星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

シックス編 第八章後編

シックス編 第八章後編

 三月の夜、配信のない金曜日に、サナナが編集室から出てきて言った。

「シックス。話がある。縁側、来い」

「録画、回ってるぞ、それ」

「知ってる。オレが回してる。……いいから、来い」

 ギルドホームの縁側は、庭の早咲きの桜が、三分ほど咲きはじめていた。俺たちは並んで座った。去年の温泉の縁側と、同じ並びで。サナナはしばらく、膝の上で手を組んだり解いたりしていた。編集室では音速のその手が、今夜は、行き場を探していた。

「……単刀直入に言う」

「おう」

「オレと、会わないか。リアルで」

 桜が、一枚落ちる間、俺は黙っていた。

 来た、と思った。いつか来ると分かっていて、来ないでくれと思っていたやつが、いちばんまっすぐな形で、来た。

「……悪い。会えない」

「だよな。一年と少し、一回もその話に乗らなかったもんな、お前。理由も、聞かせる気ないんだろ」

「————」

「なら、いい。理由はもう聞かない。……そのかわり」

 サナナは、顔を上げた。まっすぐ、こっちを見た。

「会う気がなくて、それでも、オレのことを女として見てるんなら——ちゃんと、抱いてくれ。ここで。この世界で。……オレはもう、それでいい。それが、いい」

 庭の桜より、サナナの耳のほうが赤かった。それでも目は逸らさなかった。配信で言うなら——ずっと音量ゼロで置いてきたトラックを、この夜、全部の音量で流し切ったんだと思う。……レナティアさん、あんた、いったい何の茶菓子を出したんだ。

 俺は、息を吸った。

 一年と少し、言わずに済ませてきたことを言うには、桜はちょうどよかった。花を見ながらなら、顔を見ないで話せる。

「……サナナ。先に、聞いてくれ。長くなる。笑うなよ」

「笑うか、ばか」

「俺の身体はな——下半身が、動かないんだ。現実の、俺の身体の話だ」

 サナナの息が、止まったのが分かった。

 俺は、順番に話した。三年前、背骨の中の、長い横文字の名前の病気が見つかったこと。進行して、腰から下の感覚と自由が、順番に俺を降りていったこと。いまは病院の、長期病棟に住んでいること。「抽選に当たった」は嘘で、俺は医療事業の被験者としてこの世界に来たこと。歩くのも、飯がうまいのも、腹が膨れるのも、ぜんぶ、このインプラントが俺に返してくれた「二個目の身体」であること。

「……面会、断ってたのはな。お前に、ベッドの上の俺を、見せたくなかったんだ。お前の中の俺は、購買で焼きそばパンを取り合ってた頃の俺のままでいてほしかった。……身勝手なのは、分かってる」

「————」

「で、だ。ここからが、お前の話への、返事になる」

 俺は、桜から目を離して、サナナを見た。ここは、顔を見て言うところだと思ったからだ。

「このインプラントは、よくできてる。歩ける。走れる。うまい。極楽もある。……でもな、再現されてない感覚が、ひとつだけある。分かるか。——そういうことだ。それと、もうひとつ。仮に再現されてたとしても、受け取る側の、現実の俺の身体の、その機能はな……もう、動かないんだ。病気で、とっくに」

 言えた。一年と少しの、いちばん底の石を、言えた。

「……いつだったか、コメントで来てた質問、あったろ。『リアルで反応したら、ゲームのキャラも反応するんですか』ってやつ。俺、はぐらかしたけどな。あれの正確な答えは——俺の身体は、もうあの質問に、答えられない、だ」

 サナナは、長いこと、黙っていた。

 桜が、二枚、三枚、落ちた。

 やがて、絞り出した声は、怒っているみたいだった。

「…………お前、それ、一年と少し、黙って」

「おう」

「黙って、毎月毎月、セックして、うまいうまい言って、鬼退治して、温泉で極楽って言って——」

「おう。楽しかったからな」

「〜〜〜っの、ばかやろう!!」

 サナナの拳が、俺の肩を殴った。痛くない強さで。三回。四回。五回目は、拳のまま、俺の肩に、置かれた。

「……ばかやろう。なんで、もっと早く」

「言ったら、お前、うちの配信、湿らせただろ。うちのセックはな、乾いてて明るいのが売りなんだよ。編集係が一番分かってるだろ」

「今それ言うか、ばかやろう……」

 ばかやろうの在庫が切れるまで、俺は待った。

 在庫の切れぎわに、サナナは、ぽつりと、変なことを言った。

「……オレさ。たまに、考えてたんだ。深夜の編集室で。……お前、ほんとは——もう、どこにもいないんじゃないか、って。この世界のお前だけが、残って、動いてるんじゃないかって。声も歩き方も、ログが全部覚えてるんだし、って。……ばかみたいだろ」

「……いや」

「いま、分かった。ベッドの上だろうが、病院だろうが、なんだろうが——いてくれてんじゃん、ちゃんと。それが分かっただけで、オレは、今夜は、もう」

 サナナはそこで言葉を切って、洟をすすった。証明なんて、何ひとつしていない。俺が病人であることも、俺が俺であることも、結局はこいつが信じてくれた、というだけの話だ。それでも俺は、聞かなかったことにするには大事すぎるそれを、黙って、受け取った。

 それから、続きを言った。ここからが、ほんとうの返事だ。

「サナナ。……俺はな、お前を抱けだけない。この世界でも、たぶん、どの世界でも。——あ、いや、正確に言うぞ。性感デバイスってのがある。あれを着ければ、可能性は、ゼロじゃないらしい。未検証だ。俺は試してない。試す理由が、なかったからな。……だから『絶対ない』とは言わない。言わないが、期待させる数字でもない。それが、事実だ」

「…………」

 サナナは、今度は下を向いて黙った。てっきり、また殴られるのだと思った。ところが、上げた顔が言ったのは、まったく予想外のことだった。

「……調べては、あるんだよ」

「は?」

「言わせんな。そういう用途の装備一式だよ。今夜こういう話をするって決めてから、オレなりに、その、下調べした。——一般のスーツに足す、成人認証つきの追加モジュール。身体の部位ごとに付け替えるライナー。身体を支える反力のハーネス。インプラントの人向けには、専用の感覚チャンネルの申請区分まである。双方が同意の設定を先に組んで、途中でどっちかが嫌になったら、ソフトじゃなくて物理のスイッチで全部止まる。感覚の中身のログは、残さない設定にできる。残るのは、同意がちゃんと守られたかっていう帳簿だけ——それも暗号のかかった、いざという時に身を守るためのやつだ。中身は、外に出ない」

「……お前、それ、どこで」

「調べ物と編集はオレの職能だ。……で、だ。ここからが本題だ。お前は『未検証だ』って言った。なら、いつか検証すればいいだろ。オレたちのやり方で。調べて、そろえて、設定を組んで、だめならだめで、それも結果だ。オレは編集長だぞ。検証と報告で一年ちょっと食ってきたチャンネルの」

「……配信する気か? それを」

「中身は配信しねえよ、ばか!! ……ただ、その、なんだ。試したって事実と、こういう装備と設定が要るんだって話くらいは、いつか、年齢制限つきで話してもいいかなって。……オレたちみたいな二人は、たぶん、世の中にいっぱいいる。会えない二人が。参考になるだろ、そういうの」

 俺は、しばらく黙った。こいつは、俺が三年かけて底に沈めた話を、受け取って三分で「検証企画」に変えやがった。……そういうところに、俺は、たぶん、ずっと救われてきたのだ。

「……分かった。いつか、な。急がない。準備と、同意の設定からだ」

「おう。急がない。検証ってのは、準備が九割だ。……検証の人が言ってた」

「うちのギルド、教育がいいな」

「で、事実の次は、俺の気持ちの話だ。よく聞け、一回しか言わないからな」

 俺は、居住まいを正した。縁側で、桜の下で、二年目の春に。

「俺は、現実じゃ、お前と会えない。抱けない。この先も、たぶん、ずっとだ。……でもな、サナナ。俺はお前を、手放す気が、いっさい、ない。『俺なんかに構わず自由になれ』とか、言わないからな。言うと思うなよ。俺は、お前の作る飯(味はしないやつ)と、お前の編集と、お前のツッコミと、お前が隣で数字を見てる夜で、できてるんだ、この一年と少し。生涯の親友、って言葉じゃ足りないなら、なんて言えばいいのかは、俺にも分からん。分からんが——」

 言葉を、探した。一年ぶんと、二年目に入ってからの月次イベントが、頭を流れた。七草がゆ。恵方巻き。ひな壇。焼きそばパン。花嫁。短冊。腹巻き。ミイラ。チキン。おみくじ。

 ……なんだ。あるじゃないか。俺たちの言葉が。最初から。

「——セックしてれば、十分に楽しかったんだ。俺は。この一年と少し、ずっと。……だからサナナ、これからも、だ。来月も、再来月も、十年後もだ。俺はお前と、ずっとセックがしたい。……返事は?」

 サナナは、俺の顔を、まじまじと見た。

 それから、くしゃ、と笑った。泣いてるのと同じ顔で、笑った。

「…………なんっだよ、それ。プロポーズか? 断り文句か? どっちなんだよ」

「さあな。セックとは、心の持ちようだ」

「〜〜〜っ、こんな夜まで暴論で逃げるな!! ……ああもう、分かった、分かったよ。続けてやるよ、一生な。誰がやめてやるか、こんな面白い仕事」

 仕事、と言った。仕事、の言い方じゃなかった。それ以上は、俺は聞かなかったし、サナナも言わなかった。桜の下で、俺たちはしばらく、来月のセックの企画会議をした。四月。入学式。二年目は学ランを新調しよう、という話になった。

 ……これが、あの夜の、ぜんぶだ。

 ——さて。後日談である。

 一週間後、シックスログに、一本の動画が上がった。オレは(俺は、だ。うつった)何も聞かされていなかった。タイトルは、こうだ。

『サナナ、セ〇クスを断られる』

「おい!!」

 飛んで行った編集室で、サナナは素知らぬ顔で次の動画を切っていた。

「回ってた素材は、活かす。職業倫理だ」

「どこがだ! 内容! 内容を確認させろ!」

 内容は——見事だった。認めたくないが、見事だった。あの夜の録画から、病気の話は、髪の毛一本ぶんも残さず消えていた。残っているのは、サナナが「ちゃんと抱いてくれ」と迫り、俺が長々ともったいぶった末に「俺はお前と、ずっとセックがしたい」と真顔で宣言し、サナナが「暴論で逃げるな!」と殴りかかる——ただそれだけの、うちのチャンネルらしい、乾いて明るい五分間だった。

 コメント欄は、祭りだった。

『断られたの、どっちだ?』

『プロポーズでは?』

『いや断り文句だろ』

『「一生な」って言ってるが?』

『続報を待つ』

『一年ちょい見てきたが、こいつらはずっとこう』

『ずっとこうであってくれ』

 サナナは、伸びていく再生数を眺めて、満足そうに言った。

「な? 素材は活かすもんだろ」

「……お前な。……まあ、いい。編集料は?」

「一生ぶん、前払いでもらった」

 窓の外で、桜は、もう五分咲きになっていた。