天導ルリカは生まれるのを止めた
第七話 十八歳の断罪
第七話 十八歳の断罪
十八歳の四月二十日、夜。
*
披露は七時に始まった。
星の間には客が四十一人いた。親族会の長老三人が上座に並び、その後ろの壁に四十三の時計が掛かっていた。動いているのは一台だけだった。残りの四十二台は、それぞれ違う時刻で止まっていた。
伯父が立って挨拶をした。八年の後見を今夜で終えること。宗一郎様の遺志を果たせたこと。声は低く、よく通った。途中で一度だけ言葉に詰まり、客の何人かが目頭を押さえた。
伯父が座ったのは七時十八分で、澪が立ったのはその直後だった。一臣さまの客の席から風呂敷を一つ抱えて、長老たちの前へ出た。
「小野弥吉の娘、澪です。父の名誉のことで、皆さまにお見せしたい物があります」
座がざわめいた。真ん中の、いちばん年上の長老が手を上げて静めた。
「聞こう」
澪は、三月に下宿で決めた順番を変えなかった。
一つ目は父親の遺書だった。八月十二日の朝、柱に傷はなかった。澪はそれを読み上げ、長老の前に置いた。
二つ目は処方簿だった。慎さんが客の後ろから進み出て、蘆田医院の記録であると述べた。七月十日、天導藤乃様、抱水クロラール。付箋のところで、慎さんの指は止まらなかった。
三つ目は下書きで、一臣さまが澪の隣に立った。
「父の書斎の机から、私が見つけました」
長老三人は、それぞれ自分の宛名の一枚を手に取った。三人とも、八年前にその清書を受け取った人たちだった。真ん中の長老が便箋を置いた音は、動いている一台の時計の音より大きかった。
四つ目に、早瀬さんがお絹を廊下から連れてきた。地味な縞の着物を着ていた。台所への言いつけ、もう割ってあった氷、盆の上の銀の匙。お絹は一度も私を見なかった。見ないことで私を庇っているのだと、私は思った。
五つ目に、父が入ってきた。
七年と七か月ぶりだった。背広は、家を出た日に着ていたものではなかった。大きな身体の、肩が少し落ちていた。日に焼けた顔は、南の港の日で、前より深く焼けていた。父は長老の前にあの年の電報を広げ、本社の返書を広げた。それから、娘がいなくなったと聞けば自分は誰より先に走った、と言った。
言い終えて、父は一度だけ私を見た。会えば顔に出る、と言った人の目は、そのとおりになっていた。
「辰巳」
と伯父が言った。
手代の辰巳は、伯父の後ろの壁際にいた。湖の年に二十八だった男が、三十六になった顔を青くしていた。伯父は名前を呼んだだけで、その先を言わなかった。
「辰巳は、私の言いつけで帝都へ出しただけだ」
誰も訊いていないことに、伯父は答えた。答えてから座り、あとは下書きの一枚を見ていた。
ここまではゲームのとおりだった。一枚絵の構図も同じだった。上座の長老三人、畳の上の紙、立っている澪、うつむく伯父。画面の中では、このあと悪役の令嬢の罪状が読み上げられる。
長老が佐伯に何か耳打ちし、佐伯は一礼して出ていった。
*
私は手提げを持って立ち、澪の隣へ出た。七時四十一分だった。
「わたしからも、出す物があります」
写しを四枚と三村さんの封書を、長老の前に並べた。
「母の家計簿の写しです。十四歳の二月に、宗一郎様の写真機で撮りました。原本は母の居間の文机の二段目にあります。薬は四月から買われています。伯父様の下書きは七月です。先に動いたのは、母です」
続けて、三つのことを短く述べた。眠った子を運べたのは誰か。父が誰より先に走る人だと、いちばんよく知っていたのは誰か。宗一郎様が結婚の前に亡くなって、誰の子が跡取りになったか。最後に、封書の中の母の手紙を示した。
「せめて、あなたが亡くなったときにだけ効く紙を、この子のために。――母の字です。おじさまと静子さまの婚約が決まった月に書かれています」
座が静まった。
母は前列にいた。すぐには泣かなかった。座ったまま、少し首を傾けて写しを見ていた。十二歳の秋、私の淹れた珈琲を見たときと同じ傾け方だった。
それから、母は泣いた。声を殺さずに泣いた。八年前に舟屋で私を抱いたときと同じ、外に聞こえる泣き方だった。
「兄に、言われていました」
母は泣きながら話した。婚礼の話が決まった冬に兄に呼ばれたこと。娘を本家の子にしてやる、聞かなければ生まれを親族会に出す、と言われたこと。眠れなくなり、四月から蘆田先生に薬をもらったこと。七月に、その薬を娘に飲ませろと言われたこと。
「藤乃、お前は――」
「兄さんは黙っていて」
母はその一言だけをはっきりした声で言い、また泣いた。
「文机の二段目を確かめてください」と私は言った。「原本があります」
母は袂から、真鍮の新しい鍵を出した。泣いたまま長老に差し出した。
「どうぞ。お確かめください」
長老の付き人が鍵を持って出ていった。八時二分に出て、八時十一分に戻った。手に藍色の表紙の帳面を一冊持っていた。
「二段目には、これだけでございました」
表紙の年号は今年のものだった。
「湖の年の帳面は、暮れに焼きました」と母は言った。「兄に手を貸した年の帳面を、手元に置いておけませんでした。この子の成年の前に、きれいにしておきたかったのです」
人は空の引き出しに新しい鍵をつけない。二月に、私は帳面にそう書いた。
母は、空の引き出しに鍵をつけたのだ。中にまだあると、私に思わせるために。
*
母は涙を拭き、戻っていた佐伯を見た。
「佐伯。星の間の目録を、皆さまに」
佐伯が今年の目録を長老の前に置いた。乾板八枚。備考、四枚不明。
「この子は、三年前に私の帳面を写して、今日まで黙っていました」
母の声は、もう震えていなかった。
「私と兄が捕まれば、この子の上に立つ大人は一人もいなくなる。後見の要らなくなる成年披露の夜まで、それを知っていて、三年待ったのです。原本が無い今、この写しは、この子が作った物です。この子が作って、今夜まで隠していた物です」
母は封書に目を落とした。
「その手紙は私が書きました。あの人の子に、あの人の名を残したかった。それが罪なら、罰を受けます」
それから、母は私の髪を見た。
「今夜この子にあの人の星を留めたのは、私です。この子があの人の子だと、皆さまに分かっていただくために。――あの人が亡くなって、この紙で得をしたのは誰です。今夜ここに、あの人の星をつけて立っているのは誰です」
四十一人の目が、私の左の鬢に集まった。
長老が私に訊いた。
「三年前に写したのは、本当か」
「本当です」
「なぜ黙っていた」
確証がなかったこと。母に気づかれたくなかったこと。親族の皆さまが揃う夜に出したかったこと。私は、そのとおりに答えた。
「皆が揃う夜は、あなたが跡取りになる夜でもある」
私は答えなかった。答えられることは、もう全部言っていた。
私が言ったことは、全部本当だった。本当のことを並べると、母が言ったとおりの形になった。写しを作ったのは私で、三年黙っていたのも私だった。十四歳の冬に私が守った物が、今夜、私が待っていたことの証拠になった。
*
警察は八時四十分に着いた。長老三人は隣の間で十九分話し、戻ってきて、真ん中の長老が読み上げた。
天導貞光と天導藤乃を、警察に引き渡す。天導瑠璃は、母の罪を知りながら黙し、当主の死によって益を得る立場にあった。よって、本家跡取りの儀は親族会の預かりとし、天導一臣との婚約はこれを解く。瑠璃は星見荘に移り、追って外国へ遣る。
藤乃の罪は兄に強いられた従犯に留まるだろう、と長老は言い添えた。
一臣さまが半歩前に出た。長老に名前を呼ばれて、足を戻した。父親が警官に腕を取られるのを、立ったまま見ていた。
父は壁際から動かなかった。否認の書類に署名した日から、父はこの家の親族会で何かを言える人ではなくなっていた。
伯父が連れ出され、辰巳が続いた。
澪が私の前に来た。長老の前に置いた父親の遺書を両手で風呂敷に戻しながら、澪は私を責めなかった。言ったのは、それだけだった。
「どうして、もっと早く」
私は答えられなかった。物で裏が取れたら渡す、と十六の夏に約束したのは私だった。
裏は、半年前に取れていた。
*
母は警官に付き添われて席を立った。もう泣いていなかった。
私の前で、母は足を止めた。娘に一言かけるのだと思ったのか、警官は止めなかった。
母は私の鬢の星に指で一度だけ触れた。角度は直さなかった。そのまま、唇を私の耳に寄せた。
「あなたは頭が良すぎた」
問いの形はしていなかった。外には届かない声だった。
一拍、間が空いた。
「……あなたなんか、産まなければよかった」
母はそれだけ言って、廊下へ出ていった。振り向かなかった。
動いている一台の時計が九時を打った。残りの四十二台は、止まった時刻を指したままだった。
私は星を外さなかった。外せとは、誰も言わなかった。