天導ルリカは生まれるのを止めた
第八話 二度目の八月十五日
第八話 二度目の八月十五日
十八歳の八月十五日。それから、十歳の七月十五日。
*
星見荘へ移ったのは、四月二十八日だった。
湖は、十歳の夏と同じ色をしていた。桟橋は事件の翌年に架け替えられていて、板も杭も新しかった。番人小屋には、村から来た六十過ぎの男が一人で住んでいた。小野さんの一家がいたころの鉢植えは、一つも残っていなかった。
四月から八月までに起きたことは、多くない。
伯父は起訴された。母の審理は秋に始まる。弁護人は、兄に強いられた従犯として争うと聞いた。跡取りの儀は親族会の預かりのままになっている。決まったのは、私が九月二十日の船で南の港を出ることだけだった。
一臣さまからは、五月に一度だけ手紙が来た。婚約が解かれたことへの詫びと、父親の弁護人のことが、帳簿のような字で書いてあった。私は返事を書き、今度は自分で村の郵便局へ持っていった。
六月、警察が母の手文庫から手紙の束を見つけた。父から本家に宛てた手紙が七十一通と、私が十歳の冬に書いた四通だった。どれも封は開いていた。母は八年間、父と私のあいだの手紙を止めていたことになる。束は警察の封をされたまま、私の手元に届いた。
父からは、それから毎週手紙が来るようになった。私は毎週返事を書いた。父の手紙はいつも、待っとる、で終わっていた。どこで待っているのかは書いていなかった。
澪からは、何も来なかった。私も書かなかった。どうして、もっと早く。あの問いに答える手紙の書き方を、私は知らなかった。
*
八月十五日の夕方、番人の男に灯籠を一つ頼んだ。
「お一人で流されますか」
「一人で」
男は、白い紙を貼った四角い灯籠と、蝋燭を一本持ってきた。代金は受け取らなかった。
村のほうから、盆踊りの太鼓が聞こえていた。星見荘の宴は、あの年から開かれていない。岸には誰もいなかった。
八時を過ぎて、私は桟橋を歩いた。
板は四十二枚あった。一歩ずつ数えた。十歳の夜、私はこの板を歩いていない。舟屋で眠っていた。私の知るかぎり、あの夜この桟橋を先端まで行ったのは、走った人と、切られた柱を見に来た人だけだ。
先端で膝をついて、蝋燭に火を入れた。灯籠を水に置くと、しばらく杭の近くで回っていたが、やがて沖へ流れていった。
村の灯籠が、湖の向こう岸にいくつも浮いていた。数えようとして、やめた。こちらから流れていくのは一つだけだった。
おじさま、と口が動いた。十歳の瑠璃の声ではなかった。十八歳の、私の声だった。
灯籠の火が見えなくなるまで、先端に座っていた。星見荘の大時計が十時を打った。
*
部屋へ戻り、帳面を開いた。十歳の八月にフミがくれた習字の帳面は、最後の頁まで埋まっていた。その裏表紙の内側に、八年前と同じ書式で書いた。
敗因(湖の件)
一 事件が起きたあとでは、証拠は時間とともに消える。
家計簿の原本、上半期の処方簿、小野さんの口、お絹と父の八年。
二 私が守った証拠は、私の沈黙の証拠に作り替えられた。
乾板四枚。目録の一行。写しは、原本が消えれば、作った者の物になる。
三 母は私より一手早かった。母は、娘を見ていた。
乾板の数、写真の話、錠前、星。私は、母が見ていない方に賭けた。
四 良い子でいることは、断罪の理由を一つ減らしただけで、原因を一つも減らさなかった。
書いてから、一行ずつ読み直した。
一つ目について。調査員は、いつも事故が起きたあとに呼ばれる。現場は最初に入った者が壊し、証言は日がたつほど本人に都合よくなる。私は八年かけて、消えていく物を追いかけた。追いつけたのは、消え残った物までだった。ゲームの澪がそうだったのと同じように。
二つ目について。私は焼かなかった。焼かなかった物が、私を焼いた。
三つ目について。三脚の脚を一本ずつ、と正月に母が言ったとき、私は、誰が伸ばしても脚は一本ずつ伸びる、と考えた。母は、私がそう考えることまで見ていたのだと思う。あなたは頭が良すぎた、と母は言った。良すぎたのではなかった。母には、読みやすかったのだ。
四つ目について。十歳の九月、計画書の余白に書いた一行がある。原因を取り除かない予防策は、たいてい、時期をずらすだけで終わる。書いたとき、何の原因のことか自分でも分かっていなかった。
今は分かる。私の破滅の原因は、虐めでも焼却でもなかった。あの夜の事件そのものだった。事件があったから、母は娘を本家の子として育て、娘を見張り、最後に娘を差し出した。事件が起きた世界で、母の娘が無事でいる筋はなかった。虐めないことも焼かないことも、断罪を八年先から八年先へ送っただけだった。ずらしてさえいなかった。
四つの敗因の下に、線を一本引いて書いた。
この事件は、起こさせないしかなかった。
書いてから、その一行をしばらく見ていた。
調査員の報告書は、たいてい再発防止策の欄で終わる。次に同じことが起きないように、と書く。けれど、この事件に次はない。宗一郎は一度しか死なない。私は一度しか十歳にならない。
起こさせないしかなかった事件は、もう起きている。
報告書としては、欠陥のある結論だった。防止策の欄に書けることが何もない。それでも、ほかに書くことがなかった。私はそれを消さずに、帳面を閉じた。
大時計が一時を打った。八年前、舟屋で聞いたのと同じ時刻だった。
灯りを消して横になった。窓の外で、湖が杭に当たる音がしていた。
*
蝉の声で目が覚めた。
最初に分かったのは、天井の低さだった。星見荘の天井ではなかった。板ではなく漆喰で、隅に雨の染みが一つあった。その形を、私は知っていた。
次に分かったのは、手の小ささだった。上掛けの上に出した手が、十歳の瑠璃の手をしていた。爪が小さく丸かった。
起き上がって、部屋を見た。
帝都の家の、二階の私の部屋だった。十一歳の春に本家へ移るまで住んでいた部屋だ。窓の簾が半分下りていて、その隙間から朝の光が畳に落ちていた。鏡台は小さく、底板は外されていなかった。
壁に日めくりがかかっていた。
七月十五日
その横に、夏休みの予定表が貼ってあった。母の字だった。
八月十三日 湖へ
階下で父の声がした。
「行ってくる」
玄関の戸が開いて、閉じた。父が造船会社へ出かける時刻だった。
私は窓の簾を上げなかった。見れば確かめられる。確かめたら、何かが変わってしまう気がした。調査員の考えることではないと分かっていた。分かっていても、少しのあいだは動けなかった。
それから、調べられることを調べた。
鏡台の引き出しを開けると、銀の星の髪飾りが入っていた。九つの誕生日にもらったもので、ゆうべは星見荘の枕元に置いたはずの物だった。裏を返すと、刻印の線に、まだ磨かれていない細かい傷があった。
廊下へ出て、階段の下の新聞受けから朝刊を抜いた。日付は日めくりと同じだった。年号は、湖の年だった。一面の下の欄に、天導の造船所が新しい船の進水を秋に予定している、とあった。
新聞を戻して、部屋へ上がった。
なぜこうなったのかは分からない。分からないことは、分からないと書く。夢だという可能性もある。夢なら、醒めたときに困るだけで済む。夢でなかったときに困るほうを、先に考えておくべきだった。
あの人は、帝都の本家で、今朝も時計を巻いているはずだ。四十三の時計を全部。
父は、今日も造船会社へ行った。
母は、この家のどこかにいる。四月から数えて、家計簿にはもう五回の薬が書かれているはずだった。七月の欄は、まだ埋まっていない。
私は日めくりの前に立ち、指で数えた。今日から八月十五日まで、三十一日。
帳面はなかった。フミが習字の帳面の余りをくれるのは、湖のあとの八月十九日だった。私は学院の算術の帳面を一冊出し、最後の頁を開いた。母が表から開くことはあっても、裏から開くことはない帳面だった。
白石澄の字は、十歳の手では、やはり半分しか出なかった。
二度目があると思って動く調査員はいない。
書いてから、その下に報告書の一行目を書いた。
七月十五日、午前六時。帝都、自室。
蝉がまた鳴き始めた。