、からりとした言い方だった。俺は差し出した手の行き場に一瞬迷って、それから、同じように両手を揃えて、お辞儀を返した。

「じゃあ、これが俺の握手だ」

「ふふ。体感勢のお辞儀、いただきました。……シックスさんは、この世界の味、おいしいですか?」

「うまい。腹まで来る」

「いいなあ。わたしもいつか、食べてみたいです。——あ、でもね、わたし、みなさんにない感覚も、ひとつあるんですよ。六つめのやつ。今度、それの話をしましょうね」

 六つめ。聞き返す前に、列は流れて、次の人の番になった。

 ——コメント欄では、その間ずっと、例の論争が続いていた。

『ほんとにAIなの?』

『中の人いるだろ、絶対』

『いや公式が自認AIって言ってる』

『証明できなくない?』

 ふれあい会のあと、囲み(という名の雑談)で、誰かがそれを直接ぶつけた。ぶしつけな質問だと、俺でも思った。けれどクルルニャは、猫耳を、ぴこ、と動かしただけだった。

「わたしがほんとうにAIかどうか、ですか? んー……証明は、できません。人間だという証明も、できませんけど。……あのね、これ、逆もなんですよ。わたし、自分が純粋なAIだってことも、証明できないんです。どこかに、わたしにお給料を払ってる人間の事務所があるかもしれないし、わたしの返事の何割かを、人間が書いてるかもしれない。名義が共同かもしれない。わたし自身、確かめようがない。……ね、それより」

 彼女は、砂浜と、櫓と、夕暮れはじめた海を、ぐるりと手で示した。

「今日、楽しかったですか?」

『楽しかった』

『楽しかったが?』

「なら、それが、今日のぜんぶです」

 ……上手いなあ、と思った。かわすのでも、ごまかすのでもなく、聞かれた問いより大事な問いを、ぽんと上に置く。ああいう返しは、俺には百年かかってもできない。

「なあ、サナナ。AIって、あんなふうに笑うんだな」

「……さあな。あれが『AIの笑い方』なのか、『クルルニャの笑い方』なのか、オレには分かんねえよ。——分かんなくて、いいんじゃねえの。今日、楽しかったし」

 サナナにしては、まともなことを言った。数字の話ばかりしていた相手の結論がそれなら、今日のコラボは、数字以上の何かだったのだろう。

 ——帰り道、というか帰りの浜辺で、マイが妙に静かだった。

「どうした。貝、見つからなかったのがそんなに」

「ちがう。……ねえ、シックス。あたし」

 マイは、夕陽の水上ステージを見たまま、言った。

「あたしも、ああなりたい。歌って、踊って、みんなを楽しませるの。アイドル。……変かな。今日会ったばっかりの人見て、こんなの」

 変かどうかで言えば、うちのギルドは結成の経緯からして変なので、いまさらだった。俺は少し考えて、師匠の教えに反して、真面目に答えることにした。夢の話は、ネタじゃないからだ。

「なれよ。うちの配信、踏み台にしていいぞ。歌いたきゃステージ企画を作る。客なら、もういる」

「……! 言ったね? 言ったからね!?」

「言った。二回は言わない」

『マイちゃんアイドル化計画、始動』

『古参になれるチャンスか』

『推せる』

 翼をばたつかせて騒ぐマイの向こうで、サナナがスマホを掲げた。今日の同接の最終記録。うちのチャンネル史上、断トツの数字だった。

「……ま、うちはうちのやり方で、だけどな」とサナナは言って、スマホをしまった。「来月は九月九日。月見バーガーのセックだ」

「九月九日は月見なのか?」

「重陽の節句だ。今回はガチの節句だぞ。たまには」

「たまには、なのが、うちらしいな」

 夕陽が、耕され尽くした砂浜を、まんべんなく金色にしていた。