天導ルリカは生まれるのを止めた
第四章 はんぶんこ(2/2)
夕立の傘で、左の肩を濡らしてくれた人。市場で手首を引いて、あの子だって誰かの娘だろ、と言ってくれた人。婚約者として、書付の読み上げのあいだ隣に立ってくれる人。
……慎さんとくっつきそう。遼さんもいい。婚約者は一臣さん。
私は、ハーレムエンドでも目指してるのか。
そんなルートは、『帝都恋綺譚』にはなかった。あったとしても、主人公は澪で、私ではない。
私は布団をかぶって、少し笑った。笑ってから、笑えなくなった。
三人とも、優しかった。三人とも、正しいことを言った。死んだ人は戻らない。起きたことは変えられない。手遅れというものがある。三人とも、それを知っていて、それでも何かをしようとしていた。
私はそれを聞いて、少し楽になった。楽になって、それで終わりにしていた。慎さんが帳面を見ると言った。一臣さんが書類を見ると言った。早瀬さんが父を探すと言った。三人が動くと言ってくれたから、私は動かなくていい気がしていた。
麻辣の返事と同じだった。次があるかどうかは、相手が決める。私はそれを待つ。
鏡台の底の板は、その夜も外さなかった。
*
十七歳の夏、学院の夏の講読会で、澪が発表をすることになった。
発表者は洋装で壇に立つのが習いだった。奨学生の三人は、制服で出ると言った。澪も、制服で出ると言った。
私は母に頼んで、呉服屋に洋装を一着頼んだ。淡い青の、襟の高いものだった。澪に似合うと思った。母は、何のために、とは訊かなかった。
「小野さん。これ、着てください」
講堂の裏のベンチで、包みを渡した。澪は包みを開けて、しばらく黙っていた。
「……いじめですか」
「いじめです。似合いすぎて、みんなが小野さんばかり見るので」
澪は、洋装を膝の上で畳み直した。畳み直しながら、言った。
「借りているつもりでいます」
「返さなくていいんですけど」
「そういう問題ではないんです」
発表の日、澪は淡い青の洋装で壇に立った。註の間違いを三つ指摘して、そのうち一つは自分の間違いでした、と壇の上で言った。講堂が笑った。
私は後ろのほうの席で、手が痛くなるまで拍手をした。