星猫くるるHOSHINEKO KURURU

カードアース

タクト編 第九章(2/2)

——言いたくない?

「『ハーレム』っていうんです」

——ぶっ。

「笑ったな。俺は初めて聞いた夜、白飯しろめしが喉を通らなかった。……いや、いいギルドなんですよ。配信も見てる。うちの娘はあそこで、飛んで、転んで、豆をケチって、楽しそうにやってる。父親としては、それで満点です。ギルド名以外は」

——では、少し意地悪な質問を。タクトさんには有名な持論がありますね。「プレイヤーの達成は運営の接待の上にある」。CE3では、AIが一人ひとりの住人を、いわば専属で接待できてしまう。それは、遊びの達成を、嘘にしませんか。

「いい質問だ。……その持論には、続きがあるんです。あんまり公開してこなかった続きが。——舞台は接待でいい。でも、汗は本物だ。ドラゴンの倒し方をこっちが用意していても、床の炎から転がって逃げたのは、あなた自身でしょう。震えた手も、夜明かしした攻略も、初めて味わった飯の味も、隣で笑ってた誰かとの十年も——舞台がどれだけ作り物でも、そこで流した汗と、拾った縁は、本物です。うちの仕事は、接待を隠すことじゃない。汗をかける舞台を、守り続けることです。AIは、その舞台を、一人ひとりの体格に合わせられるようになった。それだけのことですよ」

——……最後から三番目の質問です。CE3は「会わなくてもいい世界」だと言われます。現実で会えない人たちが、あの世界で生きている。それは、救いですか。それとも、逃げ場ですか。

「どっちでもありません。……俺はね、会うということについて、忘れられない事例を二つ、抱えてるんです。詳細は言えませんが——一つは、会わないまま長いこと、誰かの王様でいられた人。会った瞬間に、ただの人間になって、燃えて、消えた。もう一つは……会わないまま、それでも誰かの相棒でい続けてる、誰かたちです。会うことは、強くて、危うい。会わないことも、弱さとは限らない。……CE3がやったのはね、『会わなくてもいい世界』を作ることじゃなくて、『会わない』という選択を、負けにしない世界を作ることです。会いたい人は、会えばいい。会えない人と、会わないと決めた人の十年が、会った人の十年より軽いなんて、誰にも言わせない。それだけです」

——最後から二番目の質問です。CE3の中に、「思い出の街」がありますよね。昔のカードアースやカードアース2の街並みを、体感ごと再現したエリア。あれは、どういう経緯で。

「あれはね、俺のいちばん古い道楽の、公式化です。……昔、最初のカードアースが終わる頃、俺は私設の保存サーバに関わったことがあるんです。時効なので言いますが、当時は限りなく黒に近い灰色でした。場所は死ぬ——データが残っても、あの雑踏は戻らない。それがずっと悔しくてね。だからCE3では最初から、過去の街を体感ごと保存する棚を作った。ヤエスの駅前も、コーベの港も、いまは歩けます。風の音も、匂いも、飯もね」

——飯も。

「飯もです。CE2の頃の定食なんて、当時はただの絵でしたけど、再現街では味がつきました。考証チームが本気を出しましてね。……で、面白い現象があるんですよ。昔のプレイヤーがあそこで飯を食うと、みんな、同じことを言う。『思い出の味と、同じだ』って。——当時、味なんて、どこにも無かったのにです。記憶ってのは、あとから味をつけるんですね。……逆に言えば、あの棚があれば、いまからでも味わえる。十五年前に画面越しに眺めるしかなかった夕飯を、いまさら、食べに帰れる。過去に、味をつけ直せる世界なんですよ、あそこは。……たまにね、再現街のコーベで、長いこと海を見てる人がいるそうです。何をしてる人なのかは——聞かないのが、品位ってやつです」

——最後の質問です。あなたにとって、カードアースとは、何でしたか。

 俺は、少し長く、黙った。録音機が三台、辛抱強くしんぼうづよく回っていた。

「……ベンチですかね」

——ベンチ。

「二十四年前、最初のカードアースの駅前に、ベンチがあったんです。俺はそこに座って、毎晩、通りすがりの他人に支援魔法を配ってた。打算九割でね。……でもあのベンチから見えた雑踏が、たぶん、俺の人生でいちばん、きれいな景色だった。以来ずっと、俺はあのベンチを作り直してるだけなんですよ。CE2でも、CE3でも。誰かが座れて、誰かが通りかかって、知らない同士が、ちょっとだけ速く走れるようになる場所を。……カードアースとは何だったのか、って企画でしたね。すみません、作り手のくせに、俺の答えは客のままだ。——俺の居場所です。二十四年、ずっと」

——ありがとうございました。……あの、オフレコでもう一つだけ。この世界の「歴史」って、誰が書くんでしょうね。運営の公式年表はあるでしょうけど、その、ほんとうのやつは。

 いい質問すぎたので、これもオフレコにしないでくれと頼んだ。

「公式年表なんて、骨ですよ。この世界のほんとうの歴史は、プレイヤーの日記の中にあるんです。……俺は待ってるんですよ、ずっと。いつか、どこかの誰かが——あの世界を最初から歩いてきた誰かが、自分の言葉で書いてくれるのを。運営室のモニタからは絶対に見えなかった景色を、ぜんぶ。……その本が出たら、俺は初版で買います。並んででも」

 ——記事は、翌月に出た。

 太字の頼みは、聞き届けられていた。見出しは『そこでは、人間とAIが仲良く遊んでいる——カードアース3、取締役一万字インタビュー』。AI論壇は案の定ひと揉めし、社内広報は胃を押さえ、母からは『読んだよ。自慢しすぎ』とメールが来た。ちゃんとした服は、褒められた。

 夜、家の食卓で、瑠璃が記事を読み終えて、顔を上げた。

「……『区別すべき派の妻』のところ、載せたんですね」

「まずかったか」

「いえ。……食卓の議論、続けましょうね。結論、出さないのがコツなんでしょう?」

「そういうことだ」

 二階から、舞が降りてきた。十九歳。スマホ(現実のほう)を振りながら。

「パパ! 記事見た! ハーレムのとこ、ギルチャで祭りになってるんだけど! 『取締役の娘いるらしいぞ』って!」

「……すまん。名前は伏せた」

「うん、伏せてくれてありがと。でもね、うちのマスターが一言、『それでは今夜は、取締役の娘を探すセックをやっていきたいと思います』って」

 俺は白飯を、今夜も喉に詰まらせた。

 その二週間後、カードアース出版から、持ち込み原稿が回ってきた。カードアース2の記憶を編み直した物語だった。これを今のユーザーへ届けるためには、カードアースの歴史が「いま」につながる物語になっていてほしいと要望した。そして自分でも、過去に思いを馳せた。

 他人に日記を書けと煽ったなら、自分も書くのが誠意だろう。インタビューで短く答えたことにも、まだ説明していない裏側が山ほどあった。俺は企画書の執筆者欄に名前を書いた。三つの原稿を同じ机へ置けば、俺のモニタから見えなかった歴史と、彼らの知らなかった運営室が、互いの答え合わせになるかもしれなかった。

 ——ヤエスのベンチは、もうない。あの島ごと、記録の中だ。いや——記録の中の島に、いまは、歩いて帰れるんだったか。

 どこかの世界の縁側で、今夜も誰かが「ただいま」と言い、誰かが「おかえり」と返している。俺の仕事は、その声が続くかぎり、続く。答え合わせは、まだ途中。娘の笑い声が、いちばん近くの採点表だ。