星猫くるるHOSHINEKO KURURU

天導ルリカは生まれるのを止めた

第十章 もう一度呼んで(1/2)

第十章 もう一度呼んで

 秋になって、母の揺り椅子が運び出された。

 私の部屋の隅に、ずっと置いてあったものだ。母がそこに座って、私を膝に乗せて、髪を撫でながら本家の話をしていた椅子だった。

 男二人が来て、それを廊下から運び出した。私は襖のところに立って見ていた。

 代わりに、私の部屋には低い棚が入った。母が座る場所は、なくなった。

 母は、その週から、私の部屋で長く過ごさなくなった。

 その代わりに、廊下から見るようになった。

 私が積み木をしていると、襖が少し開いていて、母が立っている。目が合うと、母は「はい」と言って、行ってしまう。何を「はい」と言ったのか分からない。

 寝る場所も替わった。それまで夜は、母の部屋の続きの間に床を取られていた。宗一郎が庭から来た夜も、伯父が一臣さんの話をした日も、私は母の部屋や居間の隅にいて、目を閉じて聞いていた。秋からは、昼も夜も、茶の間の隣の部屋で過ごすことになった。母の居間からは、廊下を二つ曲がった先だった。

 私は、母のしたことを順に考えた。

 揺り椅子をどけたのは、もうこの部屋では話さない、ということだ。部屋を替えたのは、母の居間で交わされる話を、私の耳から遠ざけるためだ。母はたぶん、私がどの夜に、どの部屋の隅にいたかを思い出したのだと思う。宗一郎が庭から来て、「あの子は、恭介君の子だ。そう届けた」と言った夜。伯父が帰ったあとで、母が揺りかごのそばに来た日。

 母は、私が何を聞いたのかを確かめようとはしなかった。確かめるには、私に尋ねなければならない。尋ねれば、何を聞かれて困るのかを、私に教えることになる。だから母は何も尋ねずに、聞こえる道のほうを塞いだ。

 十一月に、たみという女中が、私の部屋の前の廊下に座るようになった。

 二十四か五で、口数が少ない。母に言われてそこにいるのだと、誰に教わらなくても分かった。たみは私が部屋を出ると立ち上がり、私が戻ると座った。私が何を手に持っているかを、見るともなく見ていた。

 見張りだった。私がどの部屋へ行くか、何を持ち出すか、誰のそばへ寄るかを、母の代わりに見ている人だ。

 私は、自分の部屋の中から、廊下のたみの背中を見ていた。

 あと一年と九か月。

 揺りかごのそばで聞けたことは、もう聞けない。母の居間の話は、廊下を二つ曲がった先で交わされる。私は二歳半で、どこへ行くにもたみがついてくる。

 *

 十二月の半ばに、百合子さんが亡くなった。

 朝、佐伯が本家から知らせに来た。母は「そう」と言って、しばらく帳面を閉じたまま座っていた。

 三日後に、本家で葬儀があった。私は黒い着物を着せられて、お絹に抱かれて行った。

 本家の座敷は、人でいっぱいだった。線香の匂いがした。一年半あまり前に、百合子さんが寝床の上に起きていた座敷だった。いまは、白い布のかかった箱が、その場所に置かれていた。

 宗一郎は、いちばん前に座っていた。

 背中しか見えなかった。痩せた背中が、もっと薄くなっていた。弔問の客が頭を下げるたびに、彼も頭を下げた。下げて、上げるまでが、ほかの人より長かった。

 蘆田先生がいた。いちばん後ろの隅に座って、畳を見ていた。慎がその横にいた。

 母は、黒い着物を着ていた。

 母が黒を着るのを、私は初めて見た。いつも藤色や、朱や、花の散った明るいものを着る人だった。黒を着ると、母はいつもより背が高く、細く見えた。

 母は焼香をして、宗一郎の前で手をついた。

「このたびは」

「ああ。……来てくれて、ありがとう」

 それだけだった。二人のやりとりは、ほかの客とのやりとりと、何も違わなかった。

 帰りの馬車で、母は窓の外を見ていた。

 泣いていた。

 声は出さずに、目の端だけが濡れていた。母はそれを指で拭いた。拭いて、また外を見た。

 泣いていたのは本当だと思う。百合子さんは、母に「お久しぶりね」と言った人だった。母の娘を、下手な抱き方で抱いた人だった。

 馬車が本家の門を出て、しばらく行ったところで、母は一度だけ、息を長く吐いた。

 泣いたあとの息なのか、そうでない息なのか、私には分からなかった。

 私はお絹の膝の上で、馬車の揺れに合わせて揺れていた。

 袖を掴んで、指を差して、外された。あれから一年と七か月で、百合子さんは死んだ。私が知っていたとおりの冬に。

 ――やっぱり、四歳で解決は無理じゃね。

 頭の中で、そう言った。言ってから、自分の声が二十七歳の、夜中のコンビニの帰り道みたいな声だったので、少し驚いた。

 無理じゃね、と思った。

 いちばん早い一手が、これだった。いちばん確かに分かっていて、いちばん止めやすいはずの一手だった。一人の医者が、帝都を離れないでいればよかった。それだけのことが、一歳の私には止められなかった。

 この先に残っているのは、もっと止めにくいものばかりだった。婚約。紙。薬。電報。匙。柱。

 お絹が、私の背中を撫でた。

「お嬢様、お寒くございませんか」

「……ううん」

 お絹は、私を着物の前で包むようにして、抱き直した。

 私は、お絹の胸に額をつけた。

 無理じゃね、と思って、それで何かをやめられるなら楽だった。やめられなかった。この人も、あの夏、台所へ行かされる。

 *

 年が明けて、一月の終わりに、母が恭介に話をした。

 夜だった。私は寝かされていて、隣の茶の間から声が聞こえた。母は私の前では喋らなくなったが、茶の間の声までは消せない。

「この子を、本家で育てようと思います」

 箸を置く音がした。

「本家、といいますと」

「宗一郎さまのお屋敷です。あちらは、奥のことをする方がいなくなって、困っておいでなの。人手も、教える者もあります。学院のことを考えても、本家から出るほうがいい」

「はあ」

「あなたは造船所がありますから、通いにくくなるでしょうけれど」

 沈黙。

「奥様」

「はい」

「それは、いつからの話ですか」

「この春から」

 また沈黙があった。

 私は布団の中で、身体を固くしていた。

 ――行きたくない。

 それは、計画のための判断ではなかった。本家へ移れば、宗一郎の近くにいられる。母と宗一郎の話が聞けるかもしれない。冷静に考えれば、そちらのほうが有利ですらある。

 それでも、私は行きたくなかった。

 恭介の声がした。

「わたしは、反対です」

 私は息を止めた。

「ここが、この子の家です」

 母が何か言った。低くて、聞こえなかった。

「はい。わたしは造船所の人間です。学もありません。それはそうです。ですが、この子はここで生まれて、ここで歩きました。庭のどこに石があるかも、この子は知っております」

 母がまた何か言った。

「はい。……はい。ですが、わたしは、反対です」

 その日の話は、それで終わったらしかった。

 声が震えていた。

 七夜に宗一郎に向かって「一字足させてほしい」と言ったときと、同じ震え方だった。でも、あれと、今夜のこれは、違う。宗一郎はこの人を毎日見ている人ではない。今夜の相手は妻だ。この家で毎日一緒に飯を食う人だ。反対すれば、明日から空気が変わる。

 震えたまま言ったのだということを、私は聞いていた。

 春になっても、私は移されなかった。

 夫の反対が効いたのか、本家のほうが首を縦に振らなかったのか。母はどちらとも言わなかった。

 言い出した理由のほうも、一つには決められなかった。

 妻を亡くした人の家に、自分の娘を入れる。娘の父親が本当は誰なのかを、いちばん知られたくない人から、娘を遠ざける。どちらでも、母にとっては同じ一手だった。

 *

 同じころから、母の話し声が、別の場所で聞こえるようになった。

 台所の女中頭に。弔問の礼に来た分家の夫人に。夕食のあとの恭介に。

「あの子は、ときどき気味の悪いことを言うの」

 私は襖の陰で、それを聞いた。

「夢と、起きているときの区別が、まだつかないのでしょうね。大人の言葉をどこかで拾ってきて、意味も分からずに繰り返すの。本家、なんて。二つの子が」

 客は笑った。「賢いお嬢様ですこと」

「賢いのかしら。私には、ときどき、気持ちが悪くて」

 母はそう言って、自分でも少し笑った。冗談のように聞こえるように。

 台所でも、同じ話を聞いた。お絹に抱かれて台所へ下りたとき、女中頭が若い女中に言っていた。

「お嬢様のおっしゃることは、話半分に聞いておきなさい。奥様がそうおっしゃったから」

「はい」

「怖い夢をご覧になるんですって。夜に何か言いだしても、いちいち騒がないこと」

「はい」

 お絹は黙って、私を抱き直した。何も言わなかった。言えないのだと思った。お絹は女中で、女中頭は女中頭だ。ただ、私の背中に置かれたお絹の手は、そのあいだずっと動かなかった。

 母が話したのは、座敷で一度、台所で一度だけだったのかもしれない。それでも、話は母の手を離れて、家の中を勝手に歩いた。十日もすると、私が縁側で何か言うたびに、誰かが少し笑うようになった。

 恭介には、もう少し静かに言った。

「あなたも、あの子の言うことを本気になさらないで。怖い夢を見て、それを本当のことのように話すことがあるの。本気にすると、あの子のためにならない」

「はあ」

「子どもの言うことです」

 私は襖の陰で、手を握っていた。

 母は、話すのをやめただけではなかった。

 この子がいつか、誰かの前で「るりのおとうさまは、そういちろうさま」と言っても、聞いた人が「また、あの子の夢の話か」と思うように。母はそれを、この子がまだ言う前に、家じゅうへ言って回っている。この子の口から出る言葉を、出る前に軽くしている。

 百合子さんが亡くなって、宗一郎は一人になった。母の夢は、生まれた夜からいちばん近いところにある。その夢を壊せるのは、いまこの家で、二歳の子の口だけだった。

 私は十歳から十八歳まで、この人の娘をやった。珈琲の淹れ方を教わり、布を選んでもらい、髪を上げてもらった。そのあいだ、私はこの人を、兄に従わされた人だと思っていた。十八の夜まで。

 この人は、先に手を打つ人だった。まだ何も企んでいないうちから。

 それが策だということは、分かっていた。分かっていても、「気持ちが悪くて」という母の声は、胸のどこかに刺さったまま抜けなかった。

 母は、自分が抱いて育てた子のことを、客の前で笑いながら、気持ちが悪いと言った。策のための言葉でも、言葉は言葉だった。

 十歳の朝のことを思い出した。前の人生で、この身体に入ったとき、喉に残っていた「……なければ、よかった」という声。あの朝、あの子に何があったのか、私は知らない。知らないが、母の口から自分を要らないもののように語られるのがどういう痛さなのかは、この冬に少し分かった。私には大人の意識があって、それでも痛かった。十歳の子なら、どうだっただろう。

 *

 二月のある日、私は廊下でわざと転んだ。転んで、たみが近づいてきたときに、廊下から部屋の中の様子がどこまで見えるかを確かめた。見えた。部屋の奥の、棚の上まで。

 その次の日、たみが言った。

「お嬢様」

「はい」

「わたくしは、目が悪うございます」

「え」

「遠くのものが、よく見えません。奥様には申し上げておりません」

 彼女はそれだけ言って、また廊下に座った。

 昨日、転んだ私を起こしてくれたとき、たみは部屋の奥をちゃんと見ていた。私はそれを見ていた。目が悪い人の見方ではなかった。

 私は、それが何を意味するのか、しばらく考えた。

 考えて、たぶん、これはこの人が私にできる精一杯なのだと思った。この人は仕事を辞められない。母に逆らえない。廊下から離れることもできない。できるのは、自分の目が悪いと私に言うことだけだ。

 奥様は、たみの目が悪いことを知らない。だから、たみが「何も見えませんでした」と言えば、奥様はそれを見張りの報告として聞く。見えなかったことは、報告のしようがない。

 見ないことにする、と言ったのだと思う。見ないことにする人が、廊下に一人いる。

 私は、それを受け取った。受け取って、使える日まで、しまっておくことにした。

 *

 その冬のうちに、私は自分の演技を変えた。

 母は私を見ている。廊下から、食卓から、庭から。

 母は、私が「分かっている子」かどうかを測っている。分かっている子なら、揺りかごのそばで話した言葉も覚えているかもしれない。分かっていない子なら、あれは口真似だった。

 だから、間違えることにした。母に「あれは口真似だった」と思ってもらうために。母が安心すれば、母はまた、どこかで何かを話すかもしれない。

 靴を左右逆に履いた。お絹が「あら、あべこべ」と言って直してくれた。

 「あさ」と「あか」を混ぜた。「あかごはん」と言って、お絹に笑われた。

 積み木を、わざと崩した。

 母は、見ていた。見ていて、何も言わなかった。ただ、少しずつ、廊下に立つ回数が減った。

 たみは、廊下に残った。母が自分で立たなくなった分を、たみが座って埋めていた。私はそれでいいと思った。たみは、遠くのものがよく見えない人だ。

 演技はうまくいった。

 うまくいくたびに、焦った。

 靴を逆に履いて直されるのに、朝の五分。「あかごはん」と言って笑われるのに、昼の三分。そういうものを積み上げて、私は一日を、分かっていない子として使い切る。そのあいだにも、あと一年と半分、と頭のどこかが言う。私はそれを最後まで数えずに、靴を逆に履いた。

 三月のある日、私は恭介に言った。

「とう。みずうみ、いや」

「みずうみ?」

「みずうみ、いっちゃ、だめ」

 彼は私の頭を撫でた。

「湖か。夏に行くかもしれんな。星見荘といってな、涼しいところだ」

「だめ」

「怖いか。水が怖いか」

「……」

「大丈夫だ。父さんが手を離さん」

 通らなかった。

 当たり前だ。私はこの冬じゅう、わざと言葉を間違える子をやっている。その子が「湖に行くな」と言っても、それは水を怖がる幼児の言葉にしか聞こえない。

 私は自分で自分の口を、信用されないものにしていた。

 それだけではなかった。父は、母から「あの子の言うことを本気になさらないで」と言われている。怖い夢を本当のことのように話す子だ、と。父が私の「だめ」を水を怖がる子の言葉として聞いたのは、父が鈍いからではない。母が先にそう教え、私がその教えどおりの子を演じていたからだ。

 母の評判と、私の演技。両方から、同じことが父に届いていた。この子の言うことは、本気にしなくていい。

 「普通の子」でいることは、母から身を守るのに役立った。同時に、それは私が誰かに何かを伝える力を、まるごと削っていた。

 *

 その夜、私は布団の中で、手持ちのものを並べた。

 言葉は、使えない。母が先に軽くして、私が自分でも軽くした。この家で、私の言葉はもう「また、あの子が」だ。