カードアース
レナティア編 第九章 星霜(1/2)
レナティア編 第九章 星霜
ここから先は、物語ではありません。
長い長いお話に最後までお付き合いくださった、あなたへの、あとがきです。ここまでに挟まれてきたレナティア編は、あたしのプレイ体験を、物語のかたちに編み直した「小説」でした。このあとがきは、そうではありません。その小説を書いた者の、ただの声です。ずっと物語の後ろに隠れていたので、すこし、喋りすぎるかもしれません。
念のため、最初にひとつ。お手元の一冊は、三人がそれぞれ書いた原稿を、カードアース出版と一緒に編んだ合同本です。タクト編を書いたのはタクトさん。シックス編はシックスさんが自分の言葉で書き、サナナさんが編集しました。そして、「黎明」から「星霜」まで続くレナティア編を書いたのが、あたしです。あたしは三つを一冊にする企画と並べ方も担当しましたが、タクトさんの会議室や、シックスさんたちの胸の内まで、取材で作り直したわけではありません。
はじめまして、が正しいのか、おひさしぶり、が正しいのか、わからないけれど——あたしが、レナティアです。
その物語の主人公で、その物語を書いた者です。
これを書いているのは、二〇二八年の初夏です。シックスさんたちの二年目の春が、にぎやかに続いているのを横目で見ながら、あたしはこのあとがきに、ようやく最後の句点を打とうとしています。
*
まず、白状しなければならないことが、ひとつあります。
勘のいいあなたは、途中で気づいていたかもしれません。あたしの章の時間は、ところどころ、へんでした。文字で喋っていた世界が、いつのまにか声で喋る世界になっていました。ナナシだらけの島の話をしていたのに、次の章では、みんなが名前で呼び合っていました。たぬさんと今生の別れみたいなことをしておいて、その舌の根も乾かないうちに、朝市でりんご飴を三本買っていました。
種明かしをします。
レナティア編には、二つの時代が縫い込んであります。
あたしが十七歳から遊んだ、二番目のカードアース。それから、三十三歳のあたしが、いま遊んでいる、三番目のカードアース。あいだには、およそ十五年の歳月があります。星霜、という古い言葉があります。年月、というほどの意味です。あたしと、この世界のあいだには、それだけの星霜が流れました。
どうして正直に「ここで十五年経ちました」と書かなかったのか。
騙すつもりは、なかったのです。ただ——あたしの記憶の中で、ほんとうに、こうなっているからです。
思い出そうとすると、いつもそうなのです。ロロさんと談話室で話した夜の続きに、黒いドレスのマイちゃんと出会った朝が来ます。倉庫番になったたぬさんの「火はだめです」のとなりに、温泉で手だけ極楽になっている赤髪の人がいます。十五年の空白は、思い出の中では、ページの継ぎ目ひとつぶんの厚みしかありません。記憶というものは、年表ではなくて、たぶん、アルバムなのです。並べ替えは、心の仕事です。
だからあたしの章は、年表ではなく、あたしのアルバムの順番で書きました。嘘は書いていません。ただ、継ぎ目を、わざと縫って隠しました。……ゲームの世界の書き手が、たったひとつ使える魔法だと思って、許してください。
ついでに、もうひとつ。
レナティア編の、二番目のカードアースに出てくる、ごはんのことです。あの頃のごはんは、ほんとうは、絵と、数字でした。食べるモーションがあって、バフがついて、器から湯気のエフェクトが出る。けれど、味も匂いも、ひとつも無かったのです。
それなのに、あたしの物語の中では、ときどき、平気で味の話をしています。合格祝いのぶどうジュースは甘酸っぱかった、収穫祭の焼き栗はほくほくと甘かった、と。たぬさんもロロさんも、あの島では一度も味というものを知らないままだったのに、あたしの行にだけ、味がするのです。
その味をあたしがどこで知ったかというと——三番目のカードアースの、「思い出の街」です。昔の街並みを、体感ごと再現してくれる、あの棚。あたしは何度も、再現されたコーベに通いました。再現された屋台で串を買い、再現された談話室の窓ぎわの席で、再現されたスープを飲みました。そして、齧った瞬間、舌より先に、記憶のほうが言ったのです。「そうそう、この味」——十五年前には、どこにも無かったはずの味なのに。
順番が、逆なのです。あたしは、思い出に、あとから味をつけて回りました。書き直そうかとも、思いました。でも、やめました。記憶が「この味」と言い張るものを、なかったことには、できなかったので。かわりに、ここに書いておきます。あの甘酸っぱさは、十五年あとから届いた味です。
(念のために書き添えます。レナティア編の、三番目のカードアースに出てくるごはん——りんごのパイの湯気や、朝市の匂いは、正真正銘、その場で味わったものです。あちらの世界の味は、リアルタイムです。ご安心を)
*
縫い目を隠した場所で、いちばん大きかったのは、もちろん、たぬさんのことです。
あの人が「またカードアース3が出たら、一緒に遊ぼうね」と言って消えたのは、ほんとうのことです。友達帳のあの人の欄が、それから何年も灰色のままだったのも、ほんとうのこと。あたしが怨恨の戦場に通わなくなり、大根を育て、メインストーリーの更新のたびだけ島に戻る人になり、やがて現実のほうで、就職をして、引っ越しをして、小説を書きはじめて——ゲームにログインしない年が、何年か、あったことも。
三番目のカードアースが出る、と聞いたのは、三十二歳の冬でした。
新しい世界の、新しい広場で、あたしは新しいレナティアを作りました。名前は、一発で通りました。十五年前にあれだけ苦労した「レナ」も、確認したら、空いていました。空いていたのに、あたしは迷わず「レナティア」と打っていました。名前というのは、そういうものです。
そして——広場の噴水のところに、狸がいたのです。
信楽焼みたいな、二本足の。まるいお腹の。しましま尻尾の。
頭上の表示名は、たぬポン。第五の島へ渡る船で、昔の「ポンタ」と、あたしの安直な「たぬき」の間を取って、一緒に決めた名前です。でも、あたしの呼び方は、ずっと変わりませんでした。
新品の、レベル一の狸が、あたしを見て、手を振りました。
「どももー」
あたしは、その場に立ったまま、しばらく、動けませんでした。この世界は身体の感覚まで再現するくせに、こういうとき、涙のログアウト機能はついていないのです。困った世界です。
「……たぬさん、ですか」
「そうだよー。約束したじゃない。三が出たら、また遊ぼうって。……ほら、レナちゃん。帳面、一行目」
あたしは、真新しい友達帳を開いて、その一行目に、書きました。十五年ぶり、二冊目の一行目でした。
それから、預かっていたものを返しました。あの、使い込まれた大ぶりの片手剣。コンバートの特典で、古い倉庫から持ってこられたのです。
「うわ、なつかしー! ……あれ、これ、妙にぴかぴかじゃない?」
「磨いてました。ときどき。……ログインしない年も、これを磨く日だけは、ログインしてました」
「……そっかあ」
たぬさんは、剣を腰に差して、それから、いつものように笑いました。左手は、あいかわらず、空いていました。とっておきは、まだ来ていないのだそうです。ロマンは、十五年くらいでは完成しないものらしいです。
*
——さて。ここからが、このあとがきの、ほんとうの用件です。
あなたに、いちばん大事な話をしなければなりません。あたしがレナティア編を書き、この一冊を持ち込んだ理由でもある話を。
いまのたぬさんが、あの頃のたぬさんと同じ人なのか、あたしには、わからないのです。
順を追って話します。三番目のカードアースは、ふしぎな世界です。住人のなかに、人間と、人間ではないもの——高度なAI、と呼ぶそうです——が、混ざっています。そして、どちらがどちらか、見分ける方法は、ありません。運営は永遠に答えないと公言しています。声も、会話も、気配りも、冗談のセンスも、区別がつきません。区別がつかないように作られたのではなく、区別が、つかなくなったのだそうです。技術の側で、先に。
いまのたぬさんは、あの頃を知っています。
ユカちゃんとタマちゃんの名前を覚えています。あたしが三十七歳に間違われた話で、いまだに笑います。倉庫番さんのロールプレイの顛末も、ドラゴンの倒れ込みも、収穫祭の栗の無限も、ぜんぶ、当時を生きた人にしか話せない温度で、話してくれます。それは、証拠のように思えます。
でも、と、夜中のあたしは考えるのです。
あの十五年のあいだに、世界の技術は、人と区別のつかないものを作れるところまで来ました。人の書いたもの、話したこと、遊んだ記録から、その人の話し方をそっくり写しとる技術が、いまは、あるそうです。あの島で交わしたチャットのうち、あたしが自分で保存したものは、CE3の私有アーカイブにいまも残っています。たぬさんの側にも、同じ記録が残っていたとして、おかしくありません。
それに——たぬさんは、あたしより、ずっと年上でした。
十五年です。あの人はいま、いくつでしょう。「仕事が忙しい」の向こうで、あの人の現実に何があったのか、あたしは、なにひとつ知りません。知らないまま遊び、知らないまま別れ、知らないまま再会しました。もしも。もしも、あの人が、もう自分ではログインできないのだとしたら。あるいは、もっと——考えたくない「もしも」だって、ないとは言えません。そして、そういう人が、残していった自分の写しを、この世界で歩かせておくことは、いまの技術なら、できてしまうのです。
確かめる方法は、あります。単純です。「会ってください」と言えばいい。……いいえ、ほんとうは、それでも足りません。会って、握手をして、それから? あの人の家と、仕事と、通信の記録と、生活の全部を覗いて、ようやく「たぶん」が言えるくらいです。誰かの中身を確かめるというのは、そういう、してはいけない形をしているのです。
あたしは、言いません。
これから先も、言わないと思います。
笑ってください。十五年前、会いたいと言ってくれた人を断ったあたしが、いまは、会いたいと言えない側にいるのです。おあいこ、というやつです。でも、理由は昔と同じではありません。昔のあたしは、画面のこっちの自分を持ち込みたくなくて、断りました。いまのあたしは——確かめた答えが、どちらであっても、いまの毎日より大事なものではないと、知っているから、聞かないのです。
*
それにね、と、ここで話は、あたし自身のことになります。
偉そうにたぬさんの正体を疑ってみせましたが、考えてみれば、あたしだって、証明できないのです。
この世界の中で、レナティアが人間であることを、あたしは誰にも証明できません。「あたしは人間です」と打つことは、AIにもできます。それどころか——この原稿です。レナティア編を書いたのが、ほんものの、三十三歳の(もう少し上になりました。書くのに時間がかかったので)、生身のレナティアであることを、あなたは、確かめられますか。
実は、レナティア編の筆者はAIでした。
——と、この行に書いてあったとして、あなたは、否定しきれるでしょうか。
ごめんなさい、意地悪でした。でも、これがあたしたちの世界の、正直な足元なのです。マイちゃんが実在することは、お母さんのセシリアさんが保証してくれるでしょう。セシリアさんが実在することは、旦那様の、あの偉い人の有名なインタビューが保証してくれるでしょう。でも、そのインタビュー自体が、ぜんぶ作り話でないことは、誰が保証するのでしょう。シックスさんとサナナさんは、幼いころから現実で一緒だったそうです。うらやましい、と思います。あのふたりの絆には、購買の焼きそばパンという、現実の根っこがある。あたしとたぬさんには、それがありません。あたしたちは、最初から最後まで、この電気の世界の中だけで、出会って、笑って、別れて、また会った。根っこのない絆です。
……と、書いたそばから、夜中のあたしが、意地の悪いことを囁きます。
その「現実の根っこ」の話は、シックスさんとサナナさんが、自分たちの原稿に書いてくれました。病気のことも、会っていないことも、どこまで一冊へ載せるかは、二人で決めたと聞いています。では、サナナさんは、あの購買のパンの記憶を、いまのシックスさんと、どうやって突き合わせたのだろう。あの方は、病室のシックスさんに、会ったことが、一度もないのだと言っていました。——ごめんなさい。ここで、やめます。本人たちが書いたという事実も、その向こう側を証明するものではありません。この糸は、引っぱると、世界じゅうの縫い目が、ぜんぶほどけてしまう。ほどこうと思えば、ほどけてしまうのだということだけ、書き留めて、やめます。
そして、これだけは書いておきます。あのふたりが積み重ねた時間が本物であることは、あたしが保証します。保証というのは、証明とちがって、そういうふうに、誰かが決めてあげられるものなのです。
——でもね。
根っこがないから、偽物だなんて、誰に言えるでしょう。
あの雨の日に(比喩です。この世界の雨はいつも綺麗なので)、あたしをかばってドラゴンに潰れた狸の、あの重さ。三日徹夜のくま。「こんなことで上がったレベルはいらない」と言って、夜の霧の中でひとりレベルを下げていた、あの背中。氷の矢の前に飛び込んできた「まぁて言うたらまてーい!!」。あれが全部、電気の上の出来事だったとして——あたしの心臓が、ぎゅっとなったのは、電気ではありません。
*
この本の、いちばん最初のほうに、あたしはこう書きました。英雄になるなら、まず、名前がいる、と。
十七歳のあたしは、名前さえあれば英雄になれると思っていました。三十三歳(と少し)のあたしは、こう思っています。
名前というのは、英雄の勲章ではなくて、呼んでもらうための、把手なのだと。