天導ルリカは生まれるのを止めた
第十一章 北の港(2/2)
その夜、ノートの売上の欄に、いつものように書いた。
十月十四日
船の菓子 一缶(客)
マドレーヌ 一(客)
三十五銭
客、の字を、二回書いた。
書いてから、余白に何か描こうとした。何を描けばいいか分からなかった。缶の絵を描いた。缶は、菓子の形をしていなかった。
*
十二月に、港が凍った。
湾の奥の、指のつけ根のあたりから、白くなっていった。漁船は岸に引き上げられて、網元の家の前に並んだ。船の菓子の注文は止まった。代わりに、港の外の運搬船が、冬の長い航海のために、缶を三十まとめて頼んでいった。
夜、二階の六畳で、火鉢に炭を足した。
一臣は、火鉢の向こうで『北方回航記』の下巻を読んでいた。四度目だった。膝の横の皿に、本の菓子が五枚載っていた。一臣は頁から目を離さずに、一枚取って、齧った。
粉は、落ちなかった。
私は、ノートを開いていた。今月の原価表を締めて、来月の仕入れを書いていた。書きながら、ときどき火鉢の向こうを見た。
襖は、夜になると閉めた。閉める前の、この一時間だけ、二人で同じ火鉢に当たった。
「一臣さん」
「なんだ」
「氷に挟まれた船は、沈まないんでしたよね」
「持ち上がる。氷圧で」
「危ないのは、氷が緩むときでしたね」
「そうだ」
一臣は、頁をめくった。
「緩んだら、流される。流されて、どこかの港に着く」
「この港みたいに」
「この港みたいに」
窓の外で、湾の氷が鳴った。低い、長い音だった。汽笛に少し似ていた。
一臣は、皿の上の最後の一枚を取ろうとして、指が空を掴んだ。そこで初めて顔を上げて、空の皿を見た。それから、自分の指を見た。それから、私を見た。
「もう一枚、焼いてあります」
「……もらう」
私は、台所へ下りていった。梯子段の途中で、ノートの右下の隅のことを思った。
あの数字は、五月十一日から、書いていない。