天導ルリカは生まれるのを止めた
第十章 もう一度呼んで(2/2)
では、何なら使えるか。
大人が、自分の目で見て、自分で確かめられるもの。私が言うのではなく、相手が読むもの、触るもの。二歳の子の言葉は夢だと言える。でも、二歳の子が持ってきた紙に書いてある字は、夢ではない。
物だ、と私は思った。
自分で書けばいい、とは思わなかった。お絹に鉛筆を握らせてもらったことはある。握るというより掴むので、線はどこへ行くか分からない。丸ひとつが閉じない。字は読めても、この手ではまだ書けない。それに、二歳の子が字を書いてみせれば、それこそ気味の悪い子の証拠になる。
運ぶのは、はじめからこの家にある物だ。大人の字で書かれた紙。大人が見れば、誰の字か分かる紙。
渡す相手は、父にすると決めた。
宗一郎は、たまにしか来ない。お絹は私の言うことを笑わずに聞いてくれるが、女中の手で奥様の物に触れることはできない。父は毎晩帰ってくる。私のすることを測らない。私の言葉は本気にしなくても、自分の目で読んだ字なら、父は本気にするかもしれない。
ただ、いきなり大事な物を持っていけば、それもまた「気味の悪い子」の証拠になる。だから、先に、何でもない物を持っていく子になる。持っていくことが、この家の当たり前になるまで。
翌日から、私は外で拾ったものを恭介のところへ運んだ。
石。椿の花。誰かの落とした真鍮のボタン。去年の蝉の抜け殻。彼が帰ってくると、両手で持っていって渡す。
「これは」
「あげる」
「そうか」
彼は受け取って、縁側の棚に並べた。
たみは、私が両手に何を持って廊下を通るかを見ていた。石。花。ボタン。見たとおりを、奥様に伝えたのだと思う。数日して、母が縁側の棚を一度だけ見に来た。石と花とボタンを見て、母は何も言わずに戻っていった。
それでよかった。母のところへ届く報告が、毎日、石と花であればいい。この子が何かを持って父のところへ行くのは、いつものことだ。母にもたみにも、そう思っていてもらわなければならない。
*
三歳の誕生日に、恭介が赤い靴を買ってきた。
四月二十日。庭の桜がもう散っていて、敷石に花びらが張りついていた。
彼は仕事から帰るなり、風呂敷包みを畳の上に置いた。
「開けてみろ」
私は結び目と格闘した。三歳の指では結び目は解けない。彼が半分ほど解いてくれた。
中から、赤い革の靴が出てきた。
子どもの靴だ。つやつやしていて、爪先が丸くて、留め金が銀色だった。この家では見たことのない種類のものだった。町の店で売っているものだ。
「わあ」
私は本気で声を上げた。
「履いてみろ」
私は座って、右足を入れた。
足が、中で泳いだ。
左足も入れた。同じだった。踵が浮く。爪先まで、指二本ぶんくらい余っている。
「……おおきい」
「大きいか」
「おおきい」
「いや、そんなはずは」
彼は靴を脱がせて、自分の指を中に入れた。
「うん。大きいな」
彼は自分の指と、私の足を、交互に見た。
「あのな。店で、こう、店の人に、うちの子の足はこのくらいだと言うたんだ」
彼は右手の親指と人差し指を広げてみせた。
「このくらいだと」
「とう」
「うん」
「それ、おおきい」
「そうだな」
彼は自分の指を見て、それから、私の足に自分の指を当てた。
「これは、わしの指が太いんだ」
お絹が横で吹き出した。
「旦那様、お測りになりませんでしたの」
「測った。指で測った」
「指でお測りになったのですね」
「そうだ」
「それはもう、旦那様のお指の長さでございましょう」
「そうなるな」
私は笑った。笑いすぎて、後ろへ倒れた。
「紙を詰めよう」
彼は新聞紙を丸めて、靴の爪先に詰めた。
「履いてみろ」
私は履いた。今度は少しましだったが、歩くと爪先の紙が潰れて、また泳ぐ。
私は縁側から庭へ出た。三歩で、右の靴が脱げた。
「あー」
もう三歩で、左が脱げた。
私は裸足で庭の砂利の上に立っていた。靴が二つ、後ろに転がっていた。
「瑠璃花!」
彼が走ってきた。走ってきて、私を抱き上げた。
「砂利は痛いだろう」
「いたくない」
「痛い」
彼は私を縁側まで運んで、座らせて、足の裏を払った。小石が二つついていた。
「痛くないか」
「いたくない」
「そうか」
彼はもう一度、靴を私の足に当てた。当てて、自分の指と比べて、首を振った。
「もう少し、大きくなってから履くか」
「うん」
「今度、店へ一緒に行こう。店の人に足を見せて、それから買う」
「うん」
彼は靴を並べて、そこに紙を詰め直して、箱に戻した。箱を棚の上に置いた。
「ここに置いとくからな。大きくなったら履け」
「いつ」
「そうだな」
彼は考えた。
「来年か。再来年か」
「らいねん」
「来年でもいいな」
その約束を、私はその場でしっかり受け取った。
来年の四月二十日に、私は四つになる。その四か月後が、八月十五日だ。
来年この靴を履く日に、この人はまだこの家にいる。その次の年の春に、この人がまだこの家にいるかどうかは、私にかかっている。
盥に浮かべた舟が沈んだときも、私は笑った。あれは、その場で終わる笑いだった。今日の笑いには、続きがついている。来年、この靴を履く。そのときは店へ行く。
この家の中で、私が「来年」の話をしたのは、これが初めてだった。
彼が箱を置いてから、言った。
「瑠璃花」
私の身体が跳ねた。三歳になっても跳ねる。
「もういっかい」
「ん?」
「もういっかい、いって」
彼はきょとんとした。
「瑠璃花?」
「うん」
「瑠璃花」
「もういっかい」
「瑠璃花」
「もういっかい」
「瑠璃花。瑠璃花。瑠璃花。……なんだ、そんなに呼ばれたいか」
彼は笑って、私の頭に手を置いた。
私は畳の上に座って、その手の重さの下にいた。
嬉しかった。
三歳の私は嬉しかったし、二十七年ぶんの私も嬉しかった。私はこの人に、自分の名前を呼ばせている。呼ばせている、という言葉が正しい。私が「もういっかい」と言って、この人がそのとおりにしている。
その嬉しさの端に、小さく、冷たいものがあった。
この人が呼んでいるのは、この人の娘だ。三分息をしなかった子だ。庭で走るところを見たいと思った子だ。その子の名前を、私が「もういっかい」とせがんでいる。
私はその冷たさを、その日は端に置いたままにした。置いたままにして、もう一度言った。
「もういっかい」
「瑠璃花」
お絹が茶を持ってきた。
「旦那様、そろそろお茶になさいませ。お嬢様も、お手をお洗いになって」
私たちは笑いすぎて疲れていた。彼は縁側に胡座をかいて、茶をすすった。私は隣に座って、湯冷ましを飲んだ。庭で鵯が鳴いていた。桜の花びらが、風で敷石の上を動いた。
何も起きない午後だった。
*
五月に、宗一郎が来た。
喪が明けてから、初めてだった。玄関から入って、女中頭が茶を出して、母の居間へ通った。
母の居間は、廊下を二つ曲がった先だった。
私には、何も聞こえなかった。
私は自分の部屋の敷居のところに座って、廊下の曲がり角を見ていた。たみが廊下にいた。宗一郎と母が何を話しているのか、私にはひとつも分からなかった。二年前なら、私はその部屋の隅で目を閉じていたはずだった。
一時間ほどして、宗一郎は帰った。
帰り際に、私の部屋の前を通った。
「瑠璃花。大きくなったな」
彼は私を見て、少し笑った。笑ったが、目の下が暗かった。百合子さんの葬儀のときの背中と、同じくらい薄い人だった。
彼が門を出たあと、母は庭に出た。
私は縁側の端から、母を見ていた。
母は、藤色の着物を着ていた。喪が明けて、また明るい色を着るようになっていた。前より、少し明るい色を。
母は、門のほうを向いて、しばらく立っていた。
それから、梅の木の下まで歩いて、枝に触れて、戻ってきた。戻ってくるときの顔は、何も映していなかった。
私が知っているのは、この年の十二月のことだった。
*
その春から夏にかけて、私は母を観察していた。
母は変わっていなかった。朝、庭を見る。昼、帳面をつける。夕方、女中頭と話す。夜、自分の部屋にいる。
変わったのは、私を見る時間だった。
以前は、廊下に立って中を覗いていた。いまは、食卓で正面から見る。私が匙を持つ手を見る。私が何を先に食べるかを見る。私が父の話にどう応えるかを見る。
六月のある日、母が言った。
「瑠璃。この字が読めますか」
母は新聞を広げて、大きな見出しを指した。
私は、しばらくそれを見た。
読めた。二十七年ぶんの私には読めた。三歳の子には読めない。
「まる」
私は言った。
「まる?」
「まるが、ある」
私は見出しの中の「。」を指した。
母は、新聞をたたんだ。
「そうね」
その日の午後、私は縁側で自分の指を見ていた。
私はいま、自分を隠すために、自分の一番使える道具を捨てている。読めることを隠し、覚えていることを隠し、分かっていることを隠している。
隠しているあいだに、四年目の夏が近づいている。
*
その夏、蘆田先生がまた来た。
先生は、髪が白くなっていた。二年前、本家の玄関で膝をついて私と目の高さを合わせた人と、同じ人だとは思えないくらいだった。診察の手つきは同じだった。穏やかで、丁寧で、少しだけ遅かった。
慎は八歳になっていた。前より背が高くなって、前掛けの丈が合っていなかった。眼鏡の縁が、前より太いものに替わっていた。
診察のあいだ、慎は先生の後ろに座って、紙に何か書いていた。
私は、先生の鞄の横に置かれた紙を見た。去年の検査の綴りらしかった。上のほうに、母の名前と、私の名前があった。型の欄はAとABだった。去年は母の指に隠れて見えなかった字が、今は見えた。
母が袂にしまった検査の紙を、父の目に届けてくれる人がほしかった。慎が気にして先生に話してくれれば、先生から父へ伝わるかもしれない。
私は、慎のそばへ這っていった。
「しん」
「はい」
「えーびー」
慎が顔を上げた。
「るりか、えーびー。かあ、えー」
彼は私を見た。
「……お嬢様。それは、どこで」
「えーびー」
私は同じことをもう一度言った。母がA、父がO、自分がAB。そこから父が除かれる意味まで口にすれば、誰に教わったのかを訊かれる。私は目に入った字を繰り返す子の顔をしていた。
慎は、しばらく私を見ていた。
彼は紙を伏せた。伏せて、こう言った。
「はい。わかりました」
彼はそれ以上、何も訊かなかった。先生にも言わなかった。
帰り際に、彼は私の頭を撫でた。撫で方が下手で、髪が乱れた。
私はそのとき、彼の困った顔を見て、懐かしいと思った。
前の人生で、十五の私に詩集を貸してくれた二十歳の人。十七の秋、処方簿を差し出した二十二歳の人。蘆田先生が、百合子さまの倒れた年に帝都にいなかったことをずっと悔やんでいる、と話してくれた人。あのとき彼が見せた顔と、いま八歳の彼が見せている顔が、似ていた。
似ている、というだけだ。
この子は、あの人ではない。この子が今日黙ると決めたのは、この子が自分で決めたことだ。私はそこを混ぜないようにした。
ただ、蘆田先生がこれから何年も悔やむことだけは、前の人生と同じだった。今度は、私もそれを悔やむ側にいた。
それから数日して、私は失敗した。
私は恭介に「みずうみ、しぬ」と言った。
言い方をもっと考えるべきだった。彼は驚いて、母に相談した。母はその晩、私の部屋に来た。
「瑠璃。誰がそんなことを言ったの」
「……」
「誰から聞いたの」
「しらない」
母はしばらく座っていた。
座って、私の顔を見ていた。三歳の子の口から「しぬ」が出たことを、母は、自分の怖がっているものとは別の棚に置こうとしているように見えた。本家とも、宗一郎とも、関係のない言葉として。
翌日、母が恭介に言っているのが聞こえた。
「ほらね。また、あの子が。夢の話です。本気になさらないで」
恭介は「はあ」と言った。私の部屋の前で、たみが座り直す音がした。
言葉で言えば、こうなる。分かっていたのに、言ってしまった。私は、湖という言葉を、自分でもう一段軽くした。
*
九月に、本家から来た佐伯が母に言った。
「本家に、久我様からお話が来ているそうでございます」
私は茶の間で、お絹に髪を結ってもらっていた。襖が開いていた。
母は帳面をつけていた。筆が止まった。
「そう」
「親族会の方々も、年内には、と」
「そう」
母は、筆を置いた。置いて、硯のほうへ向き直って、墨を磨りはじめた。墨はもう十分に磨れていた。
お絹の指が、私の髪の中で一瞬止まって、また動いた。
久我静子さん。前の人生の十八の夜までに、私はその名前を、何度か聞いていた。宗一郎と婚約していた人。婚礼は、宗一郎が死んだ年の十月の予定だった。
十二月だ、と私は思った。
この縁談は、十二月に決まる。決まった月に、母は宗一郎に手紙を書く。せめて亡くなったときに効く紙を、と。私はもう待ちません、と。宗一郎はその紙を書いて、三村弁護士に預ける。
あと三か月。
母は墨を磨り続けていた。
*
秋になっても、私は毎日、何かを恭介のところへ運んでいた。
春から、半年を過ぎていた。縁側の棚は三段目まで埋まって、恭介は二つ目の棚を自分で作った。お絹は「お嬢様の博物館」と呼んだ。母は、その棚の前を通るとき、一度も足を止めなかった。拾った物を父に見せる子。この家では、それがもう当たり前になっていた。
恭介は、玄関で靴を脱ぎながら「今日は何だ」と言うようになっていた。
私はそのために、半年やった。
婚約が決まり、母が認知の紙を求める前に、父には私の生まれのことを知っておいてほしかった。親族会で突きつけられるより先に、自分であの手紙を読んで、考える時間を持ってほしかった。
十二月が来る前に、この手で運ばなければならない紙が、一枚あった。