カードアース
レナティア編 第五章 斜陽(3/3)
「あー、うん。もう誘わなくていいよ、コルセット」
「……は? たぬき、あんた、あの子のレベルのこと考えてんの? アタシ抜きでどうやって」
「二人で、ゆっくりやるの。効率悪く、遠回りで、楽しく。……あのさ、コルセット。前の時代から言おうと思ってたんだけど、俺、君の狩りって、一回も楽しかったことないんだよね。速いんだけどさ。うん、速いんだけど」
それは、たぶん、コルセットさんがいちばん言われたことのない種類の悪口だった。強い弱いの棚のどこにもない、「楽しくない」という札。
それから狸は、ひと呼吸ぶんの間をあけて、付け足した。
「——あと。掲示板に、レナちゃんの『男だよ』って書き込んだの、あなたでしょ」
「……はあ? 証拠でもあるの?」
「ないよ。この世界、ああいうのの証明って、できないんだよね。だから運営にも言わないし、板にも書かない。……でも、俺が知ってるってことだけは、知っといて」
コルセットさんは、二の句を継がずに、踵を返した。去りぎわに一度だけ振り向いて、あたしたちを——値踏みでも値切りでもない、はじめて見る、平べったい目で見た。
「……いいわよ、別に。あんたたちみたいな遊び方、どうせ先で詰むんだから。そのとき、後悔しなさい」
その予言が半分あたって半分はずれるのは、ずっとあとのことだ。ともかくコルセットさんは、あたしたちの前から、いったん、いなくなった。いなくなっただけで、いなくなってはいない。あの人はこのあと、もっと大きな「強い男」を見つけて、その隣に現れることになる。
——上級試験のことは、短く書く。
あたしたちは七十五から上り直して、秋の終わりに、二人そろってレベル八十に届いた。本来は、日課をこつこつ回す人たちが年の暮れにたどり着く高さだと言われていた。あたしたちは、ひと月早かった。……早さの何割かが、あの霧の中の日々の置き土産であることは、否定できなかった。置き土産の使い道くらいは、あたしたちが決めていいはずだった。
この島の上級試験にも対人の実技があって、あたしの相手は屈強なナナシの斧使い、狸の相手は無口なナナシの弓使いだった。詳細は省くが、二人とも、ちゃんと削り合って、ちゃんと受かった。
短く書く、と言ったけれど、ひとつだけ書いておきたい。
試験場の床は、白い石でできていた。中央に円が描かれていて、その外に出ると失格。観客席はない。あるのは、審判役のNPCと、対戦相手の名前のないナナシだけ。斧使いは大きかった。大きい人は、この世界ではだいたい本当に大きい。背中の斧の刃が、あたしの顔くらいあった。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
斧使いは、たぶん、良い人だった。礼をして、開始の合図を待って、それから最初の一撃を、まっすぐに振り下ろした。
あたしは、受けなかった。
受けるまえに、準備を済ませていた。ユカちゃんの膜を、一枚ではなく、薄く三枚。タマちゃんの蔓を、自分の足元ではなく、円の内側に輪のように。砂漠で足りなかったものと、アンデッドの霧で失ったものを、ひとつずつ思い出して、事前に置く。ぱっと傷を消す力は、最後まであたしには足りない。だから、傷が生まれる前に、置けるものを置いた。
斧が落ちる。上の膜が割れる。二枚目が軋む。三枚目で止まる。
あたしは一歩横へ滑って、氷を床に薄く敷いた。斧使いの足が、半歩だけ遅れる。半歩あれば、狸がよく言う「だいたいのこと」はできる。あたしは光の槍を投げ、同時に、タマちゃんの蔓を足首に絡めた。
「……うまいな」
「たくさん、失敗しましたので」
斧使いは笑った。笑って、今度は横薙ぎに来た。逃げ場は少ない。円の内側。けれど、あたしはもう、狭い場所で囲まれるのに少し慣れていた。慣れたくて慣れたわけではない。それでも、慣れたことまで捨てる必要はなかった。
合格ラインの光が、床に灯る。
倒す必要はなかった。倒される必要もなかった。ただ、ここまで来た自分の形を、ちゃんと出せればよかった。
試験が終わると、隣の円で狸が弓使いを追い回していた。追い回しているというより、逃げる弓使いに「待って、俺の射程は短いんだよ」とお願いしていた。試験場でお願いが通るはずもなく、狸は最後に二刀の片方を投げた。もちろん、剣は投げる武器ではない。審判役のNPCが「武器の用途外使用、減点。失格ではありません」と言った。狸は「当たったのに」と不満そうだった。
受かったので、よしとした。あたしは二体の精霊を深く扱う召喚士へ、狸は二刀だけでなく多様な武器を扱える武器士へ進んだ。
弓使いのナナシは、去りぎわに一言だけ「剣、投げても失格じゃないんだな」と言った。たぶん、次の試験会場では剣を投げる人が一人増える。
あたしの「備え」は、砂漠で詰まったあの日から、少しだけ形を変えていた。備えの浅いぶんは、狸のポーションが埋める。狸の無茶なぶんは、あたしの備えが吸う。二人ぶんの欠けを、二人ぶんの余りで埋める。コルセットさんの完璧な回復はないけれど、あたしたちの旅は、また、あたしたちの速度で動き出していた。
合格の晩、ロロさんが、たまり場であたしたちを呼び止めた。
「レナティアさん、狸さん。……うちの幹部、やらない?」
「かんぶ」
「そ。でっかい巣の、世話係。掲示板の依頼を整理したり、新人の面倒みたり、まあ、いま二人が勝手にやってくれてることに、肩書きがつくだけなんだけどね」
ロロさんは、へらりと笑って、それから、すこし間をおいて続けた。
「……最近さ、巣の空気が、ちょっとずつ、変でしょ。誰が言い出したんだか分かんない噂とか、誰かを削るための書き込みとか。ああいうのに、巣の中から「うちはうちだよ」って言える人が、ほしいんだ。名前を出して、風景になって、それでも折れなかった人がさ」
風景になった、の言い方に、あたしは少し笑ってしまった。この軽薄なギルドマスターは、なにも見ていないようで、ぜんぶ見ている。
「……お受けします。お嫁さんは、なりませんけど」
「それ、まだ根に持って——俺が根に持たれてるの!?」
——夜、指定席の窓から、港の夕暮れの名残が見えた。
斜陽、という言葉を、あたしは古い本で覚えた。傾いた日、という意味だ。まだ夜ではない。でも、影は、確かに長くなりはじめている。ギルドの空気のことも、コルセットさんの捨て台詞のことも、匿名の板の底のほうでうごめいている何かのことも、あたしはまだ、半分も分かっていなかった。
それでも、今夜の窓ぎわには、いつもの串焼きと、いつもの狸がいる。
「レナちゃん、見て見て。新しい称号取れた」
「なんですか?」
「『不撓不屈』。……アンデッド狩場で百回死ぬと貰えるんだって、これ」
「それ、自慢していい称号ですか?」
「胸を張って生きていくよ、俺は」
あたしは、笑った。ちゃんと、声を出して笑えた。
あたしたちの遊び方は、先で詰むのかもしれない。効率は悪いし、遠回りだし、レベルの数字は、きっとまた誰かに追い抜かれる。
でも、あたしの日記のページは、今夜も、ちゃんと埋まっている。
それが、あたしたちの強さだ。……ということに、しておいてほしい。