天導ルリカは生まれるのを止めた
第九章 左手(1/2)
第九章 左手
一歳の四月に、歩いた。
つかまり立ちは三月からできていた。立てるのに歩けないのは、恐怖のせいだった。頭が重い。重心が高い。倒れたときに手が間に合わない。二十七歳の頭で計算すると、この身体で前へ踏み出すのは、竹馬で走るのと同じくらい無謀に思えた。
その日、恭介が縁側にいた。
仕事が早く上がった日で、彼は袖をまくって、木の切れ端を削っていた。私は柱につかまって立っていた。距離は、大人の三歩ぶん。
彼が顔を上げた。
「おう」
彼は削るのをやめて、膝を立てた。
「来るか」
両手を、私の高さに出した。
私は柱から手を離した。
離した瞬間に、身体が前へ倒れかけた。倒れないように足が出た。出た足の上に体重が乗って、また倒れかけて、もう一方の足が出た。
一歩。二歩。三歩。
四歩目が出なかった。
尻もちをついた。畳の上だったので痛くはなかったが、衝撃で頭が前に振れて、私は自分の膝に額をぶつけた。
「おおおお!」
恭介が畳を叩いた。
「歩いた! 見たか、おい、誰か、いま歩いたぞ!」
彼は私を抱き上げて、そのまま立ち上がった。天井が近づいた。
「奥様! 瑠璃花が歩きました!」
母が廊下から出てきた。
「聞こえています」
「三歩です。三歩、こっちへ」
「そう」
母は私を見た。
「よかったこと。あなたが仕事を休んだ日に歩いてくれて」
「はい!」
恭介は嬉しそうに答えた。
私は彼の腕の中から母を見た。母は少し笑って、廊下の奥へ戻った。
彼は、いま自分が何を言われたか、たぶん分かっていない。
その鈍さのことを、私は昔なら、情けないと思ったかもしれない。この日は思わなかった。彼が母の言い方に気づかなかったおかげで、この家の縁側は十秒間だけ、何の含みもない場所になった。
それから、私は自分のことを考えた。
私は嬉しかった。
三歩歩けたことが、素直に嬉しかった。この一年、私は寝返りを打てた日に嬉しかったし、座れた日に嬉しかったし、離乳の粥を自分で飲み込めた日に嬉しかった。
二十七歳の人間は、新しく歩けるようになったりしない。
嬉しいのと同じだけ、もどかしかった。三歩では、どこへも行けない。本家までは馬車で四十分かかる。
*
言葉は、歩行より遅かった。
口の中の構造が、私の知っている構造と違う。舌が短い。上顎が浅い。息の量が足りない。二十七年ぶん喋ってきた私が、同じつもりで発音しようとすると、まったく違う音が出る。
私が最初に狙ったのは、「とう」だった。
父さん、は無理だ。四音は出ない。とう、なら二音だ。「と」は舌先を上の歯茎につけるだけ。「う」は唇を丸める。
私は昼のあいだ、一人で練習した。
「た」
「て」
「とぅ」
お絹が通りかかって、笑った。
「お嬢様、独り言でございますか」
彼女は座って、私の前に茶碗を置いた。
「まんま。ま、ん、ま」
「……ま」
「そう! まんま!」
「まー」
「上手!」
お絹は手を叩いた。彼女は「上手」と言うとき、必ず手を叩く。
私は「まんま」を三日で覚えた。「まんま」は便利だった。食べ物を要求できる。要求が通ると、生活が変わる。私は自分の生活を要求で動かせるようになったことに、思っていた以上に感動した。
「とう」が出たのは、それから二週間後だった。
夕方、玄関で音がした。私は廊下へ這っていった。歩けるのに這うのは、そのほうが速いからだ。
恭介が上がってきた。
「とう」
彼が止まった。
「とう」
「……いま」
「とう」
彼はその場に荷物を落とした。落として、廊下を走ってきた。
彼は走ってきて、私の前で膝をついて、それから、自分の顔を両手で覆った。
「とう」
「はい」
彼は手をどけた。目が赤かった。
「はい。父さんです」
私はもう一度、「とう」と言った。
彼は私を抱き上げて、そのまま玄関に置いてきた荷物を取りに戻り、荷物を持ったまま台所へ行き、お絹に「いま、とうと言いました」と報告した。お絹は「まあ!」と言って手を叩いた。
その夜、母が私に「言ってごらんなさい」と言った。
母は私の前に座って、待っていた。
「とう、と言えるのでしょう」
私は黙っていた。
「瑠璃」
私は母の膝を見ていた。
声が出せなかった、のではない。出さなかった。
母の前で新しいことをすると、母はそれを覚える。この子は何か月で何ができたか、何を聞いていたか。母はそういうことを覚えておく人だ。
「そう」
母はそれだけ言って、立った。
私は、その夜、少し胸が痛んだ。母は言葉を待っていた。待っていたのは間違いない。私はそれを与えなかった。
ひとつ、私が自分に禁じたことがある。
私は、彼に「パパ」と言わない。
石盤の字を、私は知っている。「パパは かえってくる」。十歳の朝に私が見つけた、あの字を書いたのは、この身体の持ち主だ。あの呼び方は、あの子のものだ。
私はそれを借りて、この人を喜ばせることができる。たぶん、とても喜ぶ。
でも、それは私の言葉ではない。
私は「とう」と呼ぶ。二音の、私が自分で作った呼び方で呼ぶ。
*
五月の初めに、蘆田先生が遠方へ出ると聞いた。
台所で、女中頭がお絹に話していた。私はお絹の背中にくくりつけられて、それを聞いた。
「来月から、帝都を離れられるのですって。一年ほどは戻られないとか」
「では、お嬢様に何かあったら」
「町のほかの先生に来ていただくしかないわね」
お絹の背中で、私は身体を固くした。
この年だった。
私が一つの年に、一年、と慎は言った。いつ発ったのかまでは、言わなかった。私も訊かなかった。十五の私にとって、それはもう済んだ昔の話だった。
一年。来月から。
同じ月の末に、母は私を連れて本家へ行った。
宗一郎が去年の秋に言ったとおりだった。百合子が、この子を見たいと言っている。一つになって、外へ出られるようになったら。
母は、その約束を半年あまり「いずれ」のままにしていた。それが急に決まったのは、本家から改めて使いが来たからだった。先生がしばらくいなくなる前に、奥様がお加減のいいうちに、と。
馬車で四十分だった。お絹がついてきた。
本家の廊下は長かった。いくつも角を曲がった先の、庭に面した座敷に、百合子さんはいた。
寝床の上に起きていた。色の白い、痩せた人で、髪を一つに編んで肩の前に垂らしていた。膝に薄い羽織をかけていた。
この人に、私は前の人生で一度も会っていない。この身体が二歳の冬に、この人は亡くなっていた。私は名前しか知らなかった。
「まあ。いらしてくださったの」
声は小さかったが、明るかった。
「藤乃さん。お久しぶりね」
「ご無沙汰しております。お加減は」
「今日はいいの。先生が、今日はいいとおっしゃったから、いいのよ」
百合子さんは笑った。笑うと、目尻が下がった。
「瑠璃花さん、ね。宗一郎さんから伺っています。花の字を、恭介さんが足されたのですって。いいお名前」
母は「恐れ入ります」と言った。
「抱かせていただいても、いいかしら」
母は、少し間を置いた。
それから、私を百合子さんの膝へ渡した。
百合子さんの腕は細かった。細くて、ぎこちなかった。抱き方が、七夜のころの恭介と同じくらい下手だった。
「軽いのね。……いえ、重いのかしら。赤ん坊を抱いたことがないから、分からないわ」
私は、百合子さんの顔を見上げた。
見ようとした。
どこが悪いのか。顔色か。目の色か。息の音か。私は、この人の身体のどこかに、病の印を探そうとした。
分からなかった。
色が白いのは、もともとなのかもしれない。痩せているのも、手首が細いのも、ずっとそうなのかもしれない。いつも具合の悪い人の、いつもと違う具合の悪さを、一歳の私にどうやって見分けられるだろう。医者でもない、二十七年と八年の私に。
私が知っているのは、早く見つかれば治る、ということだけだった。どんな病なのかも知らない。
「よく人の顔を見る子ね」
百合子さんが言った。
「はい。誰の顔でも、じっと見るんです」と母が言った。
「宗一郎さんも、子どものころ、そうだったんですって。お義母さまがおっしゃっていたわ」
母の膝の上の手が、動かなくなった。
百合子さんは、それ以上何も言わなかった。私の頬を指で一度だけ撫でて、「ありがとう」と言って、私を母へ返した。
*
帰り際、玄関に蘆田先生がいた。
往診を終えたところだった。大きな鞄を提げて、本家の女中頭と話していた。その後ろに、六つの慎がいた。慎は、小さな丸い眼鏡をかけるようになっていた。
「いつものお薬のことは、町の岩井先生に申し送ってございます。何かあれば、岩井先生に」
「承知いたしました。先生もお気をつけて」
私はお絹に抱かれて、その横に来た。
一年、と台所で聞いた。
それでは、遅い。
私はお絹の腕から身を乗り出した。乗り出して、先生の袖を掴んだ。
「おや」
先生が振り向いた。
私は掴んだ袖を、握れるだけ強く握った。一歳の指の、いちばん強い力だった。
「だめ」
私は言った。
言ってしまった。「まんま」と「とう」しか言わない子が。
「だめ。だめ」
「お嬢様、先生のお袖を」とお絹が言った。
私は放さなかった。放さないまま、もう一方の手で、廊下の奥を指した。いま出てきた、長い廊下の奥。角をいくつも曲がった先の、庭に面した座敷のほうを。
「あっち」
「あっち?」
「あっち。ゆり」
先生は、私の指した方を見た。
「ああ、百合子さまですか。百合子さまには、さきほどご挨拶しましたよ。今日はお加減がよろしい」
「だめ」
「父上」と慎が言った。「あっちに、なにかあるの?」
慎は、廊下の奥を覗き込んだ。覗き込んで、何もないのを確かめて、先生の顔を見上げた。
先生は笑った。
「引き止められてしまったな。この子の胸を押したのは私だから、覚えてくれているのかな」
先生は膝をついて、私と目の高さを合わせた。穏やかな目だった。
「お嬢様。先生はね、しばらく遠くへ参ります。来年の今ごろには戻ります。戻ったら、また診て差し上げますからね」
来年では遅い。
来年では遅いと、私は言えなかった。一歳の口には、その言葉がなかった。あったとしても、誰もそれを一歳の子の言葉としては聞かない。
母が来て、私の指を、一本ずつ袖から外した。
「申し訳ございません。人見知りをしない子で」
「いえいえ。光栄です」
最後の一本が外れた。
私は泣いた。泣こうと思ったのではなかった。身体が勝手に泣いた。泣きながら、廊下の奥を指し続けた。
「眠いのね」と母が言った。
先生は鞄を持ち直して、慎の手を引いて、門を出ていった。慎が一度だけ振り返った。
伝わらなかった。
*
帰りの馬車で、私は母の膝の上にいた。
母は窓の外を見ていた。一度も私を見なかった。
宗一郎さんも、子どものころ、そうだったんですって。百合子さんのあの一言のあと、母はずっとこの顔をしていた。
私は、自分のしたことを考えた。
袖を掴んだ。指を差した。「だめ」と「あっち」と「ゆり」を言った。
一歳の私に使えるものは、それで全部だった。
どんな病なのかも言えない。早く見つかれば治る、とも言えない。来年では遅い、とも言えない。言えたとしても、一歳の子が何を知っているのかと訊かれる。訊かれても、答えられない。
十五の冬の終わりに、縁側で慎がそれを話してくれたとき、私は、ずっと宙に浮いていたものが一か所だけ地面に着いた気がした。それだけだった。先生も、慎も、百合子さんも、遠い昔の、よその家の話だった。
その昔の中に、いま私はいた。袖を掴んで、外された。
先生はこのまま発つ。一年、戻らない。百合子さんは、先生のいないあいだに病が進んで、二つの冬に亡くなる。
私はそれを、馬車に揺られながら、止められないものとして抱えていた。
*
その夏、私は自分の左手のことに気づいた。
夜だった。私は布団に寝かされていた。枕元の小さな棚に、銀の星が置いてあった。母が「これはあなたのものだから」と言って、そこに置くようになっていた。実際に髪に挿すのは、まだ何年も先だ。
部屋は暗かった。障子越しに、廊下の灯りが弱く入っていた。
私の左手が、上がった。
上がって、棚のほうへ伸びた。
私は右手で自分の左手首を掴んだ。
掴んでから、心臓が鳴った。
私は左手を動かそうと思っていなかった。
この一年余り、私はこの身体の勝手な動きに散々つきあってきた。抱かれれば安心する。甘い匂いに口が開く。誰の指でも握る。それは全部、赤ん坊の身体がそうできているからだ、と説明できた。
これは、違う。
棚の上には、星の他に何もない。星は暗くて、光ってもいない。なぜそこへ手が伸びるのか、ただの反射だと片づけることが、私にはできなかった。
私は左手首を掴んだまま、しばらく息をしていた。
試した。
右手で左手を放した。左手は、また上がった。星のほうへ。指が開いて、握るような形になって、それから力が抜けて落ちた。
私は左手を、自分の胸の上に置いた。
――いるの。
声には出さなかった。出せる年齢でもなかった。
返事はなかった。
その数日後、廊下から足音がした。
恭介の足音だ。彼は右足を少し引きずるように歩く。船台で昔やった怪我だと聞いた。
その音が、まだ襖の向こうにいるうちに、私の左手が上がった。
私は驚いて、右手で押さえた。押さえたが、左手は襖のほうを向いたままだった。
襖が開いた。
「起きとるか」
彼が入ってきた。
私の左手が、彼のほうへ伸びた。
私は――そのとき、押さえなかった。
彼はその手を見て、笑った。
「お、なんだ」
彼は私の左手を、自分の手で包んだ。大きな手だった。指の腹が硬い。
私はそのまま、しばらく彼に手を握られていた。
その夜、私は考えた。
この手は、私の手だ。私が使っている。でも、この手には、私の都合ではない動きがある。星へ伸びる。この人の足音へ伸びる。
あの子は、いない。
いないはずだ。私はこの身体に一年余りいて、頭の中で誰かの声を聞いたことは一度もない。夢に別人が出てきたこともない。
いないのに、手が伸びる。
*
その少しあと、私は母の前で一度だけ、左手を押さえた。
昼間だった。母が私を膝に乗せて、髪を梳いていた。
窓の外を、恭介が通った。
私の左手が上がった。
私は右手で、それを押さえた。押さえて、母のほうを向いて、言った。
「かあ」
母の手が止まった。
「……いま」
「かあ」
母は櫛を置いて、私の顔を両手で挟んだ。
「もう一度」
「かあ」
母は、笑った。
この一年余りで、母がいちばんはっきり笑った顔だった。目のまわりに皺が寄って、口が開いて、歯が見えた。二十五歳の母の、こんな顔を、私は初めて見た。
「かあ、ね。かあさん」
「かあ」
「上手ね」