星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

シックス編 第八章前編

シックス編 第八章前編

 オレの名前はサナナ。職業、ミイラ取りのミイラ——じゃなくて、シックスログの編集係だ。

 二月三日。節分のセック、二年目である。

「鬼はー! そとー!」

 画面の中は、今年も豊作だった。鬼役は今年も検証の人(防御をさらに強化してきた)、豆の配布係は今年もマイ(「一人一袋! 経費だから!」)、リスナー参加の豆の豪雨、アーネさんの恵方巻き(今年は無言縛りの間、画面に「※福が逃げるため無言です」のテロップを出す改善をした。オレの仕事だ)。

 去年と同じ祭りを、去年の三倍の人数でやっている。

 同接の桁は、去年よりひとつ増えた。ハーレムの在籍は五十人を超えた。切り抜きは他人が勝手に作ってくれるようになり、案件の相談メールが月に何本も来て、シックスの「うまい」は、もう飯屋の看板を三枚は掛け替えた。

 シックスは、うまくなった。

 実況の間。カメラの回し方。コメントの拾い方。「えー、鬼が、強いです。去年より強いです。なんでだ」の言い方ひとつで笑いが起きる。ロボット歩きで転んでいた男が、いまや画面の真ん中で、堂々と祭りを回している。

 ……で、だ。

 ここからは、配信に乗らない話をする。乗せる気もない話を。

 オレは最近、配信のあと、編集室でひとりになると、妙な計算を始める癖がついた。

 たとえば、シックスが先月言ったこと。

「サナナ。お前、バイト減らせよ。編集、もう完全に仕事量だろ。……で、だ。金の話なんだが」

 給料を出す、と来ると思った。相場より出す、とか。それなら「考えとく」で流せた。労務の話だからだ。おみくじにまで残業を怒られてる身だしな。——ところが、あいつが寄越したのは、労務じゃなかった。

「シックスログの財布、お前が持て」

「……は?」

「収益の入る口——ゲーム内の金庫ごと、だ。俺は生活には困ってない。ここの金は、シックスログのために使って、余ったぶんは、お前の生活に使え。管理、お前のほうがうまいし」

 管理、お前のほうがうまいし。

 たしかにオレのほうがうまい。うまいが、そういう問題か? 給料ってのは、雇い主と働き手の言葉だ。分かる。処理できる。だが、財布を丸ごと預けるのは——なんだ、それは。会社か? 会社は「余ったぶんは生活に使え」とは言わない。それを言うのは、もっと、別の——

 で、オレは何て返したかというと、「考えとく」だ。考えとく、のまま、ひと月たった。金庫の共有申請は、オレの承認待ちのまま、通知欄でずっと点滅している。

 計算は、こうなる。財布を受け取る。バイトを辞める。編集に専念する。生活は、たぶん今より良くなる。……そこまでは、いい。問題はその先だ。シックスの金で飯を食い、シックスの家(ギルドホーム)に自分の部屋があり、シックスの財布を握って、シックスの隣で笑って一日が終わる生活——それは、なんと呼ぶんだ?

 浮かんだ言葉に、オレは編集室でひとり、頭を抱えた。

 専業主婦、である。

「いやいやいや。ちがうだろ。経理だろ。財務担当だろ。マネージャー兼編集兼CFOだろ」

 声に出して打ち消した。打ち消したが、一度浮かんだ言葉は、テロップみたいに頭に残った。おまけにそのテロップは、続きの質問を連れてくる。

 ——じゃあお前、この先どうすんの?

 この先。たとえば五年後。オレはいくつになってる。周りは就職して、結婚の報告なんかも聞こえてきて。オレは? ゲームの中で赤髪の女をやって、幼馴染の配信を編集して、幼馴染の財布で暮らして、それで? リアルで誰かと付き合って、結婚して、家庭を持つ——想像、してみた。何度もしてみた。そのたび、想像の中のオレの隣にいる「誰か」の顔が、どうしても描けない。描こうとすると、画面がこう、ノイズ走るんだよな。機材なら買い替え案件だ。

 バイト先で「恋人いないの?」と聞かれるたび、オレは「いやー、忙しくて」と流す。忙しいのは事実だ。何に忙しいかは言わない。「夜は何してんの?」——編集です、とは言う。何の、までは言わない。オレの一日のいちばん生きてる時間は、履歴書に書けない場所にある。

 しかも、その場所は、やけに出来がいい。

 案件の相談はゲーム内の連絡帳に来る。見積もりは公式ゲートのフォームで出せる。入金はシックスログのチャンネル金庫に入り、外部動画サイトのレポートも、現実の住所や本名を取引相手に見せず、チャンネルIDへ紐づく。ただし金が匿名のまま湧くわけじゃない。公式ゲートの向こうでは、オレもあいつも本人確認と振込先登録を済ませ、税務書類は現実側へ届く。金庫の中でも、ゲーム内通貨と、生活に使える収益残高は別の帳簿だ。便利だ。便利すぎる。便利すぎて、オレはたまに、ぞっとする。シックスログの仕事だけなら、現実の電話も、現実の事務所も、現実のあいつの印鑑も、ひとつも要らないのだ。

 ——ハーレムの話もしておく。

 うちのギルドには、いまや女の子がたくさんいる。配信で人気の子も、シックスと仲のいい子も。で、その子たちとオレの関係はどうかというと——良好である。無風で、良好。

 理由は分かってる。オレが、勘定に入ってないからだ。

「サナナさんは特別枠だから」と、いつか誰かが言った。悪気なく。「幼馴染だし、その、サナナさんって、ほら」

 ほら、の先は言われなかった。言われなくても分かる。——リアルが男なのか女なのか分かんないやつ。だから、恋愛の椅子取りいすとりゲームの椅子に数えられてない。おかげでオレは、誰からも牽制されず、誰とも争わず、シックスのいちばん近くの席に、ずっと座っていられる。

 安全地帯だ。

 安全地帯って、こんなに寒いんだな。

 それにな、椅子取りゲーム自体、うちでは起きないんだ。みんな、うすうす分かってる。シックスは、誰か一人を選ばない。あいつの「可愛いな」は全員に等分で、あいつのハーレムは、恋の館じゃなくて、でかい茶の間だ。だから抜け駆けは起きない。起きないから平和で、平和だから——オレのこの、腹の底の何かも、行き場がないまま置いてある。

 束縛する権利なんて、オレにはない。あいつが明日、誰かに本気になったって、オレは「おめでとう」を言う係だ。言えるのか? 言うんだよ。編集で音量をそろえるみたいに、ちゃんとした「おめでとう」に整えて。……で、そのあとオレは、どうなる? 捨てられる、って言葉は違うな。捨てるも何も、拾われてもいない。ただ、隣の席が、少しずつ、機材置き場になっていくだけだ。

 ——こないだ、決定的なことがあった。

 配信の後、片付けの途中で、オレは脚立の上の飾りを取ろうとして、手が滑った。落ちる、と思った瞬間、下にいたシックスが、ひょいと受け止めた。一年前、玄関で逆のことがあったな、と思い出す間もなく、あいつは言ったのだ。

「軽いな、お前。ちゃんと食ってるか。……ん、この角度、初めて見た。やっぱりお前、可愛いな」

 全員に等分の「可愛いな」だ。分かってる。次の瞬間にはマイの兜にも同じことを言う男だ。分かってる、のに。

 心臓が、跳ねた。

 跳ねたんだよ。編集室に逃げ込んで、オレは機材の電源も入れずに、しばらく座ってた。で、認めた。しょうがないから、認めることにした。

 オレは、あいつに「可愛い」と言われたい。

 これからも、ずっと言われたい。だからオレは、この赤髪も、この声も、この服(チャック全開なのも込みで)も、やめる気がない。「いつか潮時が来たら、アバターを変えてやり直す」みたいな退路を、頭の隅に置いてた気がするけど——無理だ。もう戻れない。戻りたくない。オレはこの姿で一年と少し笑ってきて、この姿で受け止められて、この姿で可愛いと言われた。今さらオレに、オレ以外をやれって言われても、困るんだよ。

 ついでに白状すると、ハーレムの女の子と恋愛する未来ってのも、想像してみたことがある。ゲームの中でなら、ありなのか? って。三秒で終わった。ノイズすら走らなかった。真っ暗だ。オレのカメラは、最初から一方向にしか向いてない。固定砲台か。

 ……はー。

 文字にすると(してないけど。頭の中のテロップの話だ)、ずいぶん、間抜けだな、オレ。

 幼馴染の配信を支える係が、幼馴染に堕ちてる。しかも言えない。言ったら、この茶の間が終わるかもしれない。五十人の「ただいま」の場所が、オレの一言で、気まずい何かになるかもしれない。編集係の職業倫理として、素材を活かすのが仕事であって、素材をぶっ壊すのは仕事じゃない。

 だから、置いておく。腹の底に。音量ゼロで。

 ——もうひとつだけ、白状する。これは、腹の底の、さらに底の話だ。

 深夜の編集室で、素材を切っていると、たまに、変な考えが来る。

 オレは、シックスの何を知ってる?

 この一年と少し、あいつと過ごした時間は、オレの人生でいちばん濃い。なのに、その全部が、この世界の中にある。声も、飯も、体温(があるらしいこと)も、財布も、家も、仕事も、ぜんぶ。ゲームの外のあいつを、オレは、もう何年も見ていない。電話の一本もない。どこで暮らしているのかも、昔から知っているあいつの親がどこまで知っているのかも、オレは知らない。行かなかった。世界の中では毎日、いつもどおりの返事が来たから。「言うほどのことがない」——あいつは、いつもそれで済ませる。

 で、変な考えってのは、こうだ。

 ——もし。もしも、の話だ。現実のあいつが、もう、どこにもいなかったとしても。

 この世界のシックスは、明日も配信をするんじゃないか? うまいと言って、転んで、オレを可愛いと言って。この世界には、人間そっくりに笑うやつが、現にいる。よその配信者は留守番人格に挨拶を回らせて、誰も気にしちゃいない。予約投稿があって、アーカイブがあって、体感ログってやつは、あいつの歩き方も、間の取り方も、声も、一年ぶんと少し、ぜんぶ覚えてる。その気になれば、ひと月ぶんの「シックス」くらい、この世界は回せてしまうんじゃないか。……オレに、見分けられるか? 見分ける方法が、あるか?

 ————ない。

 考えて、ぞっとして、オレは機材の電源を入れた。編集のしすぎだ。ホラーの見すぎだ。あいつは生きてる。今夜も豆をぶつけられて、変な声を出してた。あれが作り物なら、世界のほうが嘘だ。

 ……でも、一回浮かんだテロップは、消しても、跡が残るんだよな。

 ついでに言うと、跡はもうひとつある。うちの常連の、あの「はやい人」だ。二年目になっても、深夜も早朝もいて、誤字ひとつなく、聞かれるたびに『人間だよ』とだけ返す。オレはあの人のことを、何ひとつ知らない。知らないまま、毎回ちょっと助けられてる。……その「知らないまま」が、今夜は、妙に喉に引っかかった。

 ——と、思ってた矢先に、である。

 編集室の連絡帳に、めずらしい名前からメッセージが入った。

『サナナさん、こんばんは。レナティアです^^ 七夕ぶりです。

 こんど、二人でお茶でも、どうですか? 女子会です。

 ……あ、女子会という言い方が、もしご迷惑でしたら、ごめんなさい。ええと、編集係会でも、なんでも^^;』

 オレは画面の前で、五分くらい固まった。

 女子会。編集係会。どっちで行けばいいんだ、オレは。

 ……いや。

 どっちでもいい、って言ってくれてるのか、この人は。

 オレは返信を打った。書いては消して、書いては消して、最終的に残ったのは、我ながら実にオレらしい一行だった。

『行く。茶菓子はそっちが持て』

 送ってから、ベッドに倒れて、天井に向かって言った。

「……何をどこまで話すかは、茶菓子の質で決める」

 配信は、今夜も明るかった。明るい画面のこちら側の話は、まだ、誰も知らない。