星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

タクト編 第六章

タクト編 第六章

 二〇一一年、十一月の終わりの話だ。

 議事録が、書けなかった。

 その日の俺は、二鯖——匿名の島のプレイヤーヒアリングに出ていた。運営として、島の住民の生の声を聞く定例会。集まってくれたのは十二人。全員、協力的で、話も面白かった。

 問題は、十二人全員の頭の上に「ナナシ」と表示されていたことである。

「えー、では先ほどのご意見……どちらのナナシさんでしたっけ」

「俺です」

「私です」

「たぶん俺」

「議事録には『ナナシ氏(左から三番目)』と書いておきます」

「途中で席替えしたぞ、俺たち」

「【GM】タクト:この島のヒアリングは、次回から座席指定制にします」

 帰社して、議事録の発言者欄が「ナナシ」で十二行埋まった書類を提出したら、カミエさんが珍しく、ふ、と笑った。

「懐かしい。CE1のときも、そうでした」

「CE1のとき?」

「……少し、昔話をしましょうか。あなたの設計した島の、先代の話」

 ——カミエさんの昔話は、俺の知っているCE1と、半分だけ重なっていた。

 俺の知っているCE1は、一鯖だ。ヤエスの雑踏、狩場の奪い合い、防衛戦。頂点には俺がいた。——といっても、俺が中で暴れていたのは、七年前から五年前までの、たった二年である。CE1がいちばん明るかった、あの二年だ。

 カミエさんの知っているCE1には、もうひとつの島があった。第2サーバ。とりたてて特徴のない、ただの増設サーバだったはずのそこに、ある時期から、外の世界の匿名掲示板の住民が、なだれ込むように集まりはじめた。

「発端は、掲示板の祭りです。『みんなで同じ島に移住しようぜ』という、遊び半分のスレッド。……その音頭を取った人物が、いました。ハンドルは——影かげ」

 影。

「本名も、素性も、性別も、誰も知りません。掲示板の有名人で、扇動の名人でした。移住祭りは大成功して、二鯖には巨大な匿名ギルドができました。名前は『CE7743』——カードアース名無しさん。ふざけた名前でしょう。最盛期は、サーバ人口の三割があのタグを付けていました」

「三割。……で、その影ってのが、ギルドマスターに?」

「いいえ。影は、ギルドに入りもしなかった」

 カミエさんは、湯呑みを置いた。

「影は、掲示板にいたんです。ずっと。ゲームの中で剣を振るかわりに、板で言葉を振るった。……手口は、こうです。まず、標的を決める。二鯖で目立つプレイヤー、影の言うことを聞かないギルドの幹部、そういう人物の『問題行動』を、板に書く。本当のことも、切り貼りも、作り話も混ぜて。それから——賛同者が、わっと湧く」

「湧く?」

「湧くんです。『俺も見た』『あいつは前からおかしいと思ってた』『みんな迷惑してる』。一晩で何十人も。……のちに分かったことですが、その『何十人』の書き込み時刻を並べると、綺麗に数分おきでした。文体も、癖も、同じ。一人が、何十人を演じていたんです」

 多重の帳簿。水増しの世論。俺は、自分の設計した島の告知文を思い出していた。名前を伏せることで、復讐を逃れられる島。名前を伏せることで——一人が群衆になれる島。

「祭り上げられた『共通の敵』は、どうなるんです」

「引退します。ほぼ、例外なく」

 カミエさんの声は、平坦だった。平坦な声で言うと決めている人の、平坦さだった。

「ゲーム内でどれだけ強くても、板の世論には勝てません。ログインするたび、島じゅうが自分の悪口を知っている。仲間が距離を取りはじめる。……最後は皆、静かに消えました。そうやってライバルと目障りな者が全員消えたとき、二鯖の秩序は、事実上、影のものでした。一鯖の頂点があなたなら、二鯖の頂点は、影だった」

「……運営は。あなたは、何をしてたんです」

 聞いてから、意地の悪い質問だと思った。カミエさんは、目をそらさなかった。

「何も、しませんでした」

「……」

「規約上、影は何も違反していなかったんです。ゲーム外の掲示板の書き込みは、うちの管轄外。ゲーム内の影は、ただの一プレイヤー。PKすら、自分ではしない。……それに、当時の私たちには、合言葉がありました。『当時のネトゲは、そういうもの』。殺伐も、粘着も、引退も、そういうもの。仕様です、で、七年、流しました」

 テンプレは正義です、と言い張る人が、テンプレで流せなかったものの話をしている。俺は黙って、続きを待った。

「……一度だけ、引退した子から、長い手紙が来たことがあります。運営に届く手紙なんて、苦情ばかりでしたから、覚えています。『ゲームは楽しかったです。人間が怖かっただけです』——私はあれに、テンプレを返しました。いまでも、文面を覚えています。一言一句」

 カミエさんの「テンプレは正義」は、鎧なのだった。あの手紙以来の。

「タクトさん。あなたが二鯖の設計書を出したとき、私が反対しなかった理由が、分かりますか」

「隔離が正しいと思ったから、では、ないんでしょうね」

「檻の場所が分かっていれば、次は見張れるからです。CE1の私は、檻がどこにあるのかすら、見ていなかった」

 ——余談を、ひとつだけ挟んでおく。

 この「匿名の檻」という運用が、いまとなっては、もう二度とできない類のものだということだ。名前を伏せた客同士を、わざと殺伐に調整した島に集めて、殴り合わせて、それを商売にする。当時のネトゲだから通った話で、後の時代の、後の規模の会社がやったら、株主総会が三回は燃える。……できた時代に、できたことを、覚悟を決めてやった。俺に言えるのは、それだけだ。正しかったかどうかの採点は、この帳面の最後まで、保留にさせてほしい。

 ——CE2の二鯖の「現在」の話をしよう。

 俺の設計した匿名の島は、開店から四か月目に入って、表向きは、うまく回っていた。

 PvPは賑わい、都市の看板は三つ埋まり、匿名文化は花盛りで、苦情の量はむしろ全鯖でいちばん少ない。名物もできた。「CE7743」——そう、あの名前が、この島で再興していたのだ。調べたところ、CE1の残党が持ち込んだ看板を、誰かが「襲名」したらしい。いまのマスターは、初心者を拾いまくる世話焼きで、ギルドはさながら巨大な保護施設。悪い噂は、ない。

「襲名、ですか」とカミエさん。「……誰に、要請されて?」

「さあ。そこまでは。……嫌な聞き方をしますね」

「職業病です」

 巡回スタッフの報告書には、平和な話題が並んでいた。曰く、先日のゴブリン防衛イベントの復興が進んでいる。曰く、例の名前つきのプレイヤーは、島の名物として定着した模様(報告書の表現を借りれば「風景になった」)。曰く、規約の抜け道職人が「ゲーム内の伝書鳩に悪口を運ばせる遊び」を発明したので塞いだ——どこにでもいるな、抜け道職人。

 楽園、のはずである。

 ただ、ひとつだけ。カミエさんが毎朝続けている外部掲示板の定点観測に、この頃、妙な癖のあるデータが混じりはじめていた。

「二鯖関連のスレッドの投稿数が、深夜帯だけ、不自然に伸びます。文体の分散が狭い。……既視感が、あります」

「……水増し?」

「まだ、断定はしません。まだ」

 カミエさんの「まだ」は、二回とも、同じ重さではなかった。この話の続きは、もう少し先で書くことになる。

 ——ここからは、先の話をふたつ、書いておく。

 この帳面は、島の話をまとめて書くと決めているので、年が飛ぶ。日付だけ、はっきり書いておく。読み違えないでほしい。

 ひとつめは、二〇一三年の夏の話だ。

 三鯖。地域の島。瑠璃るりの企画書から生まれた、「ゲームで出会って、現実で家族になる人が増えたらいい」の島。

 あの島は、いい島だった。本当に、いい島だったのだ。自己紹介の看板文化があって(初めて巡回したとき、俺は皆の自己紹介文の眩しさに、日焼けするかと思った)、都道府県別のお祭りがあって、実際に何組も、結婚の報告が運営に届いた。俺と瑠璃は、報告が届くたび、二人でこっそり祝杯を挙げていた。

 その二〇一三年の夏、事件は起きた。

 詳細は書かない。書かないが、骨子はこうだ。三鯖で知り合った高校生が、ゲームの外で相手と会い、事件に巻き込まれた。相手は、プロフィールのすべてを偽っていた。写真も、年齢も、名前も。実名推奨の島で、実名の仕組みだけが、悪意に対して無力だった。

 報道が出た。ゲーム名は、出た。

 そして法律が、動いた。ゲーム内の「出会い推奨」の仕組みが、出会い系サイトを規制する法律の枠に、かかりうる——未成年が使える形のままでは。

 対応会議は、三日続いた。結論はこうだ。三鯖の「出会い推奨」の看板を下ろす。都道府県表示を消す。写真と外部連絡先の機能を廃止。全プレイヤーに年齢確認を導入。……つまり、三鯖を、ただの島に戻す。

 会議のあいだじゅう、瑠璃は在宅の回線の向こうで、ずっと静かだった。夜、家で、堰が切れた。

「……わたしの、企画書のせいでしょうか」

「違う」

「『わたしたちみたいに』って、書きました。わたしたちみたいに幸せになる人が増えたらいいって。……わたし、わたしたちが運がよかっただけだって、考えたことも、なかった」

 俺は、言葉を選んだ。選んで、選びきれずに、結局、まっすぐ言った。

「瑠璃。あの島で、何組が家族になったか、覚えてるか。……お前の企画書は、間違ってなかった。仕組みが、子供を守りきれなかった。それは企画の罪じゃなくて、設計の宿題だ。俺たち全員の」

「宿題……」

「ああ。いつか解く。……たとえば、そうだな。最初から、大人しかいない世界なら」

 口に出してから、自分の言葉に、少し驚いた。大人しかいない世界。年齢確認を入口で済ませた、遊びの治外法権。そんなもの、作れるのか? 分からない。分からないまま、その言葉は俺の中の抽斗——接待論の芽をしまってある、あの抽斗の隣に、そっと入った。

 なお、皮肉な後日談をひとつ。廃止された三鯖の「出会い」機能の開発チームは、そっくり子会社に移って、翌年、ゲームと関係のない婚活マッチングサービスを立ち上げた。年齢確認と本人確認を法律どおりに固めたそれは、堅実に儲かった。「出会いたい人間の需要は、規制では消えない。行き場が変わるだけ」——カミエさんの評である。この評言を、俺はのちのち、別の文脈で何度も思い出すことになる。

 ふたつめは、二〇一三年の暮れ——看取りの話だ。

 CE1が、サービスを終了した。

 決めたのは、経営会議だ。CE2は軌道に乗り、CE1の維持費は、もう情熱では説明できない数字になっていた。会議の席で、終了の稟議書に判を押す役目は、話の流れというやつで、CE1をいちばん知っている男に回ってきた。

 つまり、俺だ。

 九年前、この世界の門をくぐった大学生は、九年後、その門を閉める判子を持っていた。

 最終日、俺は仕事を定時で上がって、家のパソコンから、私物のアカウントでログインした。【GM】ではない、ただのタクトとして。

 ヤエスは——満員だった。

 サーバ史上、最多の同時接続。社長の言った通りだった。みんな、いたのだ。ずっと、暗い画面の向こうに。露店通りは九年ぶんの古参で埋まり、あちこちで花火が上がり、誰かが「ヤエス防衛ごっこ」の音頭を取り、東門と南門で、笑いながらの大乱闘が起きていた。

「マスター! 来ると思った!」

「エア嫁の! じゃなかった、既婚の!」

「正座の人も来てるぞ! ほら、あそこ! 立ってる!」

「立ってるんだ……」

 旧ギルドの連中と、俺は最後の夜を歩き回った。サクラの街道。初心者の草原。でかすぎる月。そして日付が変わる少し前、ヤエスの南口の、あのベンチの前を通りかかったとき——

 ベンチに、付術師が座っていた。

 俺の後釜の、いまの辻バフ屋だ。九年間で何代目になるのかは知らない。その付術師が、俺を見て、無言で細身の剣を振った。

 足元に、青い輪が広がった。

 ダッシュターボ。レベル五。全部の速度が、二十五パーセント速くなる。

「……っは」

 九年間、配る側だった。最後の最後に、受ける側に回った。世界が加速する。この足の軽さを、俺は配っていたのか。こんなに、嬉しいものを。

「【GM】でもないのに泣くなよ、マスター」

「泣いてない。ラグだ」

 零時、世界の灯りが、順番に消えた。ヤエスの門。露店の通り。でかすぎる月。最後に、システムメッセージがひとつだけ流れて、九年の世界は、静かに閉じた。

『——九年間、冒険をありがとうございました。あなたたちの物語は、ここで終わりません』

 文面は、俺が書いた。嘘は書いていない。キャラクターのデータはCE2へ引っ越せるし、正規ライセンスになった博物館——エミュ鯖の灯りは、今夜も点いている。それでも、と、暗転した画面の前で俺は思った。

 場所は、死ぬのだ。データが残っても、あのベンチのあの雑踏は、もう、どこにもない。

 だから、俺の仕事は、こうだ。いま生きている場所を、できるだけ長く、できるだけ楽しく、生かしておくこと。子供を守れる仕組みを、いつか、ちゃんと作ること。

 ——時計を、二〇一一年の暮れに戻す。

 十二月に入ってすぐ、カミエさんが、定点観測のグラフを一枚、無言で俺の机に置いた。

 二鯖関連のスレッドの投稿数。深夜帯の伸び。狭い文体の分散。先月「まだ」と言っていた線が、今月は、誰の目にも分かる形で、跳ねていた。

「……断定します?」

「します。もう、です」

 グラフの跳ねはじめた日付に、俺は指を置いた。十二月一日。……のちに俺は、この日付を、別の報告書でもう一度見ることになる。匿名の島に、レベル一の「新人」がひとり、生まれた日として。

 カミエさんの言った通りだった。檻の場所が分かっていれば、見張れる。

 見張れる。——見張れる、だけだ。

 本当の頭痛は、全部、これからだった。