星猫くるるHOSHINEKO KURURU

天導ルリカは生まれるのを止めた

第十一話 小野さんへの手紙

第十一話 小野さんへの手紙

七月二十二日から、七月二十五日まで。八月十五日まで、あと二十四日から二十一日。

 *

手紙は、七月二十二日の朝に書いた。

便箋は、十歳の瑠璃が母に買ってもらった朝顔の柄のものを使った。子どもの手紙は、子どもの便箋で書く。白石澄の字で書けば、大人の手紙になる。私は十歳の瑠璃の字を、なるべく崩さずに使った。

 澪ちゃんへ

 暑中お見舞い申し上げます。
 去年の夏は、貝がらをありがとう。虹色の、まだ持っています。
 今年も八月十三日に湖へ行きます。また遊んでね。木登りを教えてください。

 それから、おねがいがあります。
 澪ちゃんのお父さんに、八月のはじめから毎朝、桟橋の柱を見てもらってください。
 きずがあったら、日にちといっしょに書いておいてもらってください。
 どうしてかは、湖で会ったときに話します。
 ほかの人には言わないでね。

 お返事は、下の宛名にください。

 天導瑠璃

最後に、宛名を一つ書き添えた。フミの実家の住所だった。帝都の下町の、フミの妹が営む足袋屋だ。十歳の瑠璃は、フミに連れられて一度そこへ行ったことがあった。

返事の宛先を別にしたのは、母が私宛ての郵便を見るからだった。

前回、父の手紙は一通も私に届かなかった。父から私への七十一通は、全部母が受け取って、手文庫にしまっていた。

だから、澪からの返事が私宛てに来れば、母が先に読む。

足袋屋宛てにすれば、母は読まない。

便箋を三つに折って、封筒に入れた。封は、飯粒を指で練って閉じた。封じ目に、墨で小さく〆と書いた。字の上半分が蓋に、下半分が封筒の胴にかかるように。手紙の封はこうするのよ、と十歳の瑠璃に教えたのは母だった。

 *

昼前、フミの部屋を訪ねた。

フミは五十八歳で、本家から分家へ私の世話係として移ってきた人だった。白くなった髪を小さな髷にまとめ、老眼鏡を紐で首から提げている。十歳の瑠璃が生まれたときから、ずっとそばにいる。

「フミ。お手紙、出してくれる?」

「まあ、どなたへ」

「湖の、澪ちゃん。暑中見舞い」

フミは封筒を受け取って、老眼鏡をかけて宛名を見て、にこにこした。

「番人さんの娘さんですね。去年、一緒に貝を拾っておいでだった」

「うん。それでね、お返事が来たら、足袋屋さんに来るようにしたの。フミが取ってきてくれる?」

フミは少し不思議そうな顔をした。

「お家にいただけばよろしいのに」

「……内緒の手紙なの。かあさまに見られると、恥ずかしい」

十歳の子が言いそうなことを、十歳の子の顔で言った。フミは笑った。

「分かりました。お嬢様にも、内緒の文通をなさるお年頃になりましたか」

フミは封筒を前掛けのかくしに入れた。

「午後の郵便に出しておきます」

私は礼を言って、部屋へ戻った。

 *

昼過ぎ、私は縁側で本を読むふりをしていた。

女中頭が、玄関脇の文箱を両手で抱えて、奥の廊下へ入っていった。毎日この時刻に見る景色だった。蝉が鳴いていた。私は本の頁をめくった。

しばらくして、女中頭が文箱を抱えて戻ってきて、玄関脇の棚に置いた。

私の手紙は、フミの前掛けのかくしにある。

二時を過ぎて、フミが前掛けを外して出てきた。玄関脇の棚から手紙の束を取り、買い物の籠の底に入れ、勝手口から出ていった。郵便局は、市場の手前にある。

一時間ほどで、フミは戻ってきた。籠に茄子と胡瓜が入っていた。

夕方、私はフミに訊いた。

「お手紙、出してくれた?」

「はい、出しましたよ。ちゃんと切手も貼って」

フミは嘘をつく人ではない。

私は、それでいいと思った。

 *

七月二十三日と二十四日は、何も起きなかった。

何も起きなかったので、私は別のことを調べた。

母の居間の前の廊下を、朝と夕方に一度ずつ通った。襖が開いているときは、中を見ずに通り過ぎた。閉まっているときは、中の声を聞いた。

二十三日の夕方、母は女中頭に、湖へ持っていく荷物の話をしていた。行李が五つ。布団は向こうにある。蚊帳は新しいのを一張り。

二十四日の朝、母は一人で居間にいた。声はしなかった。筆を置く音と、紙をめくる音だけがした。

帳面に書いた。

 七月二十三日 母 湖の荷物 行李五 蚊帳一
 七月二十四日 母 居間に一人 筆の音 紙の音(家計簿か、手紙か)

書いてから、これが調査としては何の役にも立たないことを認めた。筆の音からは、何も分からない。分からないことを、分かった気になって書くのはやめろ、と白石澄は自分に言った。

分からない、と書き足した。

 *

二十四日の夜、父が模型の船を持って私の部屋に来た。

七月の第一週に持って帰ってきた、竜骨だけの船だった。前回の十歳の瑠璃は、この続きを教わらなかった。父は母に呼ばれて途中でやめ、そのあとに湖があって、父は家を出た。

「続きをやるか」

「うん」

父は畳の上に新聞紙を広げて、肋材の木片を並べた。父の指は太く、爪の際に造船所の油が黒く残っていた。その指が、爪楊枝ほどの木片を一本ずつつまんだ。

「これが肋骨だ。竜骨が背骨で、これが肋骨。船は、人と同じ組み方をする」

「人と同じ」

「そうだ。背骨が曲がっとったら、どんなにいい板を張っても沈む。だから造船所では、竜骨を据える日がいちばん大事な日だ。先週、秋の船の竜骨が据わった。据わったから、父さんは安心して、今夜はこれができる」

父は肋材を一本ずつ、竜骨の刻みに差し込んでいった。私は膠の瓶を持っていた。

「瑠璃は、手が器用だな」

「とうさまのほうが」

「わしのは、仕事の手だ」

十本目の肋材を差し込んだとき、父は、膠を指につけたまま私の顔を見た。

「湖では、何をして遊ぶ」

「木登り」

「木登りか。落ちるなよ」

「落ちない」

「落ちるときは、落ちると言ってから落ちろ。父さんが下で受ける」

私は、笑った。十歳の瑠璃の顔で笑った。白石澄も、少しだけ笑った。

八月十五日の十七時、この人は汽車に乗る。前回は。

今回は、乗せない。そう決めてあった。決めてあることを思い出して、私は膠の瓶を持つ手に力を入れた。

「どうした」

「なんでもない」

「そうか」

父は十一本目の肋材を差し込んだ。

 *

七月二十五日、帳面に書いた。

 七月二十二日 澪へ手紙 フミが郵便へ 返事は足袋屋宛て
 予定 澪が受け取るのは二十四日か二十五日 返事が来るのは早くて二十八日

 小野さんが毎朝柱を見る 八月一日から
 柱が切られた日が分かる
 切られた日に湖にいた者が分かる(前回 伯父は十二日から)

一覧を読み返した。

計画は、動き出していた。私が動かしたのは、手紙一通だけだった。手紙一通で、湖の番人が八月一日から毎朝柱を見る。十四日の朝までに、十四回見る。

白石澄は、それを少し誇らしく思った。予防策としては、よくできている。費用が少なく、痕跡も少ない。

十歳の瑠璃は、澪の返事を楽しみにしていた。虹色の貝殻を、今年も拾えるだろうか。

二十一日。