カードアース
タクト編 第八章(2/2)
愉快な結末のはずだった。うちの島を蝕んだ王が消え、その片棒も退場した。勧善懲悪。めでたし。……なのに、読み終えた後の気分は、蕎麦の島の報告書の百分の一も、良くなかった。
王を倒したのは、うちの施策じゃない。王を倒したのは、王自身の孤独と、特別になりたかった一人の女と、そして、王が育てた祭りの群れだ。俺たちがやったのは、最後まで、外堀だけ。運営は、誰の心も救っていない。……匿名の王は、会った瞬間に、ただの人間になった。ただの人間になった瞬間、あの世界は彼を許さなかった。会わなければ王のままで、会えば人間として焼かれる。会う、というのは、それほどまでに、強くて危ういことなのか。
その問いは、答えの当てもないまま、俺の抽斗の、いちばん深いところに沈んだ。……この抽斗が次に開くのは、ずっと先、まったく別の文脈でのことになる。
「タクトさん」
カミエさんが、退勤間際の俺の席に、湯呑みを置いた。
「CE1の二鯖で、私は何もしませんでした。今回は、檻の場所を見張って、出口に灯りを点けて、名前つきの風を入れた。……それでも、最後は間に合わない人たちがいた。及第点だと、思いますか」
「……及第点かは、わからない。ただ」
俺は、ずっと前から言おうと思っていたことを、言った。
「『ゲームは楽しかったです。人間が怖かっただけです』——あの手紙の人が、もし五鯖にいたら。今度は、蕎麦が出てくる。大根の種を勝手に渡される。……テンプレじゃない島を、俺たちは作った。返信としては、何年も遅れましたが」
カミエさんは、しばらく黙って、それから、湯呑みを両手で包んで、一言だけ言った。
「……受理します」
テンプレの人の、テンプレじゃない返事だった。
公式告知は、最後まで地味にした。
社内には、もっと景気のいい案もあった。『迷惑行為への対応について』。『健全なサーバ環境の回復について』。中には『匿名による支配構造の解消』などという、会議室の外に出したら一発で炎上しそうな題まであった。全部、没にした。
最終稿は、こうだ。
『サーバ間移住優遇キャンペーンの常設化について』
影の名前は出さない。CE7743-2にも触れない。誰が勝ったとも、誰が負けたとも書かない。五鯖の生産区画の拡張と、二鯖・五鯖への倉庫移送支援を、事務的に告知するだけ。
「これでいいんですか」と若いスタッフに聞かれた。
「いい。運営が勝利宣言をすると、負けた客ができる。俺たちは誰かを倒したんじゃない。通路を増やしただけだ」
言いながら、自分で少し苦笑した。通路を増やしただけ、などときれいに言っているが、その通路に修羅を流し込んだのも俺だ。きれいな仕事ではない。きれいではない仕事を、なるべく静かに済ませる。運営の美徳があるとすれば、たぶんそのくらいだ。
告知への反応は、拍子抜けするほど普通だった。『倉庫移送助かる』『蕎麦まだ配ってる?』『五鯖の畑って空いてますか』。板の底ではまだ何かが燻っていたが、広場の大半は、もう次の引っ越し先の話をしていた。祭りは、次の用事ができると終わる。終わらせたければ、用事を作ればいい。
——家の話をして、この章を閉じる。時計を、少し先へ送る。二〇一六年——舞が七歳になった年の話だ。
その夜、家に帰ると、舞が、リバーシ盤を出して待ち構えていた。
「パパ。ほんきで、やって」
本気でやった。結果を言うと、俺は角を二つ取られ、終盤まで冷や汗をかき、四石差でかろうじて勝った。娘は「くーっ!」と畳を叩いて悔しがり、「もっかい!」と盤をひっくり返した。
接待の要らない相手と打つリバーシは、負けそうになるほど、楽しい。
二局目の途中で、瑠璃が台所から言った。
「そういえば、会社の噂で聞きました。次のカードアースの話、動き出してるって」
「……まだ企画の企画だけどな。俺はまだ、呼ばれてない」
「呼ばれますよ」
瑠璃は、断言した。根拠を聞いたら、「顔に書いてあります」とのことだった。俺の顔は、今日も妻に音読されている。
次のカードアース。それがどんな世界になるのか、この時の俺は、まだ何ひとつ知らない。ただ、抽斗の中には、ヤエス以来の宿題が溜まっている。接待の話。大人だけの世界の話。会うことの強さと危うさの話。……いつか全部、まとめて答える日が来る。
「パパ! ばんですよ! はやく!」
「はいはい。——お、こら、待て、そこの角は」
取られた。